2

 奈々は僕らを見て、呆然と立ち竦んだ。

 その時の、僕と絵里香の態勢は、絵里香が僕の上に圧し掛かり、僕の首元に口を押し当てていた。

 どう誤解されても、仕方がない態勢だ。

「貴様っ!」

 出し抜けに絵里香が叫び、僕の胸から顔を上げると、突っ立ったままの奈々に向かって飛び掛った。

「お前がおいらたちを、閉じ込めたのかっ!」

 絵里香は奈々に飛び掛って行った。

 奈々に飛び掛る絵里香の前に、さっと背後から、大賀の痩せた姿が現れた。

「おっと、これを見っぺよ!」

 大賀は絵里香に向け、手に、ギラリと硬質な反射を放つ、器具を差し上げた。

 絵里香はギクリと動きを止めた。

 バチバチバチッ、と器具の先端が青白い火花を放っている。

 スタン・ガンだ。

 大賀はニタリと笑いを浮かべ、ゆっくりと頷いた。

「そうさ、もう一度気絶したくは、なかっぺ?」

 うううう~っ、と絵里香は悔しそうな唸り声を上げた。

 普段の絵里香なら、スタン・ガンだろうが、何だろうが、お構いなしに突進している場面だ。しかし、今の絵里香は、本調子とは言いがたい。自分の不調を、絵里香は承知しているのだろう。絵里香にしては、珍しく、自制心を発揮している。

 ぞろぞろと、奈々の背後から、大賀といつもつるんでいる生徒たち(つまりは乾分たちだ)が、部屋へ入ってきた。入ってきたのは、大賀を含めて三人。

 部屋はそう、広いとは言えず、たちまち入ってきた三人、絵里香、奈々、僕の六人で充満した。

 僕は大賀と、奈々を交互に見た。

 訳がわからなかった。

 真兼高校のツッパリと、アイドルの奈々がどういう、接点があったのだろう?

 僕は奈々を見詰め、口を開いた。

「説明してくれ。なぜ僕らを監禁する?」

 奈々は頬を真っ赤に染めた。見る見る、大きな瞳に、涙が一杯に溜まった。

「啓太さん。御免なさい。まさか、スタン・ガンを使うなんて思わなかったから……。ただ、お話したいと思って……」

 僕は大賀を見た。大賀は「へっへっへ……」と、肩を揺らして笑った。

「アイドルの、奈々ちゃんに頼まれたんだっぺよう! 俺は他人に頼まれると、嫌と言えねえ性格だっぺ? だから、奈々ちゃんとお前が話し合えるよう、お膳立てしてやったんだっぺ」

 まるで「感謝しろ」と言わんばかりだ。

 奈々が大賀に頼んだ、という説明は怪しい。多分、大賀が奈々に接近して、このような状況になるよう、計ったのじゃないか? しかし、なぜそんな手間をかけたのか、という疑問は解消されないが。

