第14話 信念が故に
全てをなぎ倒そうと、暴風雨が荒れ狂う。その風に、少しでも触れてしまえば全てを持っていかれる。
「くっ」
シルクは何とか、その風の隙間に体を入り込ませる。反撃の機会を狙うが、そんな余裕をオルドーは与えてくれない。
オルドーが振るう斧は、まるで怒りの
一撃一撃に速さはないが、その一つ一つが必殺である。彼がその豪腕を振り下ろす度に、シルクの精神はごっそりと削られていく。
分が悪い、とシルクは感じ取る。
少なくとも実戦経験の浅い自分にとっては驚異的な力量差がある、とシルクは段々と霞がかっていく思考で計っていく。そろそろ、心にくべる薪が
どちらかと言えば、体力よりも精神力に自負のあるシルクは、自身がこんな状態になった覚えがない。「これが本当の戦争か」と奥歯を噛みしめる。初の実戦、ここに至るまで精神を削り取り、そして極めつけが刃の嵐に身を投じる。未だに、考えることを止めていないのが奇跡に感じるほどの苦境だ。
それでもシルクの眼光は
(ほう。やはり、やりおる)
なるほど、とオルドーは頷いた。覚悟をして戦場に飛び出したが、まだ負けを認めることができていなかった。
しかし、相対して納得ができる。自分の勝ち戦を壊したのはこういう男だったのだ、と。
劣勢であっても勝ちを拾うことを諦めない。いや、必ず現状を打破できると信じている。現に今も、彼の視線はオルドーの急所を狙っている。動きはとれずとも、シルクは頭の中で何度もオルドーに剣を突き刺している。
オルドーが油断をすれば、即座に襲い掛かってくるだろう。油断はせずとも、少しでも勝機を相手に与えれば逆転される。実は、一方的に攻めているオルドーにとっても、この攻防は綱渡りなのだ。
女と間違えるような
「……ふん」
前のめりになっていた敵兵が戻ってこようとしているのをオルドーの目がとらえた時、ふいに彼はその手を止めてシルクと正対した。
(なんだ……?)
相手の意図が分からないが攻撃の手を止めたのは確かだ。シルクはその合間に呼吸を整える。緊張は解かない。しかし、体は次の行動に備えつつ、頭を存分に回転させるために休めるだけ休ませる。
そんな風にシルクが準備をしていることに気づいたオルドーはにやりと笑った。もし、ここで気を緩ませるようなら叩き切る気でいた。しかし、そんな気はオルドーの中から消え失せた。
そして、口を開く。シルクのことを、もっと知りたいという欲に身を任せて。
「おまえは何のために戦っている?」
唐突な問いにシルクは眉根を寄せた。その真意をつかむことはできない。下手に会話をすると気が緩む。
視線だけは鋭く、何も答えないシルクにオルドーは続けた。
「純粋な興味だ。何のために戦っていると聞いている」
ここで、シルクはさきほどまで充満していた殺気が消えていることに気づいた。
(何をしたいのか、分からないけど)
敵兵ではあるものの、お互い人間だ。問いかけられた言葉を無視できるほど、シルクは冷淡でない。冷静に考えても、ここで相手に答えることには問題ないように思える。
かつて、戦場に一騎打ちの美学があった頃。お互いの命のやりとりをする前に、名乗り会ったらしいと聞く。そんな人達と似た心境か。
(そうなると、ここは答えるべきだ)
剣を握る手は緩めずに、シルクは真っ直ぐに答えた。
「皆の幸せのために」
その答えは、オルドーの目を丸くした。
「はっはっは。思った通り、面白い答えを言うな、坊主」
シルクのあまりにも歪みのない答えに、オルドーは腹の底から笑い声をあげた。予想していた、とは言ったが本当に言い放つとは思わなかった。オルドーの目の前にいる男は、よっぽど汚れを知らずに育っているらしい。
「なぁ、坊主。おまえが言う皆とは誰のことだ?」
「僕の目につく人全てだ」
これまた真っ直ぐな答え。こんな人間がいたのか。オルドーは笑いをこらえきれない。
「じゃあ、聞くぞ。坊主、その目に俺達アルテは映っていないんだな?」
オルドーの言葉に、一瞬、シルクの目が曇る。
アルテ族に対する王国の仕打ちを知れば知るほど、シルクの中に王国への不信感が根付くようになった。士官学校を出て、北部に配属が決まる際に、恐らく自分の信念に反する命令が下されるかもしれないと覚悟をした。そんな日が実際に来たら自分はどうするのだろうと考える。しかし、答えは未だに出ていないし、現在も模索中だ。
アルテ族の現状に同情したし、今回の蜂起も心情としては理解できる。王国側の悪手だって
「もちろん見えているさ」
一瞬、目を閉じる。それは、瞬きのような短い時間。その間に、自分の揺れた心を制して、シルクは己の意思をはっきりと言葉に変えた。
「でも、だからと言って
シルクの目に光が灯る。オルドーの思いが伝わったがゆえに、その問いに本気で答えようと思った。
「ここで貴方達を止めなければ、戦火は燃え広がる。その後に何が残ると思う? アルテ族の復権はなしえても、残るのは見渡す限りの焼け野原だ」
後悔をしないとは言い切れない。今日のことが、後の悪夢に繋がっていくかもしれない。
