第11話 春の嵐

 しばらくすると春の嵐は落ち着いて来たみたいだった。ケイちゃんの「大丈夫」の言葉が止まる。代わりに低い声で僅かにつらそうなかすれた声が聞こえた。

「俺も喜一さんもいなくなったりしない。喜一さんは仕事で忙しいかもしれないけど、俺は…どこにも行ったりしない。いつでも側にいる。」

 え…。なんのこと言って…。

「だからもう雨にも雷にも怯える必要はない。」

 知って…。

 ケイちゃんの温もりと優しさに自然と目の奥が熱くなる。

 知ってたんだ。ケイちゃん。

「愛子さんが亡くなったのは今日みたいな春の嵐だったってな。」

 ママ…。体が弱かったママ。最後は眠るようだった。ママが眠ってしまった病室の窓からはお空が怒っているような嵐が見えていた。

 ザーザーと全ての音を飲み込む雨音と、時折激しく音を立てたゴロゴロバリバリと荒々しい雷。

 泣きじゃくる私の「ママ!」の声も何もかもの音が無かったものとされてしまう恐怖を感じて必死にママにしがみついた。


 雷はママのこと以前に怖いだけなんだけど、その言葉は喉に引っかかって上手く口から出てこない。

「だからバイト休み取ったのに。バカココ。」

 頭に顎を乗せられて若干痛いです。

「だ、大丈夫だよ…。久しぶりでちょっとビックリしちゃっただけで…。」

 かろうじて口から出た言葉は思った以上に震えていて格好がつかない。

 雷が鳴るような雨は苦手。また雨が誰か大切な人を連れて行っちゃうんじゃないかって嫌な考えが頭を巡って。

「一人暮らししてた時はどうしてたんだよ。」

 子どもの頃はいつもパパが側にいてくれて時には何も言わずに抱きしめ、時には大音量のコメディ映画を見せられた。

「一人暮らしの時は友達と雷が止むまでカラオケとか。」

 最近はゲリラ豪雨が増えたりして予測が難しいとは言っても天気予報のチェックは欠かさなかった。

 それなのに…今日はというか、ここ何日か気を抜いていたのかもしれない。こうなるまで呑気に居酒屋さんにいるなんて。

 心のどこかでケイちゃんに甘えていた?

「そっか…。じゃ逆に店から連れ出さずに、そっとしておけば良かったのか。余計なことしたな。」

 フルフルと首を振っているとケイちゃんの不機嫌な声が聞こえた。


「で、重いんだけど?」

 ケイちゃんの怪訝そうな声に思わず「ごめんなさい!」と膝から離れるとケイちゃんはリビングの方へ行ってしまった。

 もう少し優しい言葉をかけられていたら溢れてしまったかもしれない涙は思わずひっこんでいた。

 …ちょっと失礼なんじゃない?女の子に重いなんて…。だいたいあぁしてきたのはケイちゃんなわけで…。

 ふいに「俺?彼氏だけど?」の言葉が思い出され熱くなりそうな顔を手で包み込んでまた首を振る。

 お兄ちゃんだから!パパそっくりの甘やかし溺愛系お兄ちゃん!


 佳喜は心愛から離れ、つぶやいた。

「バカは俺だ…。」

 心愛に言われたからと甘えてバイトをし、機嫌が悪い心愛にどうしていいのか分からずに再びバイトに行った。

 それなのに…。居酒屋で目に映った光景に衝動的に行動した。男といたからってなんだというのか。

 リビングで立ち尽くしたまま俯いていく佳喜の背中にトンと何かが当たった。


「何?」

 ケイちゃんの少しだけだけど驚いた声が聞こえた。そりゃそうだ。急に後ろから抱きつかれたら誰でも驚くよね。でも…。

「だだいまのハグ…忘れてたから。」

「あぁ…。ハグならさっきしたんじゃないのか?それよりこれだともう一つはできない。」

 もう一つってだだいまのチューのことだよね。でも違う。だだいまのスキンシップがしたかったわけじゃなくて、えっと…勇気を出さなきゃ。

「あの…。ごめんなさい!昨日は…その…。ケイちゃんのバイト先でケイちゃんの知らない世界を知って。…お兄ちゃんを誰かに取られた気がして嫌だったの!」

 しばらくの沈黙の後にケイちゃんが私の腕をほどいて振り返った。

「初めて「お兄ちゃん」って呼んだな。」

 おでこにコツンと頭突きされた。イテテッとおでこをさすりながら言いにくかった言葉を口にした。

「だって…。私たぶん今まではファザコンだったんだと思う。今はブラコンなんだなぁって…。」

「ブラコンね。そこまでの愛をココから感じないけど?」

「あの…そうじゃなくって。つまり昨日も今日もごめんなさいって言いたくて。」

 ケイちゃんは両頬をむにっとつまんだ。顔を自然とケイちゃんの方へ向かされて目が合うとドキドキした。

 うぅ…やっぱり拓真の時とは何かが違う。

「遅いんだよ。可愛い心愛ちゃん。」

 パッと手を離してから頬に唇を寄せるとケイちゃんは2階に上がってしまった。

 …分かった。拓真と緊張感が違うの。ケイちゃんは色気だだ漏れだからだ。私、妹なのにー!


 佳喜はドアを閉めるとベッドに倒れこんだ。

「ブラコンか…。じゃ俺はシスコンなのか。相変わらずおめでたい奴。」

 ハハハッと乾いた笑い声を上げて腕を顔の上に置く。佳喜は自分の表情を誰にも見せたくなかった。例えここに誰もいないとしても。誰からも何からも隠してしまいたかった。

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