第5話 関西部の日常
放課後。
夕日に茜色に染まる関西部の部室。
全開に開けた窓から流れる涼しい風が、風鈴を鳴らしました。遠くから聞こえてくるセミの鳴き声が哀愁を誘います。
「――ところで、あんさん」
「なんや?」
畳の上に置かれたちゃぶ台で緑茶を呑んでいる、後ろに結った黒髪にかんざしを挿した大和撫子な京都ちゃんに話しかけられ、寝っ転がって片膝を付いている大阪ちゃんは、漫画雑誌に顔を向けたまま答えました。
関西部の部室のレイアウトは、全体的に和風で統一されています。
「夏休みの予定は決まってますの?」
「いや、まだ何にも。――兵庫は?」
「うちも決まってないわ」
桃色の髪に真っ赤なリボンがよく似合う、関西部で一番のお洒落さん、兵庫ちゃんはそう答えると、ちゃぶ台の上のリモコンを手に取り、テレビを点けました。
「あ、私は久しぶりに人間界に旅行に行こうと思ってます。最近、和歌山に行ってなかったし、少し楽しみなんですよね」
和歌山ちゃんは楽しげに言うと、空になった京都ちゃんの湯呑みのお茶を注ぎました。
「ありがとう、和歌山さん」
「いえ」
「和歌山のそれって、一人で行くん?」
大阪ちゃんが小さく欠伸をしながら訊ねます。
「今のところは。大阪ちゃん、一緒に行きますか?」
「んー……」
和歌山ちゃんは次の言葉を待ちましたが、大阪ちゃんは何も答えず、雑誌をパラパラめくるだけでした。
「あたしも久しぶりに茨城行ってみっぺかな~。……このおせんべい食べていい?」
「どうぞ」
和歌山ちゃんはニコッと微笑むと、ちゃぶ台の上に置かれたお煎餅の袋を茨城ちゃんに渡しました。
「ありがとです」
ペコリと頭を下げて、貰った煎餅をポリポリ食べ始める茨城ちゃん。
「なあなあ、茨城県って未だにリーゼントの番長がいるってホンマなん?」
興味ありげに目を輝かせて訊ねる兵庫ちゃんに、茨城ちゃんは小さく頷きました。
「前に遊びに行った時はいたよー。番長かどうかは知らないけど、リーゼントに長ラン姿の高校生が」
京都ちゃんがお茶を啜りながら、ふふっと笑います。
「おもしろそうやね。――っていうか、なんで茨城ちゃんがここにいますの?」
「関東部が暇だから遊びにきたっぺ」
「あちらさんは何してはるの?」
「みんなで麻雀やってる。あたしはルールが分からないから、つまんないの」
「ほな、教えたろうか?」
「んー……難しそうだし、いいや」
西に浮かぶ夕焼けがゆっくりと沈んでいき、室内がどんどん薄暗くなっていきます。会話が途切れ、テレビから流れる音声が部屋を支配します。
「そういえば――」
和歌山ちゃんがキョロキョロとしだし、
「奈良さんと滋賀さんは、今日来ないんですか?」
兵庫ちゃんは、隣に置いてある肩掛け鞄を持って立ち上がると、
「あの二人なら、部室に来て、すぐに釣り竿持ってでかけたわ。泉の方で釣りしてるんちゃう? ――ほな、そろそろ五時になるきん、帰るわ」
それを聞いた京都ちゃんも、ノビをしながら立ち上がります。
「兵庫ちゃん帰るんやったら、ウチも帰るわ。ほなね」
「あい、おつかれ」
「バイバイだっぺ」
京都ちゃんと兵庫ちゃんは、軽く手を振りながら部室から出ていきました。
「…………」
「…………」
特に会話も無く、相変わらずテレビの音が支配する部室。寝っ転がって漫画を読んでいる大阪ちゃん、眠そうに目を擦っている茨城ちゃん、お煎餅を食べながらテレビを観ている和歌山ちゃん。
「そういえば」
和歌山ちゃんが思い出したように口を開きます。
「ウチの部って、夏休みの自由研究はどうするんですかね?」
この学校では夏休みの宿題の一つに、部活ごとに自由研究を提出しなければいけない、というのがあります。茨城ちゃんは去年、関東部のみんなと一緒に『関東のお祭りと歴史』というテーマを発表して金賞を貰いました。
「ウチら、去年なんやったっけ?」
「確か『創作たこ焼きの研究』で、一昨年は『関西のお笑い芸人事情』じゃないでしたっけ?」
