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 真兼病院の正門をリムジンが通過すると、すぐ正門の鉄扉が左右から閉められ、ガチャーン……! と空ろな音が、車体を通して僕の耳に響いた。

 何だか閉じ込められた……といった感覚に、僕は落ち着かなくなった。まあ、すでに夜中になっているから、正門を閉めるのは当たり前だけど、でも、絵里香が一緒ではぼんやりと安心できない。

 絵里香はやる気満々だ。

 何をやるって? 勿論、僕を被験者として、実験するためだ。僕は絵里香のモルモットだ……。

 いつか、この関係を解消しなくては!

「降りろ!」

 リムジンが停止すると、すぐ絵里香は僕を促して、研究室へ急いだ。絵里香の後ろから研究室へ歩き出した僕は、ふと背後の気配に振り向いてみた。

 見ると、リムジンを運転してきた、あの伊藤と名乗った運転手が、のっそりと運転席から出てきたところだった。

 伊藤はのしのしと着実な歩みでこちらへ向かってくると、研究室の前で立ち止まった。

 絵里香はドアの前で振り向き、眉を寄せた。

「伊藤、何でそんなところで立っている? 車を車庫へ入れなくていいのか?」

 伊藤は両手をだらりと両側に垂らし、楽な姿勢で立ったままだ。絵里香の問いかけに、微笑を浮かべた。

「いえ、わたしは、絵里香様を護衛するよう、命令を受けています。いつでもお声をお掛け下さい」

 絵里香は動きを止め、伊藤に向かって静かな口調で質問した。

「おいらを護衛? パパがそう、命令したのか?」

 伊藤はにっこりと、笑みを浮かべた。が、表情は笑顔だったが、目は笑っていない。

「はい、お父様の命令です」

「そうか」

 絵里香は口の中で呟くと、すぐさまドアを開き、僕を招じ入れた。

 僕は絵里香の側を通り抜けて、研究室へ足を踏み入れた。

 見回すと、エアコンの不調(というより乱調?)で氷付けになった室内は、氷が解けてすっかり水浸しで、床には大きな水溜りが出来ていた。見上げると、屋根に空いた穴はそのままで、穴塞ぎに掛けられた、ビニールシートの光沢が目に付いた。相変わらず室内は、足の踏み場もない乱雑さだ。いつになったら、絵里香はこの部屋の掃除をするつもりだろう。

 バタン! と大きな音に振り向くと、絵里香は研究室のドアを背中に閉め、何だかむすっと不機嫌な表情だ。

「気に入らねえ! 何が護衛だ」

 吐き捨てるように喚くと、ずかずかと研究室の中央に陣取った。

「何が気に入らないんだ?」

 僕が質問すると、絵里香はジロッと僕を睨み付けた。

「あの野郎……伊藤とかいったな。パパの命令だなんて、有得ねえ」

「どうしてそんな結論になるんだ?」

 絵里香は僕の質問には直接答えず、室内のテレビに近づくと、スイッチを入れた。テレビ画面には、幾つにも分割された画面が表示された。画面に表示されているのは、研究室の内外の映像だった。

「万が一を考えて、おいらは研究室のあちらこちらに、カメラを設置しておいた。ほら、出入口を見ろ!」

 絵里香が指差した画面には、ドアの前に立っている伊藤運転手の姿があった。伊藤はドアに背を向け、楽な姿勢で立っている。

「おいらを護衛する、だと? 嘘吐け! その逆だ。おいらをこの研究室に閉じ込め、外との接触を絶つためだ! だいたい、おいらを狙うどんなやつがいるんだ?」

「そりゃまあ……」

 僕も、絵里香の推測には賛成だった。しかしまだ、外との接触を絶つためという絵里香の結論は、納得がいかない。

「でもどうして、ここに閉じ込める必要があるんだ? 僕はどうなる?」

「知るかよっ!」

 絵里香は苛立ちを顕わにして、叫んだ。ぱしっと、手の平を打ち合わせ、きっと僕を睨んで言葉を続けた。

「が、そんなことはどうでもいい。おいらの今の興味は、お前に起きている何か、だ! ここに寝ろ!」

 絵里香は猛然と、研究室に散らかっている我楽多の山を掻き分け、中から病院の寝台を引っ張り出した。診察などで使う、寝そべるだけのものだ。寝台は長い間使われていなかったらしく、薄汚れ、表面にはべっとりと、得体の知れない液体がへばり付いている。

