第8話 死地への反攻

 北部地域と中央を結ぶ街道。北部有事の際に、軍隊が通れるように切り開かれた。しかし、岩盤がんばんは固く道を作る作業は困難を極めたという。

 ところどころ、無理ができずに諦めたのだろうなと当時の状況をしのばせる場所が残っていた。そういうところは、確かに広くはなっているものの足下は険しく、歩きづらさは森の中に匹敵した。


 そんな過酷な道中の中でも、かなり道が細くなっている場所に目指すべきエンブル砦があった。どうしても疲れのたまる道中に設置された休憩場所のようなものだ。

 

 ――ここは、僕が自分の眼で確かめてくる。

 

 シルクはそう言って、自ら隊を離れて歩いている。偵察をかって出た者の心意気を制してでも見てみなければならないと思ったのだ。見て、確かめて、すぐに判断しないと手遅れになる。そんな予感があった。

 

 野営地を出たのが、ずいぶん前のことのように思える。能力的にはの者に託した方が上策であっただろう。実際、足の速い者であれば帰路についている頃である。

 だが、焦る時ほど慎重にいかなければいけない。万が一の見落としも合ってはならない。自分の予測が外れているのであれば、それでいい。それでも、おそらく予想通りの光景が広がっているのだろうと思うと心は急いた。


 シルクは前に、前にと足を進めた。護衛役に同行しているリデロが、ちらちらとシルクの様子を確認している。

 彼はまだ、なぜ、シルクがこうも必死の形相をしているのか、知らなかった。


 だからこそ、その光景を目の当たりにした時に思わずつぶやいてしまった。

「こりゃ、大事おおごとだ……」

 正直なところ、シルクも背筋に冷たいものを感じていた。頭の中で、どれほど真実に近い想像をしようが、現実の衝撃には負けてしまう。

 エンブル城を見下ろせる高台に辿り着いた紫の瞳に映った光景は、最悪を想定したシルクの予想をわずかに下回っただけであった。


 かつて、北部地域平定の際に活躍したエンブル砦。その石壁は、新たな脅威の侵攻に耐えている真っ最中だった。

 砦は完全に包囲され、未知の敵兵の自らを鼓舞する声が辺りを支配している。攻めに対抗している者の姿はここからはよく見えない。


「リデロ、君なら砦の中に兵の姿が見えるだろ。分かるだけでいい、どんな人達だい?」

「え、あ、うん。そっすね」

 シルクに促されるように、リデロは目をこらす。その目は、シルクの部隊にいる者達の中で最も遠くまで見通すことができる。言うなれば、鷹の目のごとく。

「あー、ずいぶん、形式張った鎧っすね。あれ、どっかで見たことあるような気が……。もしかして、騎士ナイトだったり?」

「うん、君なら知っていると思ってた」

 半信半疑のリデロの報告に、シルクは力強く頷いた。まさか、こんなところにいるわけない。そう、自分の目を疑っていたリデロはその目を丸く、大きくさせる。


「リデロ、周囲を警戒。僕は出来る限り、ここで策を練る」

「りょ、了解!」

 冷静なシルクの言葉でリデロは慌てて腰の剣を抜く。その背中を一瞥いちべつし、シルクはすぐに戦場に視界を戻す。


『たとえ、戦場であれ皆が生き残るすべを見つけだす』


 どれだけ甘いと言われようが、理想を軸にするシルクの考えは変わらない。犠牲を伴う覚悟をすることと、誰かが死ぬのは仕方ないことだと割り切ることは違う。

 その瞳は、この死地にあって、皆が笑い合える未来へ続く道を見つけ出そうと、鋭く輝いていた。



「マジか。よくもってたな、あの砦」


 野営地に戻ったシルクから現状を聞いたアゼルは短く嘆息した。

 北部を平定するため、かの戦役中に突貫工事でつくられた砦は、今では穴だらけで使い物にならない。それこそ、見た目だけ整えた、ただの休憩地点だ。

「すげぇな。あんなところで防衛戦なんて、気が狂いそうになるぞ。俺一人なら、まだしも……あれだ、姫さんがいることだしな」

 そんな守るには向かない場所で籠城ろうじょうするしかなかった兵士達には多大な同情を、そして同時に一晩敵兵を押しのけたことへの素直な感嘆をアゼルは覚えた。


「数は少なくても近衛兵。そして、騎士ナイトの一族だ。一人ひとりの力量と、覚悟が違うよ。恐らく、頭の切れる人もいるから統率もとれていた」

 シルクは緊張感を持った口調のまま続けた。

「でも……、それも、今日援軍がくることを見越しての采配だと思う」

「だな。まさか、北部軍が散っているなんて思っちゃいないだろうし」

 アゼルはシルクから聞いた状況を思い返す。


 シルクの見立てはこうだ。

 エンブル砦に立て籠もっているのはレスティーナ殿下とその御一行。レスティーナはヴェレリア王レザックの妹で、まがい物でも何でもない正真正銘の王族だ。北部平定の式典で王国側が威信を見せつけるために派遣した。

 だが、それは襲撃した相手から見ても同じである。もし、彼女に何かあれば王国の威信を地に落ち、敵対する者の戦意は最高潮となる。

 

「それで、相手は?」

 だからこそ、今回のシルク達の相手はただの犯罪者ではない。国家転覆を狙う、大いなる野望なのだ。

 そのことに気づいたとき、戦慄せんりつを覚えたものの、シルクはそれならどうするかに舵を大きく切ったのだった。

 

