大賀の顔には、大量の汗が噴き出していた。びっしりと、額から、顎から玉の汗が噴出し、たーらたらと垂れて、床に染みを作っていた。

「お、俺……まさか御嬢様とは思わず、あんな乱暴を……。ゆ、許してくれっ!」

 なぜか、大賀はいつもの「だっぺ」言葉を、すっかり失念してしまったようだ。

「この町で、真兼家に逆らったら、生きていけねえ! 俺んちは、病院に食事を納品しているからな。俺はいつか、家業を継ぐつもりだから、絵里香様には睨まれたくねえ……」

「何だ……」

 僕は思わず呟いていた。

「高校始まって以来の不良、という噂は嘘なのか? そんなことでビクビクしているなんて、思ってもいなかった」

 僕の言葉に、大賀はキッと僕を睨んだ。

「お前には判らねえっ! 絵里香様と許婚だから、俺は今までお前には手を出していねえっ。だけど、絵里香様との婚約解消となれば、俺は大っぴらにお前に手が出せるんだっ!」

「汚ねえ……何て、卑怯で、汚い奴!」

 絵里香が唸り声とともに、言葉を押し出した。腕を挙げ、大賀に向かって指を突き出し、糾弾するかのように、叫んだ。

「言っておくが、おいらも、おいらのパパも、病院の経営なんて、一切興味ねえんだ。病院の納入業者だって、病院の事務がやっていて、パパは単に、判子を押印するだけになっている。おいらと仲が良いから納入させるとか、おいらに睨まれたから外すとか、そんな面倒なこと、やるわけねえぞ!」

 見る見る、大賀の顔が絵の具の赤で染められたように、真っ赤に染まった。キョトキョトと目玉があちらこちらを彷徨い、身体を精一杯、縮こまらせていた。

 ぽつん、と奈々が言葉を差し挟んだ。

「大賀さん、さっきから『だっぺ』と言わなくなっているけど、どうして?」

 がくん、と大賀の背中が直立した。何か言いかけ、大慌てで手で、自分の口を押さえた。まるで、言葉が喉から飛び出るのを、必死に抑えているようだった。

 しかし無駄だった。

 大賀は顔中口にして、吠えるように喚いた。

「だ……だ、だっ……だっぺと付けねえと、迫力が出ねえからさっ! 田舎っぺらしく喋れば、みんな、おっ怖ながってくれる。ツッパリらしいだろ? 標準語喋る、ツッパリなんて格好悪い……」

 奈々は目を見開き、呆れたように、何度も顔を左右に振った。

「信じられないわ! あたしはアイドルやっている間、いろんな地方でコンサートをしたけど、田舎の人だからって、暴力的だと思ったことは一度もないわ! あんたは方言を喋る人たちに対して、考えられない差別感情を持っているのね!」

 奈々は大賀の乾分に向かって話し掛けた。

「あなた方も、同じなの? やっぱり、ツッパリぽく思わせたいから、わざと方言を使っているの?」

 真剣な奈々の様子に、乾分たちはドギマギしたように、視線を逸らした。

 僕は、ふと疑問を感じ、口に出した。

「それじゃ、大賀が暴力団と知り合いって噂も……?」

 大賀は肩を竦めた。

「嘘に決まってるさ! 大体、真兼町に暴力団関係なんか、あるわけない。こんな小さな町だもんな」

 乾分たちはギョッとなって、お互い顔を見合わせた。どうやら、この分では、乾分たちも大賀が暴力団と関係しているという噂を、信じ込んでいたようだ。乾分たちの、大賀を見る視線が、ひやーっ、と冷たくなった。

 奈々が大賀と、乾分たちに向ける視線には、思い切りの軽蔑が含まれていた。

「もういいわ! あんたたちに頼んだのが、間違いだった。帰って!」

 奈々の声は、凛然とマンションの部屋の中に響いた。さすが、アイドル。大観衆の前で臆せずコンサートを開く度胸で、この場を支配する気力がある。

 が、大賀は眉間に深々と縦皺を刻み、両目には憤怒の炎が燃えた。

「冗談じゃねえ! 馬鹿にされて、黙っている俺じゃねえぞ!」

「どうするつもりだ?」

 声を上げたのは、絵里香だった。大賀はさっと、絵里香に向き直った。大賀の顔には、先ほどまでの卑屈な色は、片鱗も見当たらなかった。ただあったのは、憎々しげな表情だった。

「このまま、おめおめと帰れるかっ! 貰うものがねえとなあ……」

 絵里香は肩を竦めた。

「つまりは、金か! が、その前に、これを見てから言うんだな」

 絵里香の手には、大賀の差し出した、レコーダーが握られていた。いつ、絵里香の奴、かっぱらったのだろう? 絵里香は存分に、大賀に見せながら喋った。

「さっきの告白、これにすっかり、録られているぞ。真兼高校のツッパリの正体を、おいらが高校中に広めたら、どうなる?」

 大賀の顔が、真っ赤を通り越して、どす黒く変色した。相当、動揺している。

「ち、ち、畜生っ! そんなこと、させるものか!」

 一歩、絵里香に近づこうとした大賀に、絵里香はもう片方の手を広げて見せた。

 こちらには、スタン・ガンが握られていた。

「おっと! 近寄れば、こいつをお見舞いするよ! こいつの威力は、おいらで実証済みだろう?」

 大賀の表情が、真っ青になった。どうやら、大賀という奴は、他人にスタン・ガンを平然と押し付けることはできても、自分が対象になると怖気るらしい。慌てて両手を広げ、後じさった。

「判った! 判りました! 何、ちょっとした冗談でして……いや、本気なんかじゃないんです! か、帰ります、帰りますとも」

 打って変わって、大賀は揉み手をせんばかりにペコペコ頭を下げた。そのまま大賀たちは、満面の笑みのまま、退出していった。

 絵里香は満足そうな溜息を吐いて、戦利品であるレコーダーと、スタン・ガンをしまいながら呟いた。

「ツッパリとか、不良とかの輩は、たいていあんなもんさ。全く、反吐が出そうなほど、卑怯者だよ」

 大賀たちが退出したので、部屋は急に広々として見えた。

 僕ら三人は、無言で顔を見合わせた。

 その時、あの〝声〟が再び、聞こえてきた。


 ──なかなか、面白かった告白だわね。でも、肝心な疑問はまだじゃない?

 

 僕は心の中で呟いた。

 

 ──なんだ、そりゃ?

 

 くっくっく……と、〝声〟は悪戯っぽく笑った。

 

 ──決まってるじゃない。天宮奈々が、どうしてあなたと結婚したいか、という理由よ!

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