第六章 アニマ登場!

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「全く、信じられねえよ! あの奈々って奴も、月影って女も……。正気じゃねえ!」

 絵里香はブツブツと文句を垂れながら、目の前の料理をガツガツと平らげるという、器用な真似を披露していた。

 あれからマンションを出て、僕と絵里香は真兼町に唯一ある、ファミレスで食事を摂っていた。

 差し向かいのテーブルで、卓の上にはありったけの料理が運ばれていた。絵里香はメニューに書かれている料理を総て持って来いと、注文したからだ。もちろん、このファミレスも真兼家が経営しているものだから、代金はつけで足りる。

 絵里香は食事のマナーなど一切無視して、手掴みで次から次へと、料理を口に運んでいた。

 一人の人間が、これほどの量の食べ物を、口にできるものだとは、僕は初めて知った。それほどの勢いで、絵里香は無我夢中で食物を貪り食っていた。マンションでの奈々との大立ち回りで、服はボロボロ、顔は汚れ切っていたが、絵里香は一向に気にせず、食物を胃に運ぶことに集中していた。

 時刻は七時過ぎで、窓外にはすでに闇が忍び寄っていた。店内にいる客は、大半がカップルか、家族連れで、僕らのような学生は見当たらなかった。

 空腹を満たすため、絵里香は家に帰らないと僕に宣告したので、僕は真兼家に電話を入れて、このファミレスで食事を済ませると連絡しなければならなかった。

 電話に出た亀山老人は、僕の説明に、かなり、恐縮していた。電話の向こうから、ペコペコ頭を下げている老人の姿が、ありありと僕の脳裏に浮かんでいた。

「申し訳御座いません。絵里香様のお食事が終える頃を見計らい、お迎えのお車を差回しますので、よろしくお付き合い願いますでしょうか?」

 つまりは絵里香がフラフラどこかへ迷い込まないよう、見張っていろという意味だ。

 判ってます、判ってますとも!

 ついでに絵里香の服を用意するよう、老人に言付け、僕は通話を終えた。

 席に戻ると、絵里香はようやくテーブルの上の料理をあらかた平らげ、満足そうなげっぷをついていたところだった。

「啓太、この頃、おかしなことばっかり、続くと思わねえか?」

 僕が着席するなり、絵里香は切り出した。

「おかしなこと、って何だい?」

 僕の答えに、絵里香は腕を組んで目を細めた。何か考えているときの、絵里香の表情だ。絵里香の表情は、体重百キロのときも、今の痩せた状態でも、あまり変わりなかった。

「まず、一つ」

 絵里香は拳を突き出し、指を一本、立てて見せた。

「おいらと、啓太の変身だ。まあ、その二つは薬の影響だと説明がつく。だが二つ目だが……」

 絵里香は二本目の指を立てた。

「天宮奈々というアイドルが芸能界を引退して、この真兼町へ引っ越す。それだけじゃなく、真兼高校に転校して、転校したその日に、啓太に一目惚れして、求婚する──」

 三本目の指を立て、絵里香は言葉を切ると、薄笑いを浮かべた。

「まともじゃねえ……! どう、考えてもおかしな話だ。そう、思わねえか?」

 僕は曖昧に頷いた。四本目の指を立て、絵里香は容赦なく、続けた。

「ツッパリの大賀が、何を思ったか、ペラペラ、ペラペラ、自分の卑怯な計画をくっ喋って白状する。普通なら、あんな告白、するはずもない。これが四つ目だ。どうして、大賀は自分が不利になる告白をしたんだろうな?」

 僕はのろのろと答えた。

「判らないよ──」

 最後に絵里香は、片手の指を全部広げて見せた。

「天宮奈々のマネージャー……月影留美が現れたと思ったら、今度は啓太に一目惚れだ。どうかしてるぜ! これが五つ目」

 絵里香のピンク縁眼鏡ごしに、大きな二つの瞳が、陰険に光りだした。

「全部、お前だ! 理由は判らないが、啓太を中心に異常な事態が生じている。これは、はっきりとしている!」

 僕はゴクリと唾を飲み込んだ。

「僕が──でも、僕はただの高校生だ。ただの高校生が、どうして中心になるんだ?」

 返答している間、僕はあの〝声〟を思い出していた。あの〝声〟は僕にしか聞こえないものだったが、なぜか今までの異常な出来事と関連しているものだと、確信があった。が、絵里香に対して〝声〟の存在を報告する気にはならなかった。

 信じられない話だからだ。僕自身、未だにあれは本当だろうかと疑っているくらいだ。

 僕を追及する絵里香の眼光は、爛々と輝き、鋭さを増した。

「啓太! 白状しろ! お前、何か知っているな?」

 僕は仰け反った。

「ええっ! どうして、そんな結論になるんだい? 僕が何を知っているんだ!」

「おいらを誤魔化そうとしても、無駄だ!」

 絵里香は立ち上がり、両手をテーブルで激しく叩いた。顔を真っ赤にして、指を僕に向けて突きつけた。

「啓太は何か、心当たりがあるに違いない! おいらは、お前の目の色で判る! さっさと、お前の知っていることを吐くんだ!」

 ファミレスにいた客が一斉に、僕らに注目した。僕は慌てて、絵里香を宥めようと必死になった。

「待ちなよ……そんなに、興奮するなって!」

 絵里香はテーブルを回って、僕の側に近寄り、ぐいっと、顔を近づけた。

「正直に言うんだ。何があったんだ?」

「そ、それは……」

 僕は窮した。

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