第13話 また、楽園で

「ふむ」


 風が変わった、とオルドーは感じた。

 まだ、オルドーからは優勢な味方の背中しか見えていない。それでも、長年培った戦士としての勘が戦場の空気が変化したことを敏感に感じ取っていた。


 だからこそ、だ。彼は仲間から伝えられた驚くべき報告も、顔色一つ変えず静かに受け取った。


 籠城していたはずの敵兵が打って出てきた。それだけなら、まだ想定していた事態だ。しかし、あと少しで勝利に傾きかけた戦況を、相手が盛り返してくるところまでは予想していなかった。膠着こうちゃく状態へと転じだけでなく、一部では押し返されている。それが現状だ。


 オルドーにとって、まだ幸運だったのは、散っていった兵士の多くが雇い人だったことだ。言い方は悪いが、彼らは最初から捨て駒である。もともと、命を粗末にしているような連中だ。その死に、歴戦の戦士であるオルドーの心が痛むことはない。

 そして、同胞の死も同様である。アルテ族は死ぬことよりも、名誉を汚されることを何よりの苦だと考える。少なくない人が去って行ったが、何人も親しき人を見送ったオルドーの心は安らかである。


 しかし、アルテの戦士を、これ以上失わせるわけにはいかなかった。そうだ、今後を考えると、その損失は相当な痛手になりうるであろう。


「……」

 そう、今後だ。オルドーの心はすでにこの戦場になく、次なる戦へと思いが及んでいる。


 ここまで押し返されては、時間切れだ。もともと、砦の攻略は短期決戦を目論んでいた。

 ヴェレリア北部軍も、そこまで馬鹿ではない。おそらく、すでに近くの拠点から増援が向かっている頃だろう、とオルドーは推測する。


 もしも、それまでに正門を突破できればいい。しかし、敵兵の士気が上がり、心理的な有利も薄くなり、味方は確実に手こずっている。精鋭を集めて強引に突破してもいいが、もう失いたくないアルテの戦士の喪失を覚悟しなければいけない。

 そして、ここが肝心だ。最悪のシナリオは、砦を手に入れた瞬間に逆に囲まれてしまうことだ。逃げ場を失ってしまえば、全滅する恐れがある。


 それならば、撤退するのも上策の一つ。背を向けることに、今更未練も悔いもない。オルドーには、もっと大切なものが見えている。


「無茶をするには、今後に期待を持てすぎるのがつらいとこだな」


 若い頃であれば、オルドーはどんな戦場であれ力尽きるまで戦っただろう。その結果、どうなったか。

 アルテの立場はオルドーが斧を振るえば振るうほど、悪くなっていった。気づけば日陰へと追いやられ、そしてオルドー自身も日の光が届かない鉱山へと閉じ込められた。


 自分一人でどうにかできるほど、相手は小さくない。オルドーがそれを理解するのに、髭が白くなるほどに長い時間がかかった。


「なに、ここからよ」


 しかし、自身の行動は無駄ではない。今回の戦だって、オルドーはくさびをしっかりと打った。その楔は、かつて打ち負かされた王国という大きな壁を崩す切っ掛けになってくれるはずだ。


(リィチオ、後は頼んだぞ)


 ここは敬愛する弟に今後を任せることにしよう。昔は軟弱者と笑っていたが、彼ほど頼りになる将はいない。自分は役割に殉ずるとしよう、とオルドーは笑った。

 かなり長い年月を感じさせる、長く伸びた己の髭をなでつつ、オルドーは一人頷く。自分は見ることができないであろう未来に、彼は確かな手応えを感じていた。


 そんなオルドーの背後に、そんな未来を象徴する存在が一人。

「叔父貴、こっからどうする?」

 ミィナの槍はその美しさを保ったまま、高くなった日の光で輝いていた。


 オルドーはアルテ族の本質を体現する彼女の姿を見て、目に熱さを覚える。武神に愛された娘、ミィナはそう仲間に称された。

 その明るい輝きに、オルドーは思わず笑顔を見せそうになる。しかし、すぐに表情を引き締めて、ミィナに告げた。


「まぁ、今回はここまでだ。ミィナが暴れるのは次の機会だ。それまで、巣穴で牙を研いでおけ」


 逃げる、という言葉を嫌うが故の言い回しにオルドーの気遣いを感じる。ミィナは不満を隠さずに頷いた。

 ただ、オルドーの解はミィナも予想はしていた答えだ。彼女も、そのための準備は済ましてある。


「道は確保してあるよ。そこなら先も、ずっと敵はいない。確認済み」

 そこを使えばオルドーが退却することはできるはずだ。もし、危険が待ち受けていたら、今度こそ、この槍を振るう時だ。そんな想像をすることで、ミィナは敗北を悟って落ち込む心を一気に奮い立たせる。


 しかし、オルドーの口から出てきた言葉はミィナの思考を停止させる。全く、彼女が想像もしていないことを彼は言い放ったのだ。


「そうか、じゃあ、戻ってリチィオに伝えとけ。先に楽園で待ってるぞ、とな」


――楽園で待つ。


 その言葉が持つ意味をミィナは知っている。しかし、耳にしたのは初めてだ。


(え、叔父貴。本気?) 

