見越し入道始末
吉兆之助は朝もやの中、見越し入道が住まうと言われる古寺に通じる階段を慎重に登っていく。石段は荒れ果てている。
「嫌なにおいがしてきやがった……」
階段ももうすぐ終わるというところで不快なにおいが漂ってくる。何かが腐敗した死臭と言うだけではない。普段なら気を配っても気付かないような妖怪から発せられる瘴気とでもいうべきものだ。
階段を上り終えると、荒れ果てた古寺の前……坊主頭に袈裟を着た僧侶がこちらに背を向け地面に座っている。
「ぐふふふ……拙僧の寺に何か御用か?」
地獄の底から聞こえてくるような低い声。常人であればその声を聞いただけでも気を失いかねない。
「お前さんがこの寺……いや、この山の主ってわけかい?」
「山の主?ぐははは!馬鹿を言うな!我は日本の妖怪を統べる大妖怪・見越し入道様であるぞ!」
僧侶が振り向く。背丈は普通の男程度であるが、顔には血走った大きな一つの目。口は大きく裂け、鋭くいびつな歯がのぞいている。太い手足は非常に毛深く、更に左手には金色に輝く錫杖を持っている。
「おうおうおう、大妖怪とは大きく出たじゃねぇか!だが、この極楽院 吉兆之助様が来たからにゃぁ。お前の悪事もここまでだ!」
吉兆之助は刀に手をかけながら、芝居じみた話し方で見越し入道を挑発する。
「極楽院吉兆之助ぇ?聞いたこともない名前だが……どこの田舎侍か!この世界を統べし大妖怪・見越し入道様の屋敷に足を踏み入れたことを後悔させてやろうぞ!」
見越し入道の話がころころと変わる。この場所も先ほどは寺と言っていたが今は屋敷と……そう、完全に狂っているのである。
二人はにらみ合う。
「か……」
見越し入道が言いかけた瞬間、抜刀一閃!しかし!
「かっかっかっ!田舎侍は礼儀作法も知らぬと見える!」
見越し入道は右の腕で受け止めそのまま払う。吉兆之助は吹き飛ばされるが、何とか体勢を立て直し着地!追撃に備える。
しかし、見越し入道は動かない。
「ならば次はこちらの番だ!」
見越し入道の拳が迫る!吉兆之助は大きく左へ回避!ドンッっと地面をたたく音がすると凄まじい土埃が上がり地面が抉れる!
「ぐはははは!逃げるだけしかできないのか?さっきの威勢はどうした?」
見越し入道の挑発には乗らずに吉兆之助は静かに刀を鞘に納め、抜刀の構え……に見せかけて脇差を投げつける!そして、振り返るとそのまま一目散に石段へ!
「ぐははは!逃がさぬ!逃がさぬぞ!!」
見越し入道は小太刀を右腕で払うとそのまま吉兆之助を追い始める!
吉兆之助は荒れた石段に足をとられぬように駆け下りる!しかし、背後から見越し入道の影!
「ハイッ!」
そして、石段の下に待たせていた馬に素早く跳び乗ると、峠の道を全力で駆け出す!しかし、後方からは依然として」見越し入道が迫る!しかも、その速さは馬と同じである!
「もうちょいだ、もうちょい!頑張れ!」
馬を激励し走り続ける!
「待てい!」
背後からは速度を落とすことなく……いや、むしろ馬と見越し入道の距離はじわじわと縮まってきている!吉兆之助は小刀を投げつける!
「ぐははは!ほぉれ!逃げろ逃げろ!逃げなきゃ食っちまうぞ!」
見越し入道は右手で事もなく小刀を払う!そして、目の前には粗末な縄とボロボロの板で作られた長いつり橋!
「ハイッ!ハイッ!」
馬に檄を入れながら、馬のまま吉兆之助はつり橋を渡る!馬の疾走に耐えられずに板が割れ、深い谷に落下するが気にせず走り続ける!
見越し入道もそのまま追従する!
