第7話 動乱の足音

「すごくね、俺達ってすごくね? こんな簡単に勝てるもんなのか」

「いやいや、簡単じゃなかったろ。マジで死ぬかと思った……実戦の緊張感、半端じゃないな」


 若い兵士の声が外の広場から聞こえてくる。


 耳に届く感想はさまざまだ。だが、戦を終えた高揚感そのままの状態で盛り上がっているのは感じることができる、期待であり、不安であり。様々な想いをもって野営の火を囲んでいる。おのおのの思いを、隣人に吐露している。


「んー」

 そんな喧騒けんそうから外れた場所で、シルクは一人冷めた思考を巡らせていた。感謝してもしきれない。そんな様子だった解放された村民から借りた部屋で、シルクは周辺の様子が描かれた地図を睨んでいた。


 今回の戦闘。シルクは殲滅せんめつ戦を仕掛けていた。


 シルクが思い描いてたのは、完膚無きまでの勝利。それでいて、こちらの被害は最小限に抑えなければならない。

 もちろん、相手への情はある。できるなら、敵であろうと無闇矢鱈むやみやたらに命は奪いたくない。

 しかし、シルクは己の優しさを封じてでも、反抗勢力である今回の相手を再起不能に陥るまでの大損害を与える必要があった。ここで逃してしまえば、別の集落に被害が広がってしまう。すべてを救う、という大それたことができる力量は冷静に考えればシルク達にはない。それでも、少なくとも、自分が担当したこの地区だけは救わなければならない。


  だからこそだ。シルクはわざと包囲陣に穴を開けた。不利を悟った敵の陣営は、その穴に流れ込んだ。その先に、準備万端で待ち受ける部隊がいることも知らずに。

 死を覚悟した者と対峙するには、シルクを含めて皆の練度が足りない。出来る限り、味方の精神的な優位を保ちたかった。逃げを選択した相手に、気持ちで負けることはない。


(新兵でもできる簡単な仕事、か。確かに、そうだったんだけどね )


 北部軍は、シルクに任せた部隊に多くは期待していない。少なくとも何名かは失うことを予想しているだろう。分かりたくなかったが、分かってしまう。多少なりとも兵士を消耗品扱いしているところがあるが故の戦略を与えられているのだから。

 それへの反発もあって、安全策をとって夜襲を選んだ。強襲する手もあったが、シルクは選ばなかった。戦場で散る覚悟はできていても、こんなところで死ぬわけにはいかないし、預かっている命もむざむざ散らせるわけにはいかない。


 結果、味方に死者は出ず。何名か逃したが、敵はほぼ壊滅状態に。シルクのたてた戦略は、このようにうまい具合にはまったのだ。


「……うん、できすぎてる」


 そう、『うまい具合に』、だ。シルクの予想以上にうまくいきすぎている。


 生まれた違和感は、時間が経てば経つほどに大きく膨れ上がっていく。それが払拭できなければ、安心して次のことを考えることができない。

 そう、だからこそ、シルクはまだ一人戦場にいる。剣をかたわららに置いても心は武装解除もできていない。


「おまえがそういう顔する時は、決まって嫌なことがあるんだ。なぁ、何が引っかかってるか言ってみ? 」

 黙り込んだシルクをしばらく見つめていたアゼルは口を開く。彼もまた、すぐに動けるように心の準備は万端であった。


 あれだけ剣を振るった後だというのに、疲れを一切見せていない。独特の緊張感を保ったまま、シルクの視線の先を覗き込んだ。

 とはいえ、地図を見たところでシルクのように俯瞰ふかんですべてを見通す目をアゼルは持っていないのだが。彼の強みは刻一刻と変化する戦場への対応であり、シルクとは得意分野が違う。

 

「説明できるなら、こうして悩んでないんだけど」

 いつになく不機嫌な様子で答えるシルクに、アゼルは大きく息を吐いた。

「まぁ、俺も似たようなものか。いつも・・・と違うのが、何か気持ち悪いだけだしな」

「いつも?」

 いつも、とアゼルが発した時にシルクの目が大きく開いた。


 シルクが違和感の正体にたどり着けない理由、それがアゼルの一言で分かったかもしれない。その理由とは、シルクにとって今回が初めての『実戦』だからだ。


 その点が、アゼルがシルクより優位に立つ点である。

 アゼルは士官学校に入る前、傭兵稼業に手を染めていたとシルクは聞いたことがある。自分の頭の中に描いていたものとは全く違う世界に大変驚かされたことを、シルクは昨日のことのように思い出せる。

 今思えば、アゼルの話を聞いたあの時、シルクの本当の覚悟が決まったのだ。ぼっちゃん思考と揶揄やゆされながらも選んだ道であったが、アゼルの話を聞けば、なるほど自分は本当は分かっちゃいないと思い知らされた。