 しかも、戦士として最も尊敬する叔父からだ。相当の衝撃が彼女を襲う。


 アルテの戦士は死後、アルテの始祖である武神がつくった楽園に招かれると伝えられている。過去の人間を神格化している、この宗教観も、光の神を崇拝する王国から疎まれている原因だ。

 楽園とは、アルテにとって戦いの後に得られる休息地。すなわち、その楽園で待つということは、現世に別れを告げるということだ。


「叔父貴」


 呼びかけようとするが続きが出てこない。自ら同族のために死地へ向かう戦士は誉れだと教えられてきた。それを教えてくれたのは、他の誰でもないオルドーだ。

 その彼が覚悟を決めたのなら、何も言うことはできない。ただ、万感の思いを込めて言葉を返すだけだ。


 ミィナは仮面を外す。


 年相応の幼さは残っていた。彼女の容貌は血の香り漂う場にありながら、それでも研ぎ澄まされた鉱石のように美しかった。褐色の瞳はすでに迷いなく、まっすぐに前を見つめている。

 槍を水平に構え、拳をリィナはオルドーに突き出した。


「楽園で、また会いましょう」


 不慣れが故に異常に儀式的な所作となった姪の姿に、オルドーは微笑む。今度は隠すことはしない。そして、オルドーは何も言わずにリィナに背を向けた。代わりに手をひらひらと振って応える。


「おう。自分で言っといて何だが、お前達はゆっくり来いよ。まだ早いからな」


 自慢の大斧を振りかざし、戦場に駆けていくオルドー。その姿を目に焼き付け、リィナは再び仮面を被る。

(叔父貴。本音を言うなら、もっと色々と教えてもらいたかったよ)

 己の瞳に光るものを隠すために。



 時は進む。ここまでくると、最初にあった反乱兵が持つ優位は完全に失われていた。


 騎兵突撃開始。その報を同僚から受けたシルクは態度に出さないものの、内心で拳を握りしめた。

 一番の不確定要素だった近衛騎士の存在。少ない情報から手繰り寄せた戦略がうまく動いている。確かな手応えを感じていた。

 ここまで来れば勝ちは近い。しかし、これは訓練ではなく実戦だ。ここから先、まだ何があるか分からない。


「周囲を警戒。少しずつ前進して、アゼル達と合流しよう」

「了解」


 シルクの返答を受けて、兵はすぐに伝令を伝えていく。疲労もあるだろうが、これまでの成功が心と体を支えているのか動きが良い。

 シルクの部隊に死者も出ていない。正直、うまく行き過ぎている。しかし、シルクはそこに慢心も疑念も持つことはない。


 ただ、自分を信じて策をすすめるだけだ。


「ふん、思ったより女々しい顔をしてる」


 すぐ背後から聞こえた声に、シルクはとっさに前に飛んだ。ズンッ、と重い金属音が大地をえぐる振動が地面から足が離れているのにシルクに伝わってくる。

 振り返ると、シルクが先程までいた場所に戦斧の刃が突き刺さっていた。その大きさは、シルクが実際に見たことのある斧を遥かに凌駕している。


(敵将!?)

 シルクの瞳はアルテの民族衣装をとらえていた。顔には歴戦の印として、大きな傷跡が残っている。

 その威圧感。それもシルクには、憶えがない。背に冷たい汗を感じる。


 しかし、そんな窮地にありながら、シルクは冷静に周囲を見渡す。

 部隊は前のめりになって後方の事態に気づいていない。それでも、数名が事態に気づいて近寄ろうとしている。しかし、彼らが近接するよりも、男が持つ戦斧の刃が自分に届く方が早い。

 シルクは一つ息を吐いて、緊張で重く感じる剣を構え直した。ここは濃厚な死の気配に、真正面から向き合うしかない場面だ。


「ほぅ」

 斧を持ち上げ、オルドーは不敵に微笑む。


 この戦場に流れる風を変えたのは、戦場に飛び込んだ若い兵士。情報と勘から当たりをつけて、オルドーはシルクのところまでやってきた。そうしてオルドーが見つけ出した敵将は、想像していたよりもずいぶんと優男である。


(戦士とは違うが、いい目をしている)


 しかし、その眼光に弱さはない。その輝きは、オルドーが感嘆を覚えるほどだ。


 己の怯えを自覚しながら、なお勝機を見出すために研ぎ澄まされている。シルクの紫眼は、そんな希望に満ちあふれていた。


 オルドーは久々に沸き立つ血の感覚を覚える。彼が相手なら、存分に戦士として戦えよう。

 オルドーは己の誇りを込めた力強い声で、名乗った。

 

「我はアルテ族長・・、オルドー・アルテ・ボルケア。若き将よ、我と刃を交えよう」

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