「啓太、お前、絵里香と許婚だったはずだよな? 婚約は解消したのか?」

 意外な大賀の発言に、僕は呆気に取られた。

 絵里香も同じ思いだったのか、僕の隣でぽかんと、口を開いていた。

「な、な、何を言い出すんだ? この状況に、何の関係がある? それに、天宮奈々さんが、どう関わってくるんだ?」

 僕は思わず、平静を失っていた。いや、もともと、平静でいられたためしはないが。

「頼まれたんだっぺよ! 俺が、天宮奈々ちゃんになあ!」

 大賀は奈々を見て、誇らしげに胸をそらせた。僕は奈々に視線を向けた。

 僕の凝視に、奈々は頬を真っ赤に染めた。

 大賀は続けた。

「そんでよお、お前の口から、絵里香との婚約解消の確約を言わせたいんだっぺよ」

 大賀はポケット・サイズのレコーダーを取り出した。

「さあ、こいつに向かってくっちゃべれ! 絵里香と婚約を解消すっと!」

 その時、それまでじーっ、と黙っていた絵里香が、突然喚いた。

「そんなことはさせねえぞ!」

 絵里香の発言に、大賀はぎくっと身を強張らせた。

「何だっぺよ、お前は? 大体、啓太とどういう関係があんだっぺ? おいっ、どうしてこの女、連れて来たんだっぺ?」

 最後の言葉は、乾分たちに向かって発していた。乾分たちはモジモジと決まり悪そうな顔つきになって、弁解した。

「だってよお……啓太から離れねえから……しょうがねえっぺ! ものの弾み、ってやつだっぺ!」

 乾分たちも大賀と同じく「だっぺ」言葉を使っている。こいつらが「っぺ!」と語尾に使うものだから、唾が盛んに飛んだ。

 絵里香は立ち上がり、地団駄を踏んで叫んだ。

「関係も何も、おいらは啓太と婚約解消はするつもりはねえからな!」

「何だべっ?」

 大賀は頓狂な声を上げた。

 奈々はおずおずと、大賀に話し掛けた。

「その人、絵里香さんよ」

 大賀は叫んだ。

「嘘だっぺ! この女が、真兼絵里香だなんて、冗談も好い加減にすっぺよ!」

 奈々は軽く、顔を左右に振った。

「あたしも信じられなかったけど、でも本当なの。実はあたし、ちょっと前に、院長先生に確かめてみたの。院長先生の話では、絵里香さん変身したらしいわ。今のあの姿が、変身した絵里香さんの姿よ」

 奈々が院長先生に確かめたとは、初耳だ。

 が、院長の名前が出て、大賀は目の前の美少女が、絵里香であるという可能性を信じ始めたようだ。

「本当に絵里香……さん、だっぺか?」

 わくわくと唇を震わせ、大賀は両目を飛び出さんばかりに見開き、絵里香に向き合った。絵里香は当然、とばかりに大きく頷いた。

「当ったり前じゃねえか! おいらが他の誰ってことが、あるわけ、ねえよ!」

 言い放つと「けけけけ!」と笑い声を上げた。

 見る間に、大賀の顔色が蒼白になった。

「その喋り方、笑い方、たしかに真兼絵里香っ……!」

 大賀は絵里香の前に、がばっと平伏して、土下座の格好になった。ごつんっ! と大きな音がして、大賀の額が床を撃った。

「どっ、どうかっ! お許しをっ! 知らぬこととはいえ、大変な無礼を働きましたっ! 絵里香様っ、お許し下さいっ!」

 絶叫していた。

 大賀の乾分たちは、呆然とその場の光景を眺めているだけだった。大賀は鋭く乾分たちを見ると、口を大きく開いて怒鳴った。

「なに、ボヤボヤしてんだっぺ? お前たちも、絵里香様に謝るんだっぺよ!」

 大賀の「絵里香」が「さん」付けになって、遂には「様」付けになった。

 促された乾分たちは、一斉に床に平伏すると、大賀に倣って、土下座を披露した。

 どうなっているんだろう?

 大賀は真兼高校始まって以来の、最悪不良という評価の持ち主だ。高校の生徒たちは、大賀の暴力に戦々恐々としている。その大賀が、目の前の少女が「絵里香かも?」と思った瞬間、ぺこぺこ頭を下げるとは、信じられなかった。


 ──知りたい?


 僕は凍りついた。

 あの〝声〟だ!

 研究室で、絵里香に水を浴びせさせられた時に聞こえてきた、不思議な〝声〟が、再び僕の耳に飛び込んできた。

 

 ──あたしも知りたいな。面白そうだから、この、大賀って奴に、ペラペラ喋らせちゃおうか?

 

〝声〟には、微かな笑いが含まれていた。

 平伏していた大賀が、不意に顔を上げた。

「お、俺……!」

 大賀は喋りだしていた。

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