豚喰麺闘記

凡木 凡

第1話 麺愛

 昼と呼ぶにはまだ早い時間帯ではあったが力町商店街はそれなりの人出でにぎわっており、少し早めの昼飯を決め込んだ中年サラリーマン達が格安焼肉店の看板に足を止め今日のランチについて思量している。

 そんな光景を斜眼しながら、西山大貴は商店街の奥に吸い込まれるように足を向かわせていた。闊歩するという言葉が似合う大柄な風貌、空き腹を紛らわせる様にさする様はまるで飢えた熊のようであったが、どこか愛嬌のある大きな目は他店の看板など一瞥もくれず着実に目当ての店へと近づいていた。

 人が対面でご用聞きするタイプの古いたばこ屋から路地にはいるとすぐに上質な小麦粉臭が漂ってきて、後はにおいの元に近づくように歩けば麺屋「キジ虎」力町店の黄色い看板が見えてくる。

 昼時ともなれば十数人の行列ができるこの麺屋もそれなりに早い時間帯に出向けば並ぶ人もまだ疎らであるが、西山が開店時間前に足を運ぶのはこの店の「ファースト」を張るという目途の為であった。

 近年の大盛りラーメンブームに乗った形で人気を得たこのキジ虎も、ご多分に漏れず鬼の様に盛った野菜とぶた、超極太麺とギトギトのスープからなる気の触れた様なボリューム感を売りにしていた。


 「インスパイア」と呼ばれるこの手の麺屋で好んで使う麺は例外なく極太麺であり、茹でるのに7分以上かかる。この為、店は一度に決められた人数分の麺を一度先に茹で始めてしまい、茹で上がったところで客にラーメンを提供、空いた鍋では次の麺を茹で始めるというローテーションを行う。

 通常5人分ずつ茹でられてゆく工程は「ロット」とよばれ、行列は5人づつラーメンにありつき、次のラーメンが出来上がるまでに食べ終えて席を離れるというのがこの手の店の決まりであった。

 このキジ虎のめくるめくローテーションの中の最初の5杯の事をファーストと呼び、これを食べる為に西山は毎日この時間に足繁く通っているのだ。

 今日は天気も良く絶好のキジ虎日よりであった為通常より5分早めに店に着いた西山であったが、特に問題なく3人目に並び本日もファーストの恩恵を享受する事となった。

 とはいえ、キジ虎の麺提供能力は洗練されており、ファースト、セカンドはおろかその後に至るまで味にブレなどありえず、にもかかわらず西山が頑なにファーストにこだわり続けているのにはラーメンのクオリティとは別の、彼の矜持といえなくもないまた別の理由からであった。


 列に加わる前に一度店内に入り、自販機で食券を購入する。大ぶたダブルの証である赤色の食券を手に取ると、店の外の列に戻り開店を待つ。店主の威勢のいい合図とともに、ファーストの権利を得た5人がテーブルに案内されそれぞれの食券を目の前の提供棚にならべてゆく。こうなれば後は店主の声がかかるのを待つのみだ。

 人数分の麺が大きな寸胴鍋の中に沈められ、ボコボコといい音を立てて煮えてゆく。店主はいったん湯切りから手を離すとタイマーのスイッチを入れ、それからヤサイとぶたの用意に取りかかった。

 同じタイミングで席に着いた同士達の札は小ラーメンを表す青。店主によって綺麗に切り分けられたぶたの半分は西山のどんぶりに鎮座する予定である。西山はさっきまでの和やかな気分から一転、険しい面もちになると入店時にくんでおいた水を一口だけ口にした。

 オールグリーン、すべての準備が整い、店主が魔法の言葉を口にする。自分の順番を待ちかまえる自分に、ついに主人が口を開いた。


「ニンニク、いれますか?」

「アブラニンニクマシマシ!」


 店主の魔法に唱和するように、いつも通りの呪文を唱える。アブラニンニクマシマシ、それは自分をしばしの極楽浄土へと導く合い言葉のようでもあった。

 間髪入れずに自分の目の前にこの世の物とは思えないような大きな丼が置かれた。開幕の合図である。


 西山は麺を愛し、店を愛し、店主を愛し、そして自分と同じくこのキジ虎力町店の麺を愛する同士達をも愛した。それだけに、常連ならまだしも新規の客達がこの店で嫌な思いをする事を悲しく思った。

 量を売りにした麺屋、ことにインスパイア系ではしばし小さなアクシデントが起こる。大抵それは一見客が想像以上の量の前に食べきることが出来ず、次のロットが回ってきても席に残ったままという通称「ロット崩し」であるのだが、これが起こってしまうと客も店主もペースを乱し、結果店の回転がバランスを崩してしまう。次のロットで体勢を立て直す事が出来れば大した問題にはならないのだが、大抵この手の麺屋の主人は頑固者が多く、自分のペースを乱されたことにひどく立腹したり、ペースを守ろうとする為にまだ食麺中の客に向かって「あまり時間をかけるならもう席を立ってくれ」など言い出す者もいるのだ。

 なけなしの勇気をふりしぼって麺と対峙しにきた者が店主からその様な言葉を浴びせかけられては、二度とその店に足を向けることはなくなってしまうだろう。しかし、キジ虎の様な個人店舗にとってその様な行為の積み重ねは店を緩やかに終焉へと向かわせる事明白であった。

 この考えに西山が至ったとき、西山は店主に訴える訳でも客を諭す訳でもなく、自らが道をつくることでこの店を守ろうとした。ロットマスター西山の始まりである。

 西山は毎日の様にキジ虎に通ううちに、ロットの安寧はファーストをいかに綺麗にきり抜けるかにある事を突き止めた。以来、西山はロットマスターとしての職務を遂行すべく毎日ファーストへ参戦しているのだ。


