3
ノックの音に、伊藤はギクリと身を強張らせた。一瞬、束縛が緩み、僕は身を捩って、首に巻きついた伊藤の腕から逃れた。ドアが開かれ、院長の真兼剛三氏の姿が現れた。
「絵里香! お前がパパに渡してくれた薬……」
言いかけ、自分の足元に、仰向けになっている、絵里香の姿に気づいた。院長の両目は飛び出さんばかりに見開かれ、ドアノブに手を掛けたまま、凝固した。
伊藤は咆哮し、剛三氏に突進した。
はっ、と顔を上げた剛三氏だったが、すでに伊藤は跳躍するように近づき、手にした器具を翳していた。ぴかっ、と青白い光が放たれ、剛三氏はくたくた、と崩れ落ちた。
剛三氏は肥満体というわけではないが、がっしりとした身体つきで、そう軽くはない。が、伊藤は片手で軽々と持ち上げた。絵里香の側に、院長の身体をそっと横たえる伊藤の顔は、思い切り苦虫を噛み潰した、といったものだった。
「糞、邪魔が入った!」
呟くと、ジロッと僕を物凄い目付きで睨んだ。
来る! と思った僕だったが、開いたドアから、意外な人物が顔を出した。
「御嬢様、お食事を……」
顔を出したのは、亀山老人だった。老人はひょっこりと顔を覗かせ、室内の様子に目を丸くした。
さっと身を翻した伊藤は、猛烈な勢いで老人に殺到し、再び光が放たれた。ぐたっと膝を折った老人を抱え上げ、伊藤は叫んだ。
「なぜ、こう邪魔が入る!」
老人の細長い身体を、ずるずると引っ張り、伊藤は顔を真っ赤にさせて怒鳴った。
すると、またドアの外で気配がした。
「ねえ、啓太さん。あたしたち話し合ったんだけど……」
顔を覗かせたのは、天宮奈々だった。すぐ側に、マネージャーの、月影留美がいた。留美は僕を見ると、にっこりと微笑んだ。
「啓太さん! あたしたち、二人であんたを愛することに決めたわ! お互い、嫉妬しあったって、つまらないもんね!」
留美の言葉に、奈々も僕に向かって、手を振った。
「そうそう! もう、どっちと結婚して、なんて言わない。これからあたしたちと、三人で愛し合いましょ! 絵里香さんも、一緒でいいのよ」
伊藤は「うおおおおっ!」と思い切り、吠え立てた。伊藤の吠え声に、ドアの側に立っていた奈々と留美は、ギクリッと立ち竦んだ。
「なぜだっ! なぜだっ! なぜ、邪魔が入るっ!」
伊藤はだんっ、だんっ、だんっ! と、何度も床を踏みしめ、駄々っ子のように喚いていた。奈々と留美は、そんな伊藤を、呆然と見詰めていた。
「こうなったら、何人でも一緒だ!」
のしのしのし、と床を踏みしめ、伊藤はドアに猛進した。伊藤の様子に、奈々と留美は恐怖に顔を引き攣らせ、くるりと背を向けて走り出した。
それまで凍り付いていた僕は、伊藤を追って走り出した。なぜ、走り出したのか、自分でも判らない。
伊藤とほぼ同時に、僕はドアから外へ飛び出した。
その時、一斉に、フラッシュが焚かれ、僕は棒立ちになった。
見ると、真兼家の中庭一杯に、報道陣が密集していた。
「出てきました! 出てきました! 三日前から行方不明になっていた、あの紬啓太さんが、今、報道陣の前に姿を現しました!」
テレビカメラを背に、ワイドショーでよく見るレポーターが、マイクを片手に興奮した様子で叫んでいた。
僕が立ち止まると同時に、無数のマイクや、カメラが突き出され、レポーターたちが口々に「一言、何か一言!」「どこにいましたか?」「奈々さんとはどのようなご関係ですか?」「破局という報道がありますが、いかがですか?」「新しい恋について一言」「何でもいいから、一言!」「何か言えよ!」最後には、ほとんど脅迫じみた口調になった。
僕の側には、伊藤が「信じられない」とでも言いたげに、ぼんやりと周囲を見回していた。その瞳はキョトキョトと落ち着きなく動き、顔には冷や汗が一杯、浮かんでいた。
伊藤は、隣に立つ僕に気づき、ぐいっと顔を捩じまげて怒鳴った。
「どうなってる? なぜ、一斉に、こんな大勢がここに集まった? いったい、何が起きているんだ?」
伊藤の口調は、僕に全面的に責任がある、とでも言いたそうだ。だが、僕に責任を追い被せるのは間違っている。
僕だって混乱しているんだ。
「五月蝿いなあ……」
不機嫌そうな口調で、のそのそと絵里香が出口に立った。
顔つきを見ると、いかにも寝起き、といった雰囲気だ。伊藤の放った「神経麻痺光線」とやらから、今目覚めたのだろう。絵里香は僕を認めると、唇をへの字に曲げた。大いに不満、といった表情だ。
「啓太、一体全体、この騒ぎは何だ?」
僕は答えられず、肩を竦めた。
もとより、絵里香は僕に答えなど求めていないのだろう。ぼりぼりと頭を掻くと欠伸をして、ひょい、と視線を空に上げた。
絵里香の瞳が、ピンク縁の眼鏡の奥で、一杯に見開かれた。
何が絵里香を驚かせたのだろう、と僕も、絵里香の視線を追って、空を見上げた。
僕も驚いた!
なぜなら真兼病院の上空には、巨大なUFOが浮かんでいたからだ。
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