「それは覇道だ。僕は僕の信じる王道を行く」
たとえ、シルクという兵士が選んだ道は間違っていたと歴史家に貶められてもかまわない。いや、名前なんて残らなくたっていい。野に散った名もない枯れ草となったって、かまわない。
しかし、許せないことは一つある。それは、立ち止まること。
「そうだ。僕は今、僕にできる道を進むだけだ」
自分の信じる道を進み続ける。それが、シルクの答えだった。
「王国のやっていることが王道だとでも?」
オルドーの目がギラリと輝く。並の者なら怯む迫力にも、シルクは正面から睨み返す。
「貴方の為に、もう一度言おう。 僕は『僕の信じる』王道を行く。そのために、今、アルテ族が障害となるならば斬り伏せる」
オルドーの目に対抗するために、強い言葉をシルクは返した。
高い理想を抱いて生きていれば、現実が襲ってくる。
現にアルテ族の境遇を何とかしたいと思っている自分がいる。しかし、シルクの立場でできることは何もない。
全ての人の幸せを願えば、その夢に自身が傷つけられる。これまでも、これからもシルクの心は痛めつけられていく。
「あえて言おう。僕はアルテ族を含め、皆が幸せになってほしい。でも、そんな綺麗事が通用するほど、世の中甘くないことは分かっている」
それでも、だ。
現実に何度裏切られたとしても。
「僕は僕の理想を裏切らない。僕だけは理想を追求し続ける」
その道に立ち塞がる者もいれば、シルクとは違う正義で彼を糾弾する者だっているだろう。しかし、それでもシルクは立ち止まらない。
「そのためになら、血で汚れる覚悟だって、とうの昔にできているさ」
「……なるほどな」
シルクの語りを静かに聞いていたオルドーは再び斧を持ち上げた。鋭い目つきで横側を睨みつける。
「ひっ」
オルドーに斬りかかろうとしていた新兵の足がすくんだ。その迫力は奥で弓を構えていた者にも届き、矢は大きく狙いを外れ、オルドーの体の前を通り過ぎていった。
「坊主、その覚悟は分かった。では、俺も、俺の道を
巨大な殺気。
シルクはその気迫に負けぬよう、剣をより力強く構え直した。
大きな踏み込み。一気に距離がつまる。逃げ場はどこにもない。
巨大な刃がシルクの頭上から降りかかる。オルドーの思いを込めた渾身の一撃。シルクはまずはかわそうと身構えた。
その瞬間、シルクはその挙動に違和感を抱く。
(遅い?)
変わらないように見えるオルドーの動き。だが、シルクの目はその変化を捉えていた。
斧の刃先がはっきりと見える。全く見えていなかったその軌道も、分からなかった到達までの予測もできる。
(それならっ!)
感じたのと同時に体が動いた。横にかわすのではなく、前に踏み込む。
一気にオルドーの懐に飛び込む。彼の体重をかけた一撃に合わせ、シルクは剣を突き刺した。
「ぐふっ」
シルクが感じた確かな手応えと共に、オルドーが息をもらす。
「ここまでか」
流れ出る鮮血は致命的なものだった。痛みを感じるための意識も徐々に消え去っていく。
「まぁ、もったほうだな。ボロボロだったのに、よく動いてくれた」
オルドーの体は、すでに限界を迎えていた。王国から課せられた長期の鉱山労働。劣悪な環境は、屈強な彼の体も蝕み、命を侵していた。
そのため、この戦がどんな結末になろうと、この戦場を墓場にしようと心に決めていた。
「坊主、お前の道がどこまで続くか……楽園で見ていてやろう」
シルクが剣を引き抜く。
オルドーの巨体が、ゆっくりと地面に倒れ込む。その表情は満足げで、青ざめるシルクとは対象的であった。
「はぁ、はぁ」
朱く染まった己の手を見つめていたシルク。意を決して、その右手を握りしめた。
「敵総大将、オルドーを討ち取った。これで、僕らの勝ちだ!」
その手を突き上げると周囲から歓声が沸き上がる。その熱が、大きく広がっていく度にシルクの心は冷たく尖っていく。
「情けない」
誰にも聞こえない声でシルクは呟いた。仲間に悟られぬように、その表情は変えることなく。
(覚悟、できてたつもりだったんだけど)
右手の震えが止まらない。血を今すぐに拭いたくて仕方がない。自ら奪った命の重さが徐々にのしかかってくる。今日の夜にでも、発狂してしまうくらいに苛まれるかもしれない。
オルドーの骸を見やって、シルクは大きな息を吐く。
「まだ、大丈夫。僕は理想を失っていない」
シルクは再び剣を握り締め、いまだに続く戦場に向けて駆け出した。まだ戦は終わっていない。まだ、ここには自分ができることがある。
「これが僕の選んだ道だ」
その紫の瞳は、ただただ真っ直ぐに未来を見据えていた。
それからしばらくして、エンブル砦攻防戦は王国側の勝利で幕を閉じた。王国は首謀者の死をもって、終息を宣言。アルテ族の反攻も一段落したと考えていた。
だが、この戦はヴェレリア全土を揺るがす大きな戦いの切っ掛けとなっていたことを、この時は誰も知らなかったのである。
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