 周りの客は全員小、それに比べて西山の大ぶたダブルはひとまわりおおきな丼に独立峰のように高くつみあげられたヤサイ、そしてその麓には2倍のぶたとアブラが鎮座している。西山は割り箸にはまだ手を着けず、丼の端を両手で持つとその縁に口を付け、まずはスープを啜った。

 ほどよく乳化されたスープが口いっぱいに広がり、西山の胃袋を潤していく。キジ虎のようなインスパイア系においては、まずは麺を削ってスープによる伸びを防ぎにいくのがセオリーであったが、西山には正着に順じるよりも大切な自分の中の本道、麺道があった。

 おもむろに割り箸を割ると、眼前に広がる高き峰を攻略してゆく。己の舌は早くも長く細いものを切望しているのが自分でもわかるが、はやる心を抑えつつも、一歩一歩着実に歩みを進めてゆく。

 孤高の存在とも思われたその山も西山にかかれば瞬く間にその入山を許し、やがてその峰はすべて西山の胃に収まることとなった。

 しかし、西山はその手を緩めることなく箸を深く潜らせ、水面下にとぐろをまく麺を引きずり出すとそのままかぶりついて豪快に啜った。

 西山の舌はついに相対した麺の上質な小麦粉特有のグルテン風味を存分に味わった。そして前歯で外界とのつながりを切断する。ブツリという小気味よい感触が神経を通じて西山の脳に直接響きわたらせ、太麺特有のコシを文字どおり噛みしめてゆく。インスパイア系のラーメンにおいてこの太麺のぷりぷり感を味わえるのは早食いに長けたものだけが味わう事の出来る恩恵なのである。


 そして、ぶた! ああ、ぶた!


 農家の愛、主人の愛を存分に感じながら、大きく切り開かれたぶたを己の胃袋に放り込んでゆくこの幸福感。ぶたの断末魔の叫びがいまこの自分の耳にも聞こえてくるかのようで、西山は狭い店内で隣の客に悟られないよう静かに打ち震えた。そうしてダブルで並べられたぶたが目の前から消え失せるのにそう時間はかからなかった。

 気がつけば西山の前の丼は提供された時からは思いつかぬ様な貧相な姿へと変わっていた。しかしここへきても西山からは油断の気配など感じられず、冷静に周囲の同志のペースを確認した。西山以外は全員小サイズだったとはいえ、このハイペースに追従するものなどそうは居るわけもなく、一番進捗の進んでいる丼はやはり西山のものであった。

 ここからがロットマスターの真骨頂である。3塁側の2人はよく見る常連であり、西山も会話こそした事はないもののお互い認めるこの店の麺バーである。2人とも後は少量の麺とぶたを残すのみであり、このまま首尾よくゆけばあと5分もすれば完食である。次に自分の右手、一塁側の2人を目視確認しにわかに緊張が走る。

 1人はあと3口程度といったところだが奥の1人は新顔、他のキジ虎経験はあるのかもしれないが系列でも量多めと噂されるここ力町店では初参戦の様で、うつろな目で麺を啜るその顔には不安の汗が浮かんでいた。

 しかしこのような状況でも西山が慌てることなく冷静に判断し行動したのは、ロットマスターとしてこの店を守るという揺るがぬ信念からくる自信に他ならなかった。

 まだ慌てる時間ではない。西山はそれまでハイペースであった箸の動きをゆるやかにし、1本1本の麺を愛おしむように時間をかけて食べ始めた。

 このままのペースで俺達が食べ終えてしまうと、奴が一人だけ残ってしまう。同ロットの麺バーが次々と退席してゆく中で一人残され店主のプレッシャーを1人で受けて食べるのは地獄の苦しみである。同じファーストに参戦した者同士、そんな状況だけは絶対に回避しなければならない。

 すると、そんな西山のペースメイクに気づいたのか、隣の食べ終えようとしていた同志も水を汲むために席を立ち始めた。明らかに時間稼ぎの構えである。3人が席を立った状態で西山のみが時間を稼いでいては、あまりにもあからさまであり、このもう一人の救援者はその間をつなぐ中継ぎの役割を買って出てくれたのだ。

 目頭が熱くなり、ただでさえ塩辛いスープに一層の塩気を感じつつも、西山は自分の役割を果たそうと再び丼と向き合う構えを見せた。

 3塁側の2人はこの様子を確認し後は任せたとでもいうように一瞬目配せをすると、あまり引っ張りすぎるのもそれはそれで問題であると分かっているかの様に店主にごちそうさまを言い席を立った。心地よい連帯感とやさしさでが店全体が満ちあふれていくを西山は感じた。

 目視で確認すると一番ペースの遅い者の丼の中身は約2割。西山にはこのまま粘れば問題なく全員で生還できる状況に思えた。

 ゆっくりと水を飲み終わった一塁側同志が店主に礼を言い席を立つ。

自分のロットメイクもここまでだ。あとは彼が自力で何とかするだろう。

 西山は自分の残りの丼の中身を難なく胃袋に放り込むと、そなえつけの布巾で自分とその周りのテーブルを軽く拭いた。それは本日のキジ虎との対峙の終焉を意味していた。店主に軽く会釈をしごちそうさまというと早足で店を出る。

 元来た道を通って商店街の本道に向かう。角のたばこ屋でアメスピのメンソールを一つ注文し、財布を取り出すついでにふとキジ虎の方に目をやると、ちょうど列が動き出した。セカンドの奴らが店主にコールをしているところのようだった。


「……明日もキジ虎で食えるといいなあ」


 西山はぽつりとそうつぶやくと、たばこを受け取り上着のポケットに無造作に押し込んで、幾分かおおきくふくらんだお腹を右手でさすりながら仕事場に向けてまた歩き出した。

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