第8話 ケンカ
「何言って…。」
驚きの表情を浮かべてるケイちゃんの横に嬉しそうな顔のオーナーがいた。
「それなら今日さっそく頼めないか?貸切で結婚式の2次会なんだ。大勢来てくれる予定でね。下ごしらえはしてるんだが…。」
「ほらほら。忙しいみたいだし。ね?」
「まぁ…。」
納得してないみたいなケイちゃんを無理矢理オーナーに押し付けて私は逃げるようにお店を出た。
外に出てふと見上げた空はどんよりとしていて今にも泣き出しそうな空色だ。それはまるで私の寂しい気持ちを表しているみたいでますます気持ちを沈ませそうになる。
「降っちゃう前に早く帰ろっと!」
気分が上向きになるように明るい声を出して家までの道を歩き出した。
オーナーは佳喜に「助かったよ」とお礼を言いながら柔らかい笑顔を向けていた。
「さっきのパスタ味見させてもらったけど最高の出来だった。」
太陽のような笑顔は佳喜には些か眩し過ぎる。その上、ストレートな褒め言葉はさすがに居心地が悪かった。
「ハハッ。いつもは、すっごく美味しいのに何か足りない。とか言うくせに。」
コックコートをもう一度羽織りながら非難してやろうとオーナーを盗み見るとニコニコした瞳と目が合った。
「そりゃ…足りないものを補えたからじゃないか?補えたというか手に入れたんだろうな。」
何のことを言ってるのかと不満げな顔で俯いていく頭にポスッとコック帽を被せられた。
「ほらほら。ケイは深めにコック帽を被っておいてくれよ。また子どもに泣かれたらたまったもんじゃない。」
ワッハッハと豪快に笑ってオーナーはキッチンに入っていく。佳喜はいつもの鋭い目つきに戻った目元を隠すように言われた通りコック帽を深めに被った。
早足で帰ってきた家はいつもよりがらんとしている気がしてしまう。
家が広く感じるなぁ。ううん。寂しくなんかないもん。
そう心の中で何度もつぶやいてみても人がいるはずの家に一人。その喪失感みたいなのを感じてソファにギュッと小さくなった。
子どもの頃にパパが私そっちのけで従兄弟の翔くんルーくんとプロレスごっこで盛り上がってた時みたい。パパを取られちゃった気がして大泣きして…。
まだお兄ちゃんできて嬉しいって実感する前に取られちゃって寂しいって思いをしちゃうなんてなぁ。
「…ココちゃんかぁ。」
自分とは別のココちゃん。私の前でとろける笑顔なんてしたことあるのかな…。柔らかいはあっても、とろけるはなぁ。
「おい。ココ。こんなところで寝ると風邪ひくぞ。」
声に気づいても眠いまぶたは開けることを拒否してる。
「おい。聞いてるのか?本当にココそっくりだな。」
ココそっくりって、お店で話してたココちゃんのこと?
ため息混じりにそっくりって言われて何故だか嫌な気持ちになる。
「私、ココじゃないもん。心愛だもん。」
不機嫌な声を出すと、ふわっと体に腕を回されて「ただいま」の声と頬にチュッってされた。ケイちゃんの男の人の匂いに胸がキュッってなってますます嫌な気持ちになっちゃう。
「もうやめて!パパに言われてしてるだけじゃない。」
ケイちゃんの体を押しのけて自分の部屋に逃げた。
最低だ。こんなのただの八つ当たりじゃない。
そう思うのにベッドに倒れこんだ体も心も起き上がらせることが出来なかった。
朝起きるとケイちゃんとなんとなく話づらくて、そっぽを向いて座った。ケイちゃんも「おはよう」も言わなければ、もちろんハグチューもない。
怒ってるのかな…。そう思ってもなんて言っていいのか分からなかった。
静かな朝ご飯の時間はカチャカチャと食事をする小さな音があるだけ。
そんな中、スマホがブブッと振動して見てみるとLINEが入っていた。
「あっ。優ちゃんからだ。」
優ちゃんは地元の同級生。可愛くてフワフワしている優ちゃんとはずっと仲良しだ。『こっちに戻ってきたなら遊ぼうよ!』のLINEにウキウキする。
「優ちゃんって誰。」
怪訝そうな声のケイちゃんに反発心がムクムクと湧き上がるのが分かる。
「ケイちゃんには関係ない。」
「…俺はココの保護者代わりだ。喜一さんに頼まれてる。」
喜一さん喜一さんってパパばっかり。
「もう保護者が必要な子どもじゃありません。放っておいて!」
ケイちゃんを睨み付けるとケイちゃんも鋭い目つきでこっちを見ていた。
恐い顔したって負けないもん!
無言のまま食べ終えると部屋に逃げるように2階に上がった。
しばらくすると玄関を開ける音がしてケイちゃんが出掛けたのが分かった。
あーぁ。ケンカしたままになっちゃったなぁ。いつもパパとはどうやって仲直りしてたっけ…。ううん。ケイちゃんはパパじゃないから参考に出来ないや。
はぁ。とため息をついて下に降りる。テーブルの上に紙が置いてあるのを見つけて手に取った。
殴り書きのようなそれはケイちゃんからの伝言だった。
『今日もバイトをどうしてもと頼まれたから行ってくる。何かあれば連絡して。佳喜。』
名前の下に携帯番号が書かれている。それを登録してから近くに置いてあった封筒を手に取った。ママからの手紙だ。ママらしい綺麗な字で『さとうここあさま』と書かれていた。それを見てつぶやく。
「ねぇママ。どうしてケイちゃんは私にそういうことすると思う?やっぱりお兄ちゃんだしパパに言われたからかな。」
ケイちゃんの伝言には続きがあった。下の方に控えめに書かれいるそれをもう一度読む。
『嫌かもしれないけど今は俺しかいないんだ。どこに行って何時に帰るのか夕飯はいるのかくらいは教えて欲しい。』
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