ある廃墟の前日譚 其の一

───ドン、ドンッ。


「……ッ!」


 人ならざるモノの力を叩き付けられ、閂が悲鳴を上げる。


「******!」


 人ならざるモノの声が響き、脳が警鐘を鳴らす。


「くそ、くそ、くそ……ッ!」


 恐怖と、憤怒と、後悔と、絶望とが混じり合った最悪の感情が、思考を掻き回す。


 俺はきっと死ぬ。必ず死ぬ。直ぐ死ぬ。

 手元にははした金とナマクラ、そしてここで見つけた、得体の知れない液体。勿論、こんな物ではこの状況を打開するには到底至らない。数秒の後、俺は生還を諦めた。

 やるに事欠いて書き始めた遺書も、この土壇場になってどうでもよくなり、文の途中で羽ペンを放った。


「*****───!!」


 獣のそれとは一線を画す叫び声が響き渡る。さっきよりも強く扉が叩き付けられているらしく、すでに無茶な方向へ曲がった閂は限界を迎えようとしていた。

 ──そろそろ、観念するか。

 どす黒い色をした、いかにも毒薬であろうという液体が詰められた瓶を開く。


「ッ……覚悟、決めろ…」


 震える手を押さえつけ、瓶の口を歯で噛み咥えた。


「ふーッ、ふーッ……」


 ゆっくり、ゆっくりと瓶を傾けてゆく。それに比例して呼吸が荒くなり、瓶の中で液体が細かく揺れるのが見えた。

 そして瓶が地面とほぼ平行になり、いよいよもって死が流れ込もうとし──緊張が振り切れ、瓶を思い切り傾けた。中身は一斉に喉へ流し込まれ、その鈍重な味を胃が拒否しようとしたが、喉を締めて嘔吐を防いだ。

 別段苦しい訳ではなかった。だが、もはや立っているのも嫌になったので、床へ大の字に倒れた。結局、正体のわからないまま飲んだこの薬は一体なんだったんだろうか。と考えたりもしたが、間もなく身を以て体感することになるだろうからすぐに止めた。


 何度か激しい打撃音が響き渡ったあと、最後に一際鈍い音が鳴り、閂が断末魔を上げて落ちた。


 乱暴に開かれた扉から魔物がわらわらと入ってくる。棍棒と言うには些か不恰好な石の塊を手にしており、見たところオーク種のようだ。奴らは知能こそ低いものの、身体能力は人間を軽く上回る。魔法が有効だと聞いたが、生憎、魔法は不得手なんだ。……故に、相性は最悪だった。

 まぁ、どうせすぐ死ぬんだから関係ない。


 一匹のオークが俺に近寄ってきた。

 毒はまだ効かないのだろうかと、不思議な焦燥が起こる。


「****?」


 何か、仲間と話してる?

 ……ああ、俺がぴくりとも動かないから、死んでるのかと思ってるのか。


「*****!**!」


 怒号が飛んだ。おおかた"とっとと殺せ"みたいな事を叫んでいるんだろう。

 息を荒げたオークが腕を大きく振って歩いてくる。


 と、ここでふと気が付いた。


 ……意識は、はっきりしている。苦しみもない。薬を飲んだ時と、何一つ変化がない。

 毒が、効いてない?

 いや、違う。

 毒じゃなかった。単にそういう事だろう。


「…なんだ、紛らわしい物、置きやがって」


 振り上げられた石の塊が、徐々に視界を覆っていく。時の流れが遅くなっているような感覚だ。死の直前に起こる現象だとよく聞くが、あれは本当だったのかと、どうでもいい事を考えた。

 そうして頭蓋が砕かれる直前、最大限の敵意を込めて最期の言葉を吐いた。


「クソが」




















 ぼこっ。


 ぼこぼこぼこ。


 ぼこぼこぼこぼこぼこ。


 ぼこぼこぼこぼこぼこぼこ───────。




 湯の沸くような音で目が覚めた。


「……な、んだ──?」


 死んでない?まさか。たった今、頭を叩き潰されたはずなのに。

 立ち上がって周りを見てみると、オークどもが目を丸くしてこちらを見ていた。


「*****!***!?」


「****?*****!」


「****!!」


 混乱も束の間、オークの一匹が飛び出してきて、胴体へ向けて容赦のない横薙ぎをしてきた。


「───っぁぐ」


 咄嗟の出来事に何が何だかわからず、俺はただその直撃を受け、一転、二転としながら壁に激突した。


「があっ!あ、がっ、はっ、がはっ……げ、えぇっ!」


 痛い。痛い。痛い。息ができない。苦しい。骨か、内臓か、とにかく身体の中身がぐちゃぐちゃになっているような激痛に脳を焼かれる。

 直後、胃がひっくり返ったような嘔吐感を覚え、たまらずその場で吐いた。

 しかし、出てきたのはさっきのどす黒い液体ではなく、胃液のようなものばかり。こんな短時間で消化されるものなのだろうか。……しかし、その思考は無慈悲な追撃の前に打ち消された。