「がはは!逃げても……な、なんだ……ッ!」
次の瞬間、見越し入道の体がみるみると大きくなる!これはいかなることか?そう、見越し入道は見上げられると大きくなる。つまり誰かが見越し入道を見上げたのだ!
「馬鹿な!き、貴様は……」
つり橋の向こうには旅姿の男が一人、平助である。平助の視線は上へ上へと上がっていく。
見越し入道は大の大人の二倍、三倍、四倍……どんどん大きくなってゆく!そして、粗末なつり橋は当然、耐え切れない。縄はちぎれ、見越し入道は谷底へ!
「ハイヤー!!」
吉兆之助と馬はその直前で大跳躍!
「吉兆の旦那!」
平助の頭を越えて無事に着地!平助はそのまま落ちたつり橋のあたりから谷底をのぞき込む。
「どうでい、化け物め!平助様の実力を思い知ったか!」
沈黙……
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
谷底から大地を揺さぶるかのような大絶叫!
「あわ、あわわわわ……」
平助は腰を抜かす。谷の底からぬーっと禿げ上がった頭、そして大の大人程度の大きさの血走った大きな一つ目が現れる!
「ぐぉぉぉぉうううううぉぉぉぉぉぉぉ……」
谷の深さまでの大きさになった見越し入道である!
「平助! 逃げろ!!」
吉兆之助の声に我に返った平助は谷の反対側、雑木林の中に急いで逃げ込む。金色の錫杖を持った見越し入道の手が谷から伸びて雑木林に叩きつけられそうとしている!
「ちっ! こっちだ!化け物めが!」
吉兆之助は馬を走らせながら懐から取り出した小袋をを投げる!
「ぐぉぉぉぉぉおぉぉぉぉおお……」
見越し入道に命中した袋からは赤い粉……そう、万が一のために用意していた目つぶし用の唐辛子である! だが、見越し入道はわずかにひるむも動きを止める様子無し!
しかし、それでも邪魔されたことで、見越し入道は平吉が雑木林に逃げ込んだのを忘れたかの如く、吉兆之助を追おうとする。その目には知性もなく、獣そのものである。
「ハイッ!ハイッ!」
馬に檄を入れながら吉兆之助は思案する。幸い大きくなったことで動きは遅くなったが、このままでは宿場町が壊滅するのは火を見るよりもあきらかだ。
「……さぁーて、こいつはどうするか……ん?まてよ…」
見越し入道は一糸まとわぬ生まれたままの姿になっている。急激な巨大化によって服が耐えられなかったのであろうか?しかし、手には金色の錫杖……
「ははは!そうか!そういうことか!」
峠を降り切り宿場町は目の前!吉兆之助は馬を飛び降りる!
見越し入道が錫杖を振り上げそのまま吉兆之助めがけて振り下ろす!しかし、大ぶりな一撃は吉兆之助には当たらずに地面に深々と突き刺さる!
「見越し入道!見抜いたり!」
吉兆之助は見越し入道の足元……でなく、錫杖に対して、抜刀一閃!
「ぎゃぁぁぁぁぁあぁあああぁぁぁ!!!」
錫杖から血が噴き出し見越し入道は倒れ込む!そう、見越し入道が巨大化するまで錫杖を使わなかったのは、その正体は錫杖だったからなのだ。しかし、我を忘れたのが運の尽き。本体出る錫杖で攻撃してしまったのである。
倒れた見越し入道はどんどん縮んでゆく。
見越し入道は人の大きさよりもさらに縮む。
更にさらに縮む……
「そうかい…てめぇだったか……」
見越し入道が縮み切った場所にいるのはタヌキ……そう、何の変哲もないタヌキである。しかし、そのタヌキもどろどろと溶けて、水たまりになったかと思うとスーッと地面へと吸い込まれるように消えうせた。
「旦那ぁ!吉兆之助の旦那ぁ!」
遠くから平助の声。峠の道を駆け下りてくるのがわかる。
宿場町の方も騒がしい。人食い妖怪が退治されたのだ、今夜は宴会になることだろう。
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