第15話 沈む心とつらい心

「は?どうして。」

 ケイちゃんはあからさまに嫌そう。そりゃそうだ。ケイちゃんにしたら真似ごとをさせられて(しかも女言葉で)嫌だよね…。

「だって4月になったら社会人でさ。新しい環境で上手くやっていけるのか心配で…。」

 これは本当。このことをママと話せたらいいなって前から思ってた。

 悩んでいた様子のケイちゃんがため息混じりに手で顔を覆った。そのせいで表情は見えなくなってしまった。

「今日は遅いから無理だろ。たぶん電話は1日1回までだ。」

 たぶんって…。笑いそうになるのを必死に堪える。それってケイちゃん次第なんじゃ…。

「うん。そうだよね。ママも忙しいよね。分かった。明日ならお願いできる?」

「あぁ」そう言ったケイちゃんは立ち上がって食器を片付け始めた。私も自分の分を片付けながら「今日は洗い物、私がするよ」とシンクの前に立つ。その後ろから何故か覆い被さられた。

 な…。い、いつ、お色気スイッチ入っちゃいました?

 動揺していると後ろから手を取られた。

「洗い物は禁止。こんなに可愛くて綺麗な手が荒れちゃうだろ。」

 手を持ち上げられて手の甲に柔らかい何かが触れる。チュッって音といい、絶対に唇なんだけど。

「大丈夫」って言っても布巾を渡されて必然的に拭く係に決定。

「だって作ってもらう上に片付けまでケイちゃんじゃなんだか悪い。」

「いいんだよ。俺は………お兄ちゃんなんだから。」

 言い淀んだ間から本当は私のお兄ちゃんなんて嫌なのかなぁって変な考えが頭をよぎる。一つ下ってだけなのに手がかかるもんね。私。

 気持ちを上げて行こうって思っていたのに今日はなんだか調子が出なかった。

 片付けが済むとケイちゃんは部屋に行ってしまって、寂しいようなホッとするような気持ちでソファに座った。

 気を取り直すためにも優ちゃんに買い物のお誘いをしようとスマホを手に取った。


 部屋に入った佳喜は「お兄ちゃん…か」とつぶやきながら机に座るといつものように便箋を出す。パラパラと日記のようなものをめくって止まったページを暫く凝視する。

「これじゃなきゃダメなのか…。このページは飛ばしても…。」

 つらそうに絞り出した声と共にページをめくろうと手をかける。しかし手を動かせないまま佳喜はページを凝視し続けた。

 そして観念したようにページを変えずに便箋に言葉を綴り始めた。

 丁寧に優しく、しかし時折つらい顔をして書き上げた手紙を封筒にしまい切手を貼るとバッグに入れる。

 下に降りるとソファにいる心愛を目の端に捉えた。今回は忘れたふりをしてしまいたかったが、そうもいかない。気付かれないうちに近寄ると素早く体に手を回して頬に唇を寄せた。

 どんなに素早く済ませようと甘い香りと柔らかく華奢な体。それに小さくて可愛らしい頬。それを否応なしに感じて苦痛にならないように努める。いつものことだ。

「可愛いココ。コンビニ行ってくる。」

 されるがままの心愛は頬を赤らめて頭をコクコクと動かして返事をした。

 されるがまま。なんて能天気なんだ。

 そう思ってわざと耳元でささやく。

「何かデザートでも買ってきましょうか?お姫様。」

 それでそのデザートに毒を入れたとしても食べるんだろうか。間違いなく疑いもせず食べるだろう。何も誰も疑わず周りは皆いい人。

 能天気なお姫様は頬を膨らませてふてくされ顔だ。

「お姫様なんて思ってないくせに。でもレアチーズ食べないな。コンビニの小さくて美味しいやつ。」

「分かった。じゃ行ってくる。」

 頭を軽くグリグリする。顔を見なくて済むこれは楽だった。

「うん。気をつけて。」

 不意に離れようとしていた体に腕を回されて心愛の方へ引き戻されると心愛から頬に軽いキスをされた。初めてだった。それほどまでに気を許しているということなのだろうか。目眩を感じながら悟られないように玄関に向かった。


 家から随分離れると安堵して本音がこぼれる。

「あいつどれだけ家族が大事なんだ。いつまで…いつまでなんだ。」

 つらく絞り出した声は夜の闇に消えてしまった。


 ケイちゃんが玄関を出たのを確認するとボッと顔が熱くなるのを感じた。

 思い切って自分からもしてみたけど…。でも…。こんなことでケイちゃんは幸せ感じてくれないだろうなぁ。

 どうにも沈んでしまう気持ちにメールを送ることにした。

『パパへ。心愛です。テレビ電話できませんか?久しぶりにパパの顔が見たいよ。』

 返事はすぐに来た。

『パパだって!パソコンの準備して待ってます。パパ。』

 パパらしいメールに微笑むとパソコンを起動させてテレビ電話のソフトを立ち上げた。


「本当に久しぶりだね。やっぱりお兄ちゃんがいたら寂しくないのかな?」

 言葉とは裏腹にパパはニコニコしている。その顔がなんだか憎たらしくて、ちょっとだけ憎まれ口をたたく。

「パパったら。やきもち?確かにケイちゃんは寂しくないように一緒にいてくれるよ。」

「その割には元気がないな。佳喜はどうした?」

 パパには言わなくてもバレちゃうんだなぁ。

「うん。今はコンビニに行くって。でもね。パパ。今日はケイちゃんのことで…。」

 言葉に詰まる私にパパは楽しそうな明るい声を出す。

「なんだなんだ。喧嘩でもしたのか?兄妹喧嘩なんて夢みたいだな。」

 娘が悩んでるって言ってるのに、この能天気オヤジめ!

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