「待ッ、で」


 回避行動など出切る訳もなく、激痛の渦の中、目の前に落ちてくる石塊を眺めている他なかった。ごどん、と、いやな音が聞こえた気がした。




















 ぼこっ。


 ぼこぼこぼこぼこぼこ。


 ぼこぼこぼこぼこぼこぼこぼこぼこっ。


 ぼこぼこぼこぼこぼこぼこ───────。




 ほんの数十秒前にも聞いた音で、目が覚めた。


「………嘘、だろ」


 今、確かに死んだ。胴体を殴られ、おそらくは骨や内臓がぐちゃぐちゃになって、最後には頭を叩き割られて。

 だけど今、こうして何の問題もなく立ち上がれてる。不自然なんてものではない。状況の理解ができない。


「*****!!」


「********!?」


 再びオークどもに混乱が起こる。

 何が起きているのかはさっぱりだが、少なくともこうして立ち尽くしているのは最善ではないと、何となく思った。だから剣を抜いた。もう、生きるとか死ぬとか、構うものか。さっきまでの超常現象がなんだったのかも、もはやどうでもいい。だがどうせ死ぬなら、一匹でも多く、このくそったれ共を殺そう。


「あ───ああああああッ!!」


 剣を真っ直ぐ構え、オークの一匹へ突進した。急な突撃に驚いたのか、そいつは防御も攻撃もせずに後退をし、周りのオークに何かを言おうとしていた様子だったが、俺は迷い無くそこへ突っ込んだ。


「***!」


 切っ先が肉を断つ感覚ののち、すぐに苦痛の鳴き声が上がった。心臓を狙ったつもりだったが狙いは外れ、腹部へ剣が突き刺さったのだ。

 これじゃ、足りない。胸──いや、首を狙うんだ。

 剣を素早く引き抜き、首を目掛けて振った。

 他のオークが棍棒で俺を狙っていたような気がしたが、どうでもよかった。


「せぇぇああッ!」


 渾身の一閃が首を撫で、半分ほどを切断された首から血が噴き出した。

 そして達成感に震える間もなく、幾つかの棍棒によって身体がぐちゃぐちゃに潰された。




















 ぼこっ。


 ぼこぼこぼこ。


 ぼこぼこぼこぼこぼこぼこ───────。




 三度目の『それ』。


 まだ手の中にあった剣を握り締め、即座に目の前のオークへ振る。


「***──!!」


 オークの左肩から右脇へ深い傷が走り、血飛沫が上がった。


「なんだ、これ。死んでるはずだ、確実に。けど───」


 瞬間、すぐ横でオークが棍棒を振り上げたのに気付き、回避をしようとした。

 だが間に合わないことはわかりきっていたので、一か八か、剣もろとも懐へ突っ込み、胸部へ剣を突き立てた。

 ──深い。致命傷だ。


「**……!」


 断末魔めいた呻き声がして、一匹のオークは地面へ崩れ落ちた。


「……回復、してるのか?」


 仮説をぼそりと口にし、ほんの少し前に受けた傷が存在しないことを確かめてみた。……一切の問題もなく、無事だ。

 だが、これが回復なんて次元の話だろうか。ほんの数秒か、数十秒か、完全に意識が消失していたというのに?


「……違う、これは……………ぁッ」


 結論を出す前に、背後からの一撃を受けて意識が弾け飛んだ。




















 ぼこっ。


 ぼこぼこぼこぼこ。


 ぼこぼこぼこぼこぼこぼこぼこぼこ───────。




 ──四度目の覚醒を経て、俺は一つの結論に至った。


「復活、してる────」


 足元には三匹のオークの死体が倒れ、見渡せば十匹は下らない数のオークが、完全なる臨戦態勢でこちらを伺っていた。

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