 いつまでたっても、彼の話はシルクにとって指標となってくれる。


「いつも、いつも、かぁ」


 そう、アゼルはシルクの知らない世界を知っている。その彼が、気持ちが悪いと言っているのだから、間違いない。

 シルクは目の光を強める。ようやく、確信が持てた。今回の戦いは、最初から全てがおかしいのだ。


「アゼル」

「ん? 」

 シルクはゆっくりと言葉を紡ぎ出す。


 「君の見てきた戦場は、いつも・・・、こんなに綺麗かい? 」


 ぼそり、と呟いたシルクの一言。それを聞き、今度はアゼルが目の色を変える番だった。

「いや、違うな。いつもは、もっとひどいもんだ」

 思い出すのは血の臭い。耳にこびりつく悲鳴と嗚咽。


「ここは、もう明日から日常に戻れそうなんだけど」

 シルクにそう言われて、アゼルの中でもはっきりと違和感が形になった。


「俺もそこまで経験ないけど、かなり珍しいんじゃないか。ここまで無事な状態なのは」


 目を閉じたアゼル。そのまぶたに焼き付いているのは、救出の遅れが生んだ惨状。そこまでいかなくても、山賊に襲われた村というのは悲惨なものである。


「捕らえたやつが言ってたな。略奪が禁止されてたって。その時は、何だって、そんなことするんだと思ったけど」


 思ったけれども、アゼルの中でそれがおかしいことだと感じるまではいかなかった。何事もなく解放できた安堵感と、シルクの戦略がうまくいったことへの喜びで隠されてしまったのだ。

 それはシルクも同様だった。初めての任務への緊張感、北部軍への対抗心、勝利を渇望する功名心、この道を選んだことを後悔したくないという己への圧力。

 その全てが、シルクに気づかせなかったのだ。


「相手の思考は、山賊などと言えるほど短絡的じゃない。そうだ、この土地を手に入れるつもりなんだ。だから、住民を敵に回したくなかった」


 この戦いは前提から間違っている。山賊相手の討伐戦ではなく、未知の敵からの侵略に対する防衛戦。

 初めから大きな思惑に動かされていたことを。シルクは今、ようやく気づいたのだ。


「そういや、逃した連中がいたな。シルクが用意した道を通らずに」

「うん、最初から撤退する気でいた。誰かが攻めてきたら、すぐにね」

 すぐに拠点を放棄して移動するつもりだった。戦力を十分に残したままに。それが壊滅状態になってしまったのは、相手の誤算であろう。

 シルクという、異質な存在に対処できなかったのだ。


「おそらく、本来の目的は末端の人間には知らされていない。だから、僕達の包囲から逃げれたのは、知っている指揮官レベルの人間だけ」

「マジか。じゃあ、そいつらはどこへ行ったんだ」

 シルクは再び、地図に意識を集中させる。自分達の現在位置、他の部隊が対処している襲撃された集落、そしてダーボン城。ぼんやりと全容が見えてくる。だが、霞がかったようにはっきりしない。

 何か足りない。この絵には、もう一つ決定的なピースが必要だ。


「でもさ、新兵が出なきゃいけないなんてよっぽど人手不足なんだな」

 ぐるぐると回転する思考に、外からの話し声が混ざってくる。

「あー、あれだ。何か大きな祭りやるらしくて、そっちに結構人を送ってるらしいよ」


(祭り? 光神教のそれとは時期がずれてるし……まさか、そういうことか?)

 祭り、それはすなわち大きな式典。その言葉がシルクの記憶を引き出す。


 近くに、北部統合を記念した祭事が予定されている。北部の先住民族は、ヴェレリア王国の統合に不満を持つ者も多いと聞く。毎年、この時期は多かれ少なかれ反抗が起こるものだから、各地の警備は厳重になる。だが、それだけではない。


 王国は、自らの力を見せつけるために特別な人物を用意してはいなかったか。


「それだったら、すべてがつながる」

 ピースは見つかった。地図の上に描いた絵に、ダーボン城と王都ヴァレオを連絡する道を加えた時、ある砦が浮かび上がる。

 その瞬間、自らの血の気が引くことをシルクは感じた。さすがに、ここまでの事態は予測できていなかった。


 震えそうな声を隠しつつ、シルクはアゼルの目をまっすぐに見つめる。

「アゼル、伝令役をダーボン城に。そして、兵の状態の確認を。動ける者だけでいい、すぐにここから発とう」

「今から? ……そんなにヤバイのか」

 シルクの顔色に、アゼルは只ならぬ気配を感じ取った。

「分かった、その辺は任せておけ」

 アゼルの背中を見送って、シルクは大きく息を吐いた。握った手が震えているのを感じる。


「僕達が一番近い。それでも間に合うか、どうか」

 そして、間に合ったとしても対処できる事案かどうか。だが、気づいてしまった以上何もしない選択肢はない。

「やれるだけ、やってみよう」

 自らに言い聞かせるように呟き、握った拳で胸を叩いた。弱気の自分を追い出すために。

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