詩恵奈と据え膳とタカシ(草食説)

 目玉焼きを作る。食パンは一枚しかなかったのでトーストして四等分し、オシャレっぽくナナメに盛り付けて量が少ないことをごまかす。


 詩恵奈がコーヒーも紅茶も飲めないと言うので(大人の飲み物感が苦手らしい。意味がわからない)冷蔵庫に残っていたアップルジュースをレンジで温めて出した。詩恵奈は温かいマグカップを両手で包み、口をつけずに中身を睨んでいる。


「絶対邪道やん。アップルジュースを温めるという発想がまず無いわ、この乱暴者。でも、志維菜」

「なに」

「ありがとう」


 初めて詩恵奈の口から感謝の言葉が出た。


「普通、昨日会ったばっかの奴にここまでしーひんやろ。めちゃくちゃ他人やのに、優しすぎるわ……うわ、これ地味にイケる。うん、あったかいご飯作ってもらえるってうれしいな」


 こんな風に真正面から礼を言われることに慣れていないから、むずがゆい。

 それよりも昨日の件だ。単刀直入に切り出すと沈黙が訪れそうなので、まずかすがいとの関係を尋ねた。


「従兄弟やねん。あっちが六つ上。就職でこっちおるの知ってたから連絡して、ほんなら泊めてあげてもいいよ的なことを言ったような気がするからゴニョゴニョ、お邪魔した」


 なんだか引っかかる物言いだ。


「あんな格好してたのは、その……襲われた、みたいな? あ、別に話したくなければいいんだけど」

「いや、そうじゃあないねん」

「じゃあなに?」

「いや、それは、その……………お礼」

「は?」


 言いにくそうに、声を低くして、目をそらしながら。


「お礼をしようと思ったんよ」


 お礼。……ああ、そういうことか。


「あ………うん、へえー………」

「引くなや」

「詩恵奈は好きでもない相手に、そういう………」

「んーん、タカシのことは好きやったから」


 フタを開けてみると鎹はものすごく草食系で、激しく抵抗されたという。詩恵奈は意地になって誘惑に全力を出して組み敷いたが、最終的に力負けして外に追い出されたらしい。つまり"襲った"のは詩恵奈の方だったのだ。それでも寒空の下に女の子を下着姿で放り出すのは最低だし、据え膳食わぬはなんとやらだと思うのだが、そうしてしまうほど鎹が身の危険を感じたとなれば難しいところだ。


「ほぼ裸やし、外やし寒いのに服も荷物も中やし、他に行くとこ無いし、もうドアに穴開けるしかないなーと思って無心でドア殴ってたら志維菜が声かけてくれた」

「私の前にも声かけてくれたおばさんがいたでしょ?」

「おったけど、タイミング的に強がってまうやん。プライドが邪魔をしたよね」


 なんだそのゴミみたいなプライドは。


「で、これからどうするん? 大阪帰るの?」

「帰らん。このまま東京住む」

「仕事は?」

「コンパニオンの事務所の本社はこっちやから、東京の案件回してもらうようにする」


 本人はあっけらかんとしているが、私としては行き当たりばったりすぎて呆れてしまう。生活の基盤を作るまでの間、住むところはどうするつもりなんだ。鎹はもう頼れないだろうし。


 そのとき、嫌な予感が頭の中を全力疾走した。タイミング良くインターホンが鳴ったのだ。控えめに響いた後、外で重い物をドサリと置くような物音が聞こえる。


 扉を開けると、海外旅行向けの大きなスーツケースと、その上にちょこんと乗った女性物のニット、畳まれたコート、マフラー、その脇にヒールが擦り減った黒のショートブーツが置いてあった。贈り主はサンタさんではなさそうだ。


 それを見た詩恵奈は、鬼の形相で裸足のまま暴走列車のように駆け出し、鎹宅のインターホンをダンダダダンダンとリズミカルに鳴らし始めた。エキセントリックスイッチが入ってしまったようだ。


「おい、タカシィ………」


 その細い首からは想像できないほど野太くドスの効いた低い声で、詩恵奈は扉の向こうにいる鎹に声をかける。


「ちょぉっ……………とでいいから、お話しようや、なあ。裸で放り出しといてこのまま終わらすつもり? あれであたしが何かに襲われたりしたらどうするつもりやったん? あたしが、どんな思いをしたか………なあ、聞いてるよなァ……?」


