第2話 千葉ちゃんと埼玉ちゃん
学校の授業が終わった、ある日の放課後。
今日は部活動がある日です。部活と言っても、大会やコンクールを目指す等の明確な目的は無く、近くに住む者同士が集まって交流を深めていくだけの活動です。
そして学校の東側校舎にある【関東部】の部室からは、茨城ちゃんの楽しげな歌声が聞こえてきました。
「ち、ち、ちばらき、ちばらきけーん♪ ちばといばらき、ちばらきけ~ん♪」
パイプ椅子の上にちょこんと正座して、窓から美しく舞い散る桜の花びらを眺めながらご機嫌に歌っていると、テーブルに足を乗っけて漫画を読んでいた、赤い髪に鋭い目つきの少女、千葉ちゃんがうんざりしたように言いました。
「あのさ、その歌止めてくんねーかな?」
「?」
茨城ちゃんは不思議そうな顔で振り返ります。
「千葉ちゃん、おらの歌嫌いだっぺか?」
「嫌いっつーか、なんつーか」
千葉ちゃんは顔をしかめました。
茨城県と千葉県。とうぜん都会度も知名度も魅力度も千葉の方が全然上なので、こうやって『ちばらき県』とネタにされるのを嫌います。
「あら、茨城ちゃんの歌は素敵じゃない、田舎者同士の歌で。わたくしはもっと聴いていたいわ」
クスクスと笑いながら会話に入ってきたのは、金髪縦ロールのお嬢様、埼玉ちゃんです。
東京ちゃん神奈川ちゃんに続く、関東三位の女神の座を巡って、この二人がお互いをライバル視しているのは学校でも有名です。
「いっその事、合併でもしてみてはいかが? 千葉ちゃんと茨城ちゃん、同じ日本の僻地に住む者同士、仲良くやれるでしょ」
口に手を当てて「おっほっほ」と上品に笑う埼玉ちゃん。
「おお、そりゃいい考えだ。千葉ちゃん、一緒に合体すっぺ!」
茨城ちゃんは目を爛々と輝かせながら、千葉ちゃんに飛びかかろうとしましたが、「止めなさい」と、後ろから現れた呆れ顔の東京ちゃんにひょいと抱きかかえられてしまいました。
千葉ちゃんは口の端を上げながら椅子から立ち上がり、埼玉ちゃんの鼻先まで顔を近づけます。
「あんたさ、アタシに嫉妬するのは勝手だけど、そのイライラをぶつけないでくれる? 迷惑なんだよね」
「嫉妬? わたしくがあなたに?」
「無理もねえか。テーマパークも空港も海も無い、姉御のベッドタウンってだけしか価値がねえもんな、お前は」
それを聞いて、埼玉ちゃんは鼻で笑います。
「あなたの所にテーマパークや空港があるのは、それだけ土地が余ってるって事でしょ。田舎自慢して楽しい? だいたいあなたの所は『東京ディズニーランド』に『東京ドイツ村』に『東京動物専門学校」って、姉さんの名前使ってる場所ばかりじゃない。プライド無いのかしら?」
「……喧嘩売ってんなら買ってやんぞ?」
「あーやだやだ、これだから田舎のヤンキー娘は困りますわ。何か言われると二言目に喧嘩喧嘩って」
お互い睨み合い、一触即発の不穏な空気が流れるなか、東京ちゃんに抱きかかえられたままの茨城ちゃんは、彼女の制服の袖を引っ張りました。
「なあなあ姉御、おらの所にも海と空港とテーマパークがあるべよ!」
胸を張って言う茨城ちゃんに、東京ちゃんが優しく訊ねます。
「海と空港は知ってるけど、茨城ちゃんの所にテーマパークなんてあったっけ?」
「つくばわんわんランド!」
「…………」
ガラガラ、と部室のドアが開き、二人の女の子が現れました。ウェーブしたセミロングの髪で目元を隠したオドオドした感じの栃木ちゃんと、太陽みたいな笑顔を見せている褐色肌のショートヘアー、群馬ちゃんです。ここに茨城ちゃんが加わり、埼玉ちゃん曰く『関東足引っ張りトリオ』の完成です。
「グンマー!」
部室に入るなり、群馬ちゃんが元気一杯に飛び跳ねます。
「あの……さっきそこで神奈川さんに会いました。今日は部活には来れないって……」
オドオドした様子で栃木ちゃんが報告すると、東京ちゃんが首を傾げます。
「あら、どうして?」
「あ、な、なんかバイトがあるって言ってました」
「そっか、しょうがないね。――それじゃ部活始めるよ。みんな席について」
壁に立て掛けてある折りたたみ式パイプ椅子を開いて、中央の長テーブルを囲むように座りました。東京ちゃんの両脇は千葉ちゃんと埼玉ちゃんがガッチリガードし、その対面に北関東トリオ、そして今日はいませんが、部室の端にあるソファーに神奈川ちゃんが座るというのが関東部の形です。
「さて、今日は何しようか。なにか意見ある人は手を上げて」
茨城ちゃんが元気よく手を上げます。
「はいはい! 四国部はみんなでお花見に行くって言ってたべ。おらも行きたい!」
「花見かー。アタシはあんま興味無いかな」
「ふふ、花より団子ですものね、千葉さんは。……いえ、花より喧嘩かしら?」
クスクス笑う埼玉ちゃんの挑発に、千葉ちゃんは相手にするのも面倒くさそうに手をひらひら動かしました。
「あの……私も行ってみたいです」
「グンマー!」
「栃木ちゃんと群馬ちゃんは賛成っと。二人は?」
「わたしくも賛成ですわ。今年に入ったまだ行ってなかったですし」
