第17話 立ち上がる意思

 足音も慌ただしく男が駆けている。彼の名はオットマーの従者、デゼウ。

 本来、どんな酷な任務にも表情一つ変えず行う彼であったが、その顔は真っ青になっていた。


 思いも寄らぬ出来事が起きた。早く、報告をしなければいけない。

 この口から出さねば、破裂してしまいそうになる。


「失礼しますっ!」

 ノックをする余裕もなく、デゼウはオットマーの部屋へと飛び込んだ。

 

「騒々しい、何の騒ぎだ」

 そんな彼を、オットマーは一喝する。しかし、すぐにデゼウの様子がおかしいことに彼も気づいた。

「……どうした?」


「ご、ご報告があります」

 いつもならオットマーの顔色を窺い、彼の表情を確かめてから話し始めるデゼウ。しかし、切らした息もそのままに口を開こうとしている。見るからに余裕がない。

 挙動不審で、何から話すべきか思案すればするほど言葉が出てこなくなっている。

「なんだ、早くせんか」

 そんな彼の態度に苛つき、オットマーは声を荒げた。


「フェルデンが……」

 出てこない声を、なんとか絞り出すようにデゼウは告げた。それは、オットマーがこれまで護ってきた地位の崩落を意味する言葉。


「フェルデンが陥落しましたっ」

「なっ」

 オットマーは我が耳を疑った。デゼウはいったい何を口走っているのだろうか、と。冗談にしては面白くない。

 

 しかし、デゼウは冗談を言えるほど器用な人間ではない。それでも、彼の言っている内容をオットマーは理解できなかった。それだけ予期せぬ出来事である。

 フェルデン陥落。それが本当であれば、北部軍の根幹を揺るがすものであった。


 フェルデン。それは北部と中央をつなぐ道を険しい山道をふさぐように位置している砦の名だ。

 北部の有事の際、中央を防衛するために備えられた。その誕生理由から守りは堅く、中央からも将軍が派遣されている。オットマーに指揮権は半分ほどしかなく、中央軍が直接支配下に置いている。

 それだけ、北部地域だけではなく、ヴェレリア王国全土の中でも屈指の重要地域となっているのだ


 そこが落とされた、とデゼウはいう。故に、信じることを頭が拒否した。オットマーの心境としては、そちらのほうが的確だろう。

 

 フェルデン陥落、それだけでも思考が混乱している。しかし、デゼウの報告はまだ終わらない。

「各地で武装勢力が一斉蜂起ほうき、すでに制圧された拠点も多数。そこから敵勢力がこの城に向かって進軍を続けているとのこと。防衛線はことごとく突破され」

「もういい!」

 デゼウの報告を、オットマーは打ち切った。

「何と言うことだ」

 そして、頭を抱える。オットマーの脳裏に、中央での出世の芽が途絶え、この北部にやってきた時の事が思い出されていた。

 とにかく、何でもいい。この事態を何とかしなければならない。

「どちらにせよ、こんなことをしてる場合ではない。デゼウ、城に残る兵士を集めろ!」

「りょ、了解!」


 デゼウは部屋に入ってきた時よりもさらに慌ただしく、部屋の外へと駆けていった。


「こんな、こんなことがあってたまるか」

 オットマーはがっくりと項垂れる。事態が深刻なことは分かっているが、肝心な理解が追いついてこない。


 あまりにも急を要している。このままでは、地位としての首どころか、現実の首にもオットマーは寒気を感じている。

「何か、何かないか」

 この窮地をひっくり返せる何かがないだろうか。オットマーは部屋の壁を見つめる。そこには北部地区の地図が広げられていた。


 デゼウの残していった情報を地図に散らす。すぐに、絶望的な状況がオットマーの目の当たりになった。

 現在、争いの起こっている地域は見事なほどにダーボン城を取り囲んでいる。いくつかの要地はこの城から救援を送り出せば助けられるかもしれない。

 しかし、そういった行動を取れば取るほど、ダーボン城自体の守りが手薄になる。敵勢力は、それも見越して兵力を配置しているようだ。この動きの速さ、もしや、寝返っている民衆もいるのやもしれない。

 そうなると、思わぬところから剣がオットマーに届いてくる可能性が高くなる。敗北も、現実味を帯びてくる。全容がいまだに見えてこない現状では、突破口も作れない。


 ――局地的な対策ではなく、大局的な観点での対処を……。


 忌まわしき銀髪の士官の声が、今更になってオットマーに突き刺さってくる。どうやら、敵勢力はあの紫眼が見通していた通り、すでに準備を終えていたようだ。

(ふん、もうどうにもならんわっ)

 自暴自棄になりそうなところで、ふと、敵の包囲から外れた拠点が目に入った。皮肉にも、先程思い出した者を配置した地区。オットマーが私情も込めて、自分から遠ざけた部隊。