 扉を殴る手がどんどん強くなる。ドンドドドンドン。雪遊びに誘うかのようなリズムなのに、パンチはヘビーだ。扉を殴る詩恵奈にどう声をかけたらよいのかわからず、ただ見ていることしかできない。朝っぱらから何事だと扉を開けてこちらを伺う気配がする。クボタさんだ。めっちゃこっち見てる。

 世間体も気になるが、こんなに騒いでいるのに黙りを続ける鎹にさすがの私も腹が立ってきた。早く終わらせようとインターホンを鳴らしてみた。


「鎹さーん? 隣の山平ですー。少しお話を……………………ん?」


 扉のポストのフタがパカリと開いた。紙が一枚出てくる。


『しえなには会いたくない』


 詩恵奈に見せたらダメなやつだな、と悟った矢先に詩恵奈に紙を奪い取られてしまう。それを見て怒りが天元突破した詩恵奈がヘヴィーな後ろ回し蹴りを繰り出して扉をぶち壊し、鎹発見、ロックオン、タックルからのローリングかかと落とし、馬乗りになってパンチ、ビンタ、パンチ、飛んでトドメの頭突き、からの目潰し…………を繰り出すであろうことを覚悟したその時、詩恵奈は無の表情で紙をクシャリと丸めて部屋に戻ってしまった。数秒後、おーいおいおいと痛烈な泣き声が聞こえてくる。浮き沈みの激しい人生だ。


 もう一度鎹宅のインターホンを鳴らすとやっとドアが開いた。鎹は私と背が変わらないほど小柄で中性的な顔立ちをしている、とてもアラサーには見えない幼い雰囲気の人物だった。動物に例えると、リス。


「ご迷惑をおかけしました」


 ボソボソとした陰気な声。


「昨日、隣からしーちゃんの声が聞こえてきたんで……あ、保護してもらえたんだなって安心しました」


 その物言いには内心呆れたが、私も一社会人として鎹に向き合う。


「単刀直入に言いますけど、女の子を下着姿で放り出すというのは……」

「しーちゃん怖いんすよ」

「だからって最低でしょう。詩恵奈も言ってましたけど、何かあったらどうするつもりだったんですか」

「仕方ないでしょ!? ああでもしないと、俺がしーちゃんに襲われてたんだから!」


 はあ? と、思わず声に出してしまった。


 しかし、よくよく聞くと鎹の言い分はラリパッパーのピーヒャラピッピーではなく、「もしかしたら衣服を着せる余裕もなく閉め出してしまうに相当するよっぽどの理由があったのかもしれない」という考えにピタリとハマるものだった。つまり、鎹は詩恵奈の来訪にウェルカムボードを構えていなかったのだ。一方的に押しかけてきた詩恵奈に文句を言うと「泊めてもらうお礼にひとまずこれで」と詩恵奈は服を脱いだ。貞操観念。

 「そんなことしなくていい、そうするくらいなら無償で泊める」という鎹の半泣きの申し出(!?)も聞かずに詩恵奈は鎹にのしかかった。生命の危険を感じた(!?)鎹は、身を守ろうとなんとか玄関まで這い、火事場の馬鹿力を発揮して詩恵奈を外に追い出したという。

 男性にとって美女からの誘惑というシチュエーションは喜ばしいものだとばかり思っていたけれど…………ん?


「失礼ですが、それって結局鎹さんに度胸が無かったって話では……………?」

「俺、しーちゃんから逃げるために東京の会社に就職したとこありますから」


 そこまで詩恵奈が怖いか。怖いよなあというのは見ていて感じるところだが、それを踏まえても腑に落ちない私は詩恵奈に甘いだろうか。いや、その拒み方が正しいかどうかくらい判断できて然るべきだ。放り出された詩恵奈がどんな思いで一時間半も冬の夜に扉の外で座り込んでいたことか。思いを馳せると、胃のあたりが火傷しそうなほど熱くなった。

 衝動的に、詩恵奈への恐怖を語り続ける鎹の脳天にチョップを叩き込む。詩恵奈への謝罪を約束させて話を終わらせた。


 ――――関わるつもりなんてなかったのに、思いきり介入してしまった。しかも初対面の人にチョップまで。昨夜詩恵奈と取っ組み合ってから理性がバカになっている。心の蛇口が開きっぱなしだ。悪影響。


 気を緩めると深い溜息がこぼれた。なんだか胃がムカムカする。ムカムカ、キリキリ、ムカムカ…………あ、これあかんやつ。


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