「まあアタシも別にいいけど。っつーか花見って手ぶらで行くもんか? よく知らねーけど、いろいろ用意するもんがあんじゃね」
「レジャーシートなら部室のどこかに仕舞ってあるし、食べ物や飲み物は購買部で買えば問題ないでしょ」
そう言いながら東京ちゃんは立ち上がり、壁に並べられたロッカーの上にあるダンボールを下ろします。中を見てみると、縄跳びや水鉄砲などの雑品と一緒に、折りたたまれたレジャーシートがありました。去年の夏に使って以来なので、少し埃をかぶってます。
表面の埃を手でパンパン叩きながら、東京ちゃんが言いました。
「よし、それじゃお花見に行く準備をするよ」
関東部がやってきたのは、学校から歩いて二十分ほどの所、小高い山の上に建てられた緑地公園でした。閑散とした園内には人が少なく、名所にあるような立派な桜はありませんが、気軽に花見が楽しめる場所として、隠れた人気スポットです。
みんなで購買部で買ったジュースやお菓子の入ったビニール袋を揺らしながら、レンガで舗装された道を進んでいくと、芝生広場の真ん中に満開の桜が一本だけ植えられてるのを発見しました。
「あら、いい場所があるじゃない」
「ベストスポットだべ!」
「グンマー!」
みんなで桜の木の下まで歩いていくと、不意に一陣の風が吹いて、辺りに淡い桃色の花びらが舞い踊りました。どうやら桜も歓迎しているみたいです。
「キレイだっぺ……」
「はい……」
「グンマー……」
北関東トリオがうっとりした表情で桜に見惚れているうちに、関東のお姉さんチームが手際よく花見の準備をします。
三畳ほどのレジャーシートを広げ、風に飛ばされないよう四隅に荷物を置きました。
「おーい、おいでー」
東京ちゃんに手招きされ、茨城ちゃんたちは靴を脱いでシートの上にあがります。
部員たちはシートの上で円を描くように座りました。真ん中にはさっき買った色んなお菓子が並べてあります。
埼玉ちゃんはペットボトルを手に取ると、六個並べた紙コップにジュースを注ぎ、それぞれの前に置きました。普段は高慢な彼女ですが、こういう所に気配りが感じられます。
東京ちゃんは紙コップを持った手を掲げ、
「それじゃ、関東部のお花見にかんぱーい!」
「かんぱーい!」
周りが雑談に花を咲かせるなか、茨城ちゃんはジュースをゴクゴク飲みながら、隣に座っている千葉ちゃんに話しかけます。
「ねーねー、千葉ちゃん」
「あ?」
「桜、キレイだべな」
「……だな」
千葉ちゃんは、フッ、とニヒルに笑います。
片膝を立てて、舞い踊る桜を見上げている千葉ちゃんを見て、なんだかカッコいいなーと思う茨城ちゃんでした。
「あらあら、千葉さんにも桜の美しさが理解できる心を持っていたなんて意外ですわ。てっきり特攻服に刺繍された桜にしか興味ないと思っていましたのに」
埼玉ちゃんは嫌味を言いながら、茨城ちゃんの空のコップにジュースを注ぎます。
「チッ、姉御の小判鮫が」
吐き捨てるように言うと、千葉ちゃんは一気にジュースを飲み干しました。
「それは貴女でしょう、東京◯◯ランドさん?」
こんな事を言ってますが、すぐさま千葉ちゃんのコップにジュースを注いでいる所を見ると、やっぱ気配りが上手です。
「もう二人とも、こんな所で喧嘩しないの」
東京ちゃんは小さく溜め息を吐きました。
「姉御はいいなー、モテモテで。羨ましいべ」
「別にモテてるって訳じゃないと思うけど……」
「なあなあ。姉御は千葉ちゃんと埼玉ちゃん、どっちが好きなんだけか?」
茨城ちゃんからの意地悪な質問に、東京ちゃんは「うーん」と顎に指を当てて考えます。
それを真剣な眼差しで見つめる千葉ちゃんと埼玉ちゃん。
そして、東京ちゃんはゆっくりと皆を見回したあと、静かに口を開きます。
「私はどっちも好き――ううん、どっちも大事って言った方がいいかな」
「どっちも?」
「だって私ひとりじゃ何も出来ないもん。周りの皆に支えてもらって、それでなんとか私は立っていられるの。だからそんな私が、誰が一番好きだなんて、おこがましくて考えられないよ」
桜の舞い散るなか、そう言って東京ちゃんはニッコリと微笑みました。
「それはおらも同じだべ。みんな、いつも助けてくれてありがとうです」
茨城ちゃんは立ち上がって、みんなにお辞儀します。
「こちらこそ」
栃木ちゃんも頭を下げました。
「グンマー!」
明るく笑いながら群馬ちゃんが飛び跳ねます。
「ほれ、千葉ちゃんも埼玉ちゃんにお礼を言うべ。いつもありがとうって」
茨城ちゃんに背中を叩かれ、千葉ちゃんは一瞬埼玉ちゃんの方を見ましたが、すぐに目を逸らしました。
「……いや、別にアタシ、埼玉に世話になってないしな」
「それはこちらのセリフですわ。貴女がいなくなった所で、わたくしには何の影響もございません事よ?」
お互い憎まれ口を叩く二人。仲良くなるのはまだまだ先のようです。
だんだんと日が沈んでいき、空はすっかり茜色。関東部のみんなは日が暮れるまで花見を楽しみました――。
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