 僕は躊躇った。絵里香の清潔に対する感覚は、相当アバウトなものだ。それでも絵里香は僕の躊躇いを見て取った。無言のまま白衣を羽織り、袖でもってゴシゴシと表面を擦った。

「綺麗になったぞ」

 仕方ない。ここは大人しく従ったほうが得だろう。

 僕が寝台に寝そべると、絵里香は自分の眼鏡の、ピンクの縁に指を滑らせた。眼鏡のレンズが暗くなり、表面に無数の記号が表示された。

 と、眼鏡の中央部分がルビー色に輝き、光束が僕の全身を嘗め回すように動いた。レーザー光線だ!

「動くなよ、今、お前の全身をニュートリノ走査している最中だ。このレーザーは、単なるガイドに過ぎない。けど、下手に動くと、お前の眼球を傷つける可能性がある」

 僕は絵里香に言われるまでもなく、全身を強張らせてじっとしていた。目を庇うため、僕は目蓋をきつく閉じて待った。

「よし、走査が終わった!」

 絵里香の言葉に、僕はようやく、両目を見開いた。研究室の、大きなモニターが明るくなり、そこに僕の全身像が映し出された。CTスキャンのような映像だが、はるかに精細で、様々な色分けで表示されていた。

 モニターの前に陣取った絵里香は、画面に顔をくっ付けんばかりにして、しきりに「ううむ!」とか「そうか!」とか唸り声を上げていた。

 僕は寝台から起き上がり、ぶらぶらと絵里香の近くへ寄って行った。

「何か判ったのかい?」

「まあな……お前の身体の中で、異常な活動が見られる」

 僕はちょっと仰け反った。

「それって、病気かい?」

 絵里香は画面から顔を離し、背を反らせた。

「そういう意味じゃない。異常な活動とは、神経パルスの数値だ。体温、呼吸、脈拍、血圧などは正常な数値を示しているが、神経パルスだけが、極めて活発な数値を示している。訳が判らんよ……! 本来なら、啓太は全身の神経パルスが伝える刺激で、七転八倒の苦しみに襲われているはずだ」

 絵里香は頭を振りながら、再び画面に見入った。

「それにこの酸素消費量! なぜか神経パルスと同じ細胞が、大変な量の酸素を消費している。これほど大量の酸素を消費するのは、人間の臓器では脳しかないはずだ」

「それじゃ、僕の全身は、脳細胞になっているって言っているのか?」

 絵里香は僕の言葉に「くわーかっかっかっかっ……」と甲高い笑い声を上げた。

「全身が脳細胞、か! お前らしい表現だな……」

 絵里香に思い切り笑い飛ばされ、僕は憮然となった。そりゃ、阿呆らしい話だとは僕も思っているけど、あんなに笑うことはないだろう……。

 

 ──馬鹿な考えじゃないわ。

 

 僕はギクリとなった。

 あの〝声〟だ!

「どうした、啓太」

 僕の様子に、只事ならない何かを感じたのか、絵里香は声を潜めて話し掛けてきた。

 

 ──馬鹿な考えじゃないって、どういうことだ?

 

 僕は聞こえてきた〝声〟に答えるため、心の中で言葉をまとめた。まさか、声に出して答えるわけにはいかない。絵里香がいる。

 が、〝声〟は意外な反応を見せた。

 

 ──ふふっ! 大丈夫、絵里香さんに聞こえるようにしたから。

 

「啓太っ! 今の声は、何だっ!」

 突然、絵里香が自分の両耳を抑えて、叫んだ。

 僕は絵里香に向かって、叫び返した。

「絵里香っ、君にも聞こえるのかっ!」

 絵里香は両目をぽっかりと開き、蒼白な顔色でガクガクと、何度も頷いた。

 

 ──一々、絵里香さんに説明しなくても済むようにするわ。これで良いでしょ?

 

「だから、おいらに聞こえるこの〝声〟は何なんだ!」

 絵里香は何度も地団駄を踏み、叫んだ。今度は、顔が怒りのあまり、真っ赤に染まっている。絵里香にとって、自分で説明のつかない現象や、理論は怒りの対象になる。

 僕は急いで言い訳をした。

「だから、僕にも判らないよ」


 ──それじゃ、そろそろ、あたしの姿を見せてあげるわね。

 

 視界の隅に、何か動くものを捉え僕は振り向いた。

 そこに、少女が立っていた。

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