「せやせや。まずかったなー、あのたこ焼き」
漫画雑誌を読み終えた大阪ちゃんは、大きく欠伸をしながら起き上がり、お煎餅の袋を開けました。
「茨城の所は決まったん? 自由研究のテーマ」
「…………」
「いばらぎ?」
「…………」
ちゃぶ台に伏せたまま、微動だにしない茨城ちゃん。和歌山ちゃんが顔を近づけてみると、小さく寝息が聞こえてきました。
「寝ちゃったみたい、ですね」
「しゃーねーヤツだな」
「お茶、飲みます?」
「ん」
棚から大阪ちゃんの湯呑みを持ってこようと立ち上がる和歌山ちゃんに、大阪ちゃんは「あー、いいよいいよ、これで」と置きっぱなしになっていた京都ちゃんの湯呑みを差し出しました。
急須を手に取り、お茶を淹れる和歌山ちゃん。
「自由研究も今年で最後だし、なにか思い出に残る物にしたいですね」
「せやなー。来年の今頃には、もう卒業してるねんもんな」
来年の今頃は卒業して、
「あと半年ぐらいですね、この学校にいられるもの」
「来年は、どの妖精が入学してくるんやろ?」
「年号の妖精さん達だったかな? 昭和ちゃん、幕末ちゃん、戦国ちゃん――」
「へえ。なんや面白そうな連中やん」
「その子たちも、この学校で一杯楽しい思い出作れるといいですね」
少し寂しげに微笑む和歌山ちゃんに、大阪ちゃんは苦笑しながら言いました。
「まだ感傷に浸るには早いやろ。ウチらかて、あと半年もおるのに」
点けっぱなしのテレビから、六時を知らせるニュース番組が流れました。
気がつくと夕日は沈み、室内は電気を点けるか点けないかの夕闇時です。大阪ちゃんも和歌山ちゃんも、お互いの姿が段々とシルエットへと変わっていきました。
窓から涼しい風が流れ、チリンと風鈴を鳴らします。
「電気点けます?」
「ええわ、そろそろ帰るし」
「そうですね」
和歌山ちゃんはリモコンを操作して、テレビを消しました。静かな室内に、セミの鳴き声が響きます。
「――そういや、和歌山が夏休みに人間界に行くって話」
「はい」
「ウチも付いていこうかな」
「あ、一緒に行きます?」
「なんか急に田舎の景色が観たくなってん」
「それ……嫌味じゃないですよね?」
薄暗い室内に、ギロリと和歌山ちゃんの瞳が光ります。
大阪ちゃんは慌てて首を横に振りました。
「ちゃうちゃう、もちろん良い意味で、やで?」
「……ねえねえ……大阪……ちゃん」
眠そうな半開きの目を擦りながら、茨城ちゃんが目を覚ましました。
「なんや、起きたんかいな」
茨城ちゃんは一度大きく欠伸をしたあと、体の力を抜いて、顎をちゃぶ台の上に乗っけます。
「大阪ちゃん……大阪弁で『この犬はチャウチャウですか?』って言って……」
寝起きの茨城ちゃんは、おっとりした声でお願いしました。
「大阪弁で?」
「うん……お願い」
「――この犬チャウチャウ、ちゃうんちゃうん?」
「……ぷっ」
茨城ちゃんは可笑しそうに口に手を当てました。
「それじゃ次は『違う、チャウチャウじゃないよ』って言って」
「ちゃうちゃう、チャウチャウちゃう」
「……ぷぷ」
「いばらぎ、お前やっぱ大阪弁、バカにしとるやろ?」
「ちゃうちゃう……わて、いばらぎちゃう。いばら『き』でんがな……」
「コイツ……!」
握り拳を作ってワナワナ震える大阪ちゃんに、苦笑いの和歌山ちゃんが「まあまあ」とたしなめました。
「それじゃ、茨城ちゃんも起きた事だし、そろそろ帰りましょうか」
「せやな」
それぞれ自分の荷物を持って立ち上がり、ドアへと向かう三人。
「まだ眠そうだけど大丈夫? 一人で帰れますか?」
「んー、だいじょうぶ」
部屋から出ていく茨城ちゃんと大阪ちゃん。最後に和歌山ちゃんが振り返り、部屋に誰も残ってない事を確認してから、ドアを閉めました――。
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