豆粒キャパシティ・


「山平せんせーの目ってなんかおかしくない?」


 塾バイトの帰り、駐輪場で生徒が私の話をしているのが聞こえて足を止めた。なんとなく出づらくて壁に寄りかかる。


 高校の卒業式前日の夜。


「二重にしたいんだけど」


 気まずい沈黙の後、お母さんは何かをしのぶように微笑んで「いいよ」と言ってくれた。美容整形の全切開手術をして五年も経つというのに、未だに傷跡が肌に馴染まない。目を開いているときは問題ないが、目を伏せたときのラインが少し不自然になっている。アフターケアのカウンセリングに足を運んだが「時間が経てば馴染む」「修正手術を希望なら通常料金が必要となる」と言われて泣き寝入りした。この目じゃ映像の仕事は難しいだろう。お母さんに借りた手術費の三十万円は卒業後少しずつ返済していたが、残りの十万円が返せないままでいることがずっと気になっている。


 目のことを他人に直接指摘されたことはないけれど、裏ではこんな風に言われているらしい。やっぱり気づくよな、と憂鬱になる。しかし、いつまでもこうして待っているわけにはいかない。スーパーの閉店時間も迫っているし、寒い。マフラーを巻かずに家を飛び出たことを悔やみつつ、気を引き締めて笑い声の中に突入し、何食わぬ顔で「さようなら」と言って去る。行儀のいい子達なので挨拶は返されたが、その後微かに押し殺すような笑い声が聞こえた。


 スーパーの閉店時間にギリギリで滑り込んで適当に食材を買い、アパートに着くと、すぐに集合ポストを覗いた。待っている便りがあるのだが、届いていない。早く来て欲しい気持ちと、来ても開けるのに勇気がいるな、という気持ちが、胸の中で雲みたいに浮ついてソワソワする。階段を上りながら想いを馳せていたけれど、クボタさんが私の家のドアポストを覗き込んでいるのを見て気分が一転した。


「何してるんですか」


 ダウンジャケットを羽織った肉付きの良いクボタさんの肩が飛び跳ねる。


「覗き?」


 想定したよりも威圧的な声が出た。クボタさんは否定するように顔の前で両手をブンブンと振っている。


「ちがう、ちがうのよ。山平さんのお家にね、女の子いるでしょう? あの、キャミソールの」

「それが?」

「なんだか大きな音がしてたから、気になって様子を見に来たのよ」

「で?」

「ねえ、あの子山平さんの知り合いだったの? まさか知らない人を住まわせないだろうし……。えらく美人さんだけど、お仕事は何してるの? これからもずっと住むの?」

「は?」

「ねえ、口出しするようだけどあんまり良くないんじゃない? 乱暴そうよね、大きな声も聞こえてきてたし………。あ、そう、里芋の煮っころがし食べる? 持ってくるわね」


 誤魔化されない。慌ただしく背を向けたクボタさんの太い腕を掴む。偽善で包んだ野次馬精神。私はこういう人間が大嫌いだ。魂胆が透けて見えてるんだよ。


「あんた、今までもこんなことしてたわけ?」

「こんなことって?」


 クボタさんの顔が引きつっている。


「人ん家覗くようなことだよ」

「してないわよぉ。言ったでしょ、大きな音がしたのよ」


 だからって人の家を覗くなんておかしい。自分たちの暮らしをこんなくだらない奴の慰めに消費されることに虫唾が走る。胸のムカつきに突き動かされるように、腕にぶら下げた買い物袋から牛乳パックを取り出し、片手で開けて白髪混じりの脳天にかけた。クボタさんはギャッ、と飛び跳ねてジタバタと顔を拭った。私は口汚い暴言をいくつか吐いて、中身の残った牛乳パックを投げつけて部屋に入った。鍵とドアチェーンを掛け、洗面所に置いてあるガムテープで扉の内側にあるポストの開閉部分に貼り付けようとして、ポストを覗いても中の様子が見えるわけではないことに気がついた。余計に気持ちが悪いじゃないか。手放したガムテープがゴトンと間抜けな音を立てて床に落ちた。頭を扉にもたせかける。


 ――――――またやってしまった。


 初対面の鎹にチョップした時と同じだ。制御ができない。感情が怒りに偏ると極端な行動を取ってしまう。昔はこういう衝動をグッと溜め込んで、自分の中で少しずつ消化していたはずなのに、すっかりそれができなくなった。塾の駐輪場で堪えた分、こんな形で発散してしまったのだろうか。


「志維菜〜〜……? おかえりぃ〜〜」


 詩恵奈は下半身をベッドに乗せた姿勢で床に寝転がっていた。覗かれていたとは知らず、呑気なものだ。


「あんたまた壁とか叩いたりした?」

「してへんわ。ゴロゴロしてたぁーー………。お腹空いてぇ、でも冷蔵庫空っぽやからぁ、志維菜の帰りを待ってたのぉーー……」


 クボタの言い分は完全に嘘だったらしい。


「何か買って来たらよかったのに」

「金があればな………まあ………そう怒んなよ………」


 詩恵奈は眠そうに目を擦っている。詩恵奈の目は綺麗なアーモンドアイだ。前髪がセンターで分けられているから、西洋人みたいにクッキリとした平行型の二重の目が強調されている。羨ましい。


「食材買ってきたから何か作ってよ、コックさん」

「あたしの本業はぁぁあ………絵を描く人ォ………」


 詩恵奈はうだうだ言いながら、ズルズルと体を引きずって動き出した。私はちょっといっぱいいっぱいだった。


 これが映画なら、精神的に崖っぷち・ギリギリ・背水の陣極めたりって感じのこの状況でも、最後には報われる展開が待っている。いままでの不遇が伏線に生まれ変わり、何かしらの形で報われることになるだろう。


 私が映画の主人公だったなら。


 先行きが見えない暗闇の中、ポストを覗くと一通の手紙がある。先日オーディションを受けた、ダメだったはずの事務所からだ。思いがけず特別審査に招かれることになり、そこで一発ぶちかます。逆転サヨナラホームラン。夢が叶って五年後には大スター。


 だけど、私は映画の主人公じゃない。

 階下に住む大学生とは上手く話ができず、バイト先では陰口を叩かれ、アパートに帰ると隣人に部屋を覗かれる。夢と関係の無い、創造性のないことで煩わしい思いをして苦しくなる。祈るようにポストを覗いても手紙は無い。無い――――。


「あ、そう。なんか手紙来とったで」

「ンアッ!?」


 詩恵奈の手から、茶色い封筒をふんだくる。差出人を確認すると、先月所属オーディションの二次審査を受けた事務所からの手紙だった。


「何、今の奇声。急に役者感出すんやめて」

「なん……! 来てたんだ!?」

「昼間、近所探検しにブラブラした帰りに見たらあったから」

「ナイス!!」


 封を開けて紙を取り出す。……ああ! 見たくない。だけど目を逸らすわけにはいかない。合か不か。陰か陽か。白か黒か。行けるのか行けないのか。決まるのか決まらないのか。今さらどれだけ祈っても変わらない結果が、ここに書いてある。


 覚悟を決めて紙を開いた。


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