「ほとんどが昨日と同じ。ならず者の集まりといった感じだけど、他国から流れてきた傭兵の姿も見える。よくあれだけの人数を集めたよ。各地で武装蜂起しているというのに、それでも砦を包囲するには十分。逃げ場所も見つからない。それに……」


 一つ息を吐くと、シルクは眼前の地図から目を離して天空を見上げた。


 敵兵は、寄せ集めだ。統率がとれていない。もし、この窮地きゅうちを打破するのであれば狙うのは、その一点だろう。


 それでも、シルクには大きな懸念材料があった。有象無象の敵兵達。その中で洗練された動きを見せている者達がいた。

「遠くから見ても、すぐに分かる。戦いの神を模した、独特な民族衣装。間違いない、アルテ族だ」

 彼らの結束力は強い。その切り崩しには多大な労力が必要だろう。いや、むしろ、そこは別の策を模索した方がよいのではないかとシルクは思った。

 

「あー、最近大人しくしてたのにな」

 アゼルはその名を聞いて、頭を書いた。その勇猛さは、アゼルにも覚えがある。

 

 アルテ族。

 北部地域の先住民族の中でも、ヴェレリア王国の平定の際に最後まで反攻を続けた最大部族である。それ故に、現在は厳しい炭鉱での労働を強いられるなど、王国から強く押さえつけられている者達だ。

 

「ただでさえ面倒な連中なのに、こうもからめ手をされると更に面倒だな。そんなことをする奴らじゃないはずなんだけど」

 アルテ族は幼い頃から男女問わず戦士として教育される。戦地に散った死者は楽園で安寧の時を過ごせると信じている彼らは死ぬことを恐れていない。

 そんなアゼルにしてみれば、夢物語のようなことを本気で信じている。相手にするのは、正直億劫おっくうだとアゼルは思っていた。

 

「もし、この戦いに彼らが勝利すれば、もっと面倒なことになるよ」

 再び地図に書き込みを始めるシルクはぼそりと呟く。


 この砦を占拠すれば、反乱軍は同時に王妹殿下を手中におさめることになる。それは、各地でくすぶっている王国への敵対勢力に可能性を示すことになる。

 王国側のシルクですら、擁護ようごできない問題を王国は抱えているのであった。

『自分達は勝てる』、その想いが炎となって一気に燃え広がる。そんな未来がシルクには想像できるのだ。

 殿下自身の使い道も、王国への交渉材料、他国への協力要請など新たな展開へつなぐことができるだろう。

(もし、隣国と協力をしはじめたら、さらに面倒になるな)

 シルクは国境線を指でなぞって、大きく息を吐いた。


「それで、俺はどうすればいい?」

 シルクの筆が止まったタイミングでアゼルはニヤリと笑って、彼の命令を促した。その目に一つの曇りもない。

 

 ――おまえなら、それでも何か思いつくのだろう?


 そんな信頼やら期待やらが混じった瞳が挑むように見つめてくるのだから、穏やかでない状況だと言うのにシルクは笑みをこぼした。

「うん、じゃあ、皆に伝える前に聞いてくれるかい?」


 シルクの口から出てきた策を、アゼルは神妙な顔で受け止めていた。少し引っかかるところがあるのだ。それを彼は隠すことなく表情に出している。

「なぁ、それって、おまえが前に出る必要があるか?」

 今回の戦いは、どう考えても混戦になる。


「ああ、そうでないと皆が動けない」

 そんな激戦必至の状況で、シルク自身も前線に飛び込むというのだ。


「伝令ができないからね。行動で次を示すしかない。ちょっとの不足で全滅する恐れがある」

「まぁ、そうなんだけどな。それでも、おまえに何かあったら、それこそ全部終わりだぞ」

 おまえが語っていた理想だって終わってしまう、そう言葉を続けそうになってアゼルは口を閉じた。これ以上は兵としての言葉ではなく、シルクの友人としての想いになってしまう。

 それは避けなければならないと、アゼルの本能が止めてくる。それはシルクを支えると誓った、アゼルの譲れない信念であった。


「まぁ、うん、だけどなぁ」

 しかし、に落ちないのは変わりがない。アゼルは納得がいかない表情は崩していない。


「色々考えたけど、この策が一番確率が高い」

 何の、と口を挟むことをアゼルはしない。彼の言う確率、それは『皆が生き残る』確率のことだ。それをアゼルは知っている。

 そして、シルクはその綺麗な顔に似合わず頑固者だということをアゼルは嫌になるほど思い知らされているのだ。


 アゼルは観念すると、大きく腕を上に伸ばした。

「分かった! もう、いい。その辺はシルクの好きにしろ。でも、これだけは言わせてくれ」

 アゼルは大きく息を吸い込むと、真っ直ぐにシルクを見た。


「おまえを守れって言うんだったら必ず守ってやる。そんなの気にせず、敵将の首を獲ってこいっていうなら獲ってきてやるさ。あと、味方を死なせるなっていうなら絶対に死なせたりしない。あー、で、何が言いたいと言うとだな」

 自分の迷いも振り切るように言葉を続けると、アゼルは拳を突き出した。

「俺をうまく使ってくれ。頼んだぜ、大将!」


 一瞬目を丸くしたシルクは、すぐに頬を緩ませると彼の拳に自らの拳を軽く合わせた。

「分かった。君に失望はさせない」


 エンブル砦攻防戦。

 後の人々に語り継がれることになる英雄譚。その最初のページが、ここから始まるのであった。

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