NO LIFE!

ツカサオサム

第1話 取材依頼

 3月に入り、例年より遅めだが日々暖かくなってきた、銀座の朝。

 東京メトロの有楽町駅出入口からあふれかえる通勤ラッシュの人波を横目に、俺は愛用のシクロクロスを爽快に漕ぎながら、通い慣れた出版社へ向かった。

 初めて書いた小説のようなモノが、出版社の主催するコンテストの大賞候補に選ばれてしまったのはもう5年も前の話で(結果は優秀賞どまり。つまりハズレ。)、俺は何を勘違いしてしまったのか、大学の建築学部から大手ゼネコンへという安定のサラリーマン人生を捨てて、いわゆるフリーな執筆業という道に迷い込んでしまった。

 執筆対象はいわゆる社会派というジャンル(処女作もしかり)で、綿密な取材に基づく世界観には一定の評価があるものの、切り込む題材がどうにも間口が狭いのか、はたまた需要の無い独りよがりなのか、その後は鳴かず飛ばず。なかなかそれで飯を食ってます!とはいかなかった。

 今はその出版社が発行する週刊誌編集部からのわずかな取材依頼で糊口をしのぎ、愛する妻の協力もあって子供たち2人をなんとかかんとか育てている。

 時すでに45歳。人生少し崖っぷち。


 出版社前にシクロクロスを停めたのは9時を少し回ったところ。

 毎度毎度ながら、心地良くない緊張感とともにエントランスをくぐる。サラリーマン時代を懐かしみながら、満員のエレベーターに滑り込み、いざ3階。週刊誌編集部へ。

「おはようございますー。山川ですー。原稿持ってきましたー。」

 俺はまだ人のまばらな編集部のデスクを縫うように進み、編集長宮島の元へ向かう。

 当時コンテストの審査委員だった彼が、週刊誌編集長に昇進したのは2年前。鳴かずなら、鳴かせてみようと何かと世話を焼いてくれるのは、この道に引き込んでしまった責任感からか、うしろめたさからか。

 気配に感づいた宮島は、愛用の電子タバコをふかしながら、煙たがるような顔もちで、俺に応対する。煙も出てないのに。

「おはようございます、山川さん。原稿はメールで送ってくださいって言ってるじゃないですか。」

「いえいえ編集長。やはりこういった魂のやり取りは面と向かってでないと。こう、細やかなコミュニケーションが取れないじゃないですか」

「そんなに貴方と細やかなコミュニケーションを取らなくてもいいんですが。」

 そんなに俺を鬱陶しいがらなくても、ねえ。

「編集長、またまた冗談を。まあ、そんなこと言わずに聞いて下さいよ。今回のこども園反対の取材、やはり近隣の老人会が音頭を取っているようで。まあ、事前の根回しもしなかったこども園側にも落ち度はあるんですが。それに行政やゼネコンの対応も後手後手に回って…」

 今回は世田谷区で起こったこども園の建設とそれにからむ反対運動の取材だ。こどもたちの声がうるさいからという理由で地元住民が反対するケースが全国で相次いでる。今回は隣接する公園をホームグランドにしている老人会グループが中心となって反対運動を展開しているようだ。なまじ高学歴高収入の地域だけに、弁護士やマスコミまで巻き込んで。老人のためにこどもたちが肩身の狭い思いをする、嫌な世の中になったものだ。

「はいはい。とりあえず原稿を拝見しますんで。って、また紙に手書きの原稿ですか?毎回言ってるじゃないですか。これだとデータに打ち直さないといけないので、手間が余計にかかるんですよ。山川さん字のクセも強いし。困ったなぁ。今回からデータ変換の手間賃、原稿料から引いときますからね。」

 そういうと宮島は原稿を読まずにアルバイトの学生へ渡した。

「ちょっ、ちょっと勘弁して下さいよ。私はこう、なんというか、原稿を書くときはやはり直筆でないと思っているクチで。そうそう、御社から優秀賞の記念に頂いたこのマイスターシュテュック149でね。」

 優秀賞の賞品として頂いたのはモンブラン社マイスターシュテュック149。この万年筆との出会いが、のちの俺の人生を決めたともいっていい。ペンは剣より強し。

「優秀賞ってもう何年前の話してるんですか。それに山川さんの世代はパソコン全盛期でしょ。今はスマホのフリック入力で書いた小説が芥川賞取る時代ですよ。全く。」

 あきれた顔の宮島。たしかに去年の芥川賞は若干20歳の女性がスマホで書き纏めた恋愛小説だった。

「ま、とにかく。今回の原稿料、よろしくお願いしますのね。それと新しい案件は何かありませんか?あ、そうそう。今流行りの潜入取材。かくいう私もやってましてね。とあるコンビニで。まあ、あの業界も色々ありますからね。これもなかなか面白くなりそうですよ。」

「山川さん、それただのバイトなんでしょ。」

 宮島の直球に、ぐうの音も出ない俺。

「そういえばウチじゃありませんが、月刊誌の森下が、長期取材がなんとかかんとかって言ってたような。上に行って聞いてみたらどうですか?森下にLINE入れときますから。」

「長期取材っ?ありがとうございます!すぐに伺います。」

 宮島に背を向けるやいなや、俺は小走りで編集部を後にする。

「7階の奥ですよ。それに山川さんご指名の案件じゃないですからねー。」

 心配そうな顔で見送る、宮島。出来の悪いこどもを持った親はみんなそんな顔だ。


 7階。月刊誌編集部。

 週刊誌編集部と比較するわけではないが、何処と無く優雅で、時間の進み方もゆったりとした空間だ。

 何せ、対応からして違う。突然の来訪者である俺にも若手の編集者が丁寧に応対し、なおかつお茶まで出されるのだ。お茶まで。

「編集長の森下が参りますので、しばらくお待ちくださいませ。」

 応接スペースで出されたお茶を頂きながら、愛する妻へスマホからメッセージを送る。

「新しい仕事入るかも」

 区内の病院で看護師の仕事をしている妻からすぐに既読が入り、返信が。

「良かったね!頑張ってね♡」

「どんな仕事なのかな?また教えてね!」

「了解」とメッセージを打ち込もうとした頃に、件の編集長が表れた。

「どうもはじめまして。月刊誌編集長の森下と申します。お噂は宮島から伺っております。」

 これまたエレガントな、やり手のキャリアウーマンを絵に描いたような女性が挨拶してきた。こういう女性には弱い。

「いえこちらこそ。アポイントも取らずにすみません。何せ今取材依頼のお話をお聞きして飛んできたものですから。」

「それはありがとうございます。この業界、フットワークが軽いのは何よりですわ。それにウチの編集部員はファッションや旅行、グルメ関係の記事は得意なんですが、今回のような社会的意義のあるテーマの取材には不慣れなんですよ。」

 社会的意義ときた。よしよし。イニシアチブは我にあり。

「で、取材のテーマは?どういった内容ですか?」

 さあ、鬼が出るか蛇が出るか。


 森下は待ってましたとばかりに、手持ちのタブレットをこちらに向けて説明を始めた。「山川さん、島根県の出雲南町ってご存知ですか?」



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