 その存在に気づき、彼は笑いをこらえられなくなった。


「そうか、シルクか。奴らがいたわっ」


 英雄の相、とレスティーナ殿下お付きの騎士は言っていた。懐疑かいぎ的な話だ。最初から英雄になれる存在が決まっているのであれば、やりきれない。

 しかし、実際にシルクはそういった運を持っているようだ。こうして、戦局を動かす切り札となりうる存在にはからずもなってしまう。

 今は存分に、その運命とやらの上で踊ってもらうとしよう。吹っ切れたオットマーの笑い声が高く響いていた。



 敵勢力の武装蜂起、そして、ダーボン城包囲の報が入るよりも早く。シルク達はすでに部隊を展開させていた。


 各地の拠点が攻撃されている。そんな話が聞こえてくるよりも前に、シルク達が敵の行動をつかんでいた。シルクはダーボン城にも使者を走らせていたのだ。

 しかし、伝令は間に合わず、敵勢力の奇襲は成功してしまっていた。

 ただ、シルクに焦りはあっても行動は冷静だった。それならそれで、やるべきことは決まっている。シルクはたかぶる心を抑えつつ、己の策を実行に移していた。


「皮肉なものだな」

「ラドーア?」

 新兵として配属されたシルクの教育係として指導してきたラドーア。彼はそのまま正規配属として、シルクの配下に居座っていた


「相手が動き出したから今だからこそ、目立たずに行動できるとは」

 本来、シルクが向かおうとしていた場所は敵の戦力が集中しているところであった。しかし、現状、各地を奇襲する為に多くの兵が分散されている。確かな情報として、シルクはつかんでいた。


「まだ、分かりませんよ」

 シルク達の目的は単純だ。敵本陣、敵総大将の撃破。大きな意志を持って動いている反乱の頭を潰す。


 そんな目的だから、必ず敵の妨害があるはずだ。これまでにない、大規模な戦闘が起こることは予想できている。

「もうすぐ、敵兵の本陣近く。これから先は正面衝突です」

 そんなシルクの言葉に、ラドーアは大げさに驚いた。


「ほっほ。驚いた。策を練っていたかと思えば、とんだ力業ちからわざだな」

 驚きは本当であろうが、ラドーアの口調はおどけが入っている。シルクが本気で「正面突破」といっていることがラドーアには分かっている。そして、緊張で表情が硬くなっていることもラドーアには分かっていた。


 だから、多少冗談めいた言い回しをラドーアはしているのだろう。シルクはそう感じ取る。自分の緊張をほぐそうとしてくれているのだ。

(この人は最初から変わらないな)

 シルクはラドーアの気遣いはありがたいと思っている。しかし、元教育係といえど少々過保護だとも思っている。同時に、そんな感情を自分に抱かせてくれることをシルクはラドーアに感謝していた。

 

 シルクはわざと表情を崩して答える。アゼルとは別方向で、ラドーアはシルクにとって信頼できる人物であった。


「策では、すでに後手を踏んでます。もっと、早くに動けば良かった」

 後悔は尽きない。それでも、だ。

「でも、まだひっくり返すことはできますから」


 治安維持の傍ら、情報収集に勤しんだシルク達は騒動を引き起こしていた黒幕の存在を掴んだ。地元の住民の信頼を得る為に治安維持に本気で取り組んだ。その成果として、舞い込んできた情報だ。


 その報によれば、相手は『アルテ族の亡霊』である。


 あのエンブル砦の一件以来、全く目立っていなかったアルテ族。彼等の勢力圏は小さくなり、たとえ今一度剣を手に取ったとしても、取るに足らない存在となっていた。少なくとも、北部軍の本営はそう考えていただろう。

 しかし、それは間違っていた。彼等は完全に陰に隠れて牙を研いていたのだ。しかも、本来アルテ族とは相容れない存在である他民族、さらに不満が溜まっていた王国の入植者まで味方につけていると聞いた時は、さすがにシルクも耳を疑った。


 彼らは本気だ。そう分かっていたつもりだったが、シルクは本質的なところで分かっていなかったのだ。


 それだけ戦力を集めてゲリラ活動をしていれば、今回のように多角的な攻勢も可能だろう。シルクがその結論へと辿り着いた時にはすでに遅く、彼等は大きく動き出していた。もう、その波を止められない勢力となって。


「もちろん、ラドーアにも力は借りますよ。ここから先は、相手も死に物狂いですから」

 しかし、まだ負けたわけではないのだとシルクの目に淀みはない。


「おお、怖い怖い。しかし、まぁ、ここまでアルテ族の連中がからめ手でくるとは誰も思わんて」

 ラドーアの経験をもってしても、ここまで精錬した動きを見せてくる相手はいなかった。しかも、それがアルテ族とは今もなお信じることができないような気持ちになる。


「ええ。指導者は全体がよく見えている」

 俯瞰した視点。先行きを見通す思考。敵にすると、これほど恐ろしい相手はいない。


「でも、だからこそ、ここで本陣を落とすことができれば」

 緻密な連携で積み重ねられた、彼等の戦略は一気に崩れる。強固な策も足元がおろそかでは立っていられないのだ。

 シルクの読みでは、アルテ族に本来そこまでの指揮官はいない。いるとすれば、記録にも記憶にも残っていないまさしく亡霊のような存在だ。

 しかし、その亡霊さえ消えてしまえば悪夢から覚めることができるだろう。


「先行するアゼルの部隊が、そろそろ接敵するはずです」

 シルクの言葉に、多少の憂いが感じられた。

「あの坊主なら大丈夫だ。おまえはおまえの仕事をすればいい」

 ラドーアは意図的に、力強く言い放った。


「はい、そうします」

 これから先は一つも間違えてはいけない。シルクは張り詰めた空気の中、大きく息を吸い込んだ。

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