5
光の爆発は、カメラのフラッシュだった。
ばしゃばしゃばしゃ! と、一斉に焚かれるカメラのフラッシュに、僕は棒立ちになった。
「紬啓太さんですね! 天宮奈々さんとのなれそめをお聞かせください!」
「奈々さんとの結婚はいつになりますか? やはり、高校卒業を待って?」
「今まで何度、デートを重ねましたか?」
研究室の出入口で、僕は見慣れない無数の男女に取り巻かれていた。男女は手にマイクや、レコーダーを持ち、背後にテレビカメラの砲列が控えていた。
取り巻いている男女の中に、僕はテレビの芸能番組でよく見掛ける、レポーターの姿を認めていた。
全員、殺気立ち、僕が今にも何か言い出さないかと、待ち受けている。
僕は唇を舐めた。
何か言葉に出す、とレポーターたちは、一斉にマイクを突き出した。カメラのフラッシュが、さらに焚かれ、僕は目がくらんだ。
「一言! 一言お願いします!」
迂闊だった。
天宮奈々がアイドルを引退し、真兼高校に転校して、僕にプロポーズした、という衝撃的なニュースは、芸能レポーターにとっては爆弾級のニュースバリューがあるはずだ。
あの後、すぐに僕は真兼病院で精密検査を受けるため、ある意味軟禁状態にあったため、世間の動きに気がつかなかった。あとで関連ニュースをネットで調べたが、芸能番組ではてんやわんやの騒ぎだったらしい。
たった一日で、奈々の転校先を突き止め、真兼高校の生徒たちから情報を引き出し、絵里香の研究所まで辿り着いたレポーターたちの努力には敬服するが、集中砲火を浴びているのは僕だ。
レポーターたちは「奈々さんといつ、恋人関係になりましたか?」とか「子供は何人ほしいですか?」「初キスは?」など聞いてくる。
最後の質問には、明確に答えられる。
二日前だ。
あの日が、僕にとってのファースト・キスだった。しかも相手はアイドル!
考えてみると、とんでもない話だ。
でも、何を喋れば良いのだろう? 僕が何を喋っても、空々しい内容に思える。だから僕は、次々と浴びせられる質問に、無言でいた。
本当は、立ち往生して、頭の中が空白になっていたのだが。
レポーターたちは、僕が無言でいるため、徐々にイライラが募ってきたらしい。最初は丁寧な口調だったが、次第に険悪な声音に変わってきた。
「何、ダンマリ続けているんだよ! 何か喋れ!」
「こっちは急いでいるんだ! 午後のニュースに間に合わないぞ!」
「あんた、本当に天宮奈々の恋人か?」
マイクを突きつけているレポーターたちを、僕は呆然と見回していた。よくテレビ画面で、芸能人がレポーターたちに取り巻かれ、立ち往生してる場面を目撃するのだが、いざ自分が体験すると、スラスラと答えられるはずもないと、痛感した。
それにしても、たった一日で、僕の存在を突き止めたのは、本当に不思議だ。それほど芸能レポーターは、優秀な情報収集能力を持ち合わせているのだろうか?
と、僕の視線が、レポーターたちの背後に隠れるようして、こちらを窺っている一人の人物に集中した。
呆れるほど長い顔に、顔を真一文字に横切る幅広の唇。
高森だ!
奴の顔を確認した瞬間、僕は総てを悟っていた。
あいつがマスコミに通報したんだ! 間違いない!
高森は、常々、将来の夢は、芸能レポーターになることだと、公言していた。レポーターになれば、芸能人に堂々と会えるからだと、能天気な理由を語っていたが、奈々の登場にすわこそ! と、タレコミしたのだろう。
糞っ! と僕は目の前の報道陣を掻き分け、高森目掛けて突進しようと身構えた。
その時。
「何だよう……。騒がしい……」
奇妙に寝ぼけたような、少女の声。声には苛立ちと、不満が溢れていた。
見ると、絵里香が目を覚まし、カメラのフラッシュが眩しいのか、両目をぱちぱちと瞬かせ、周囲を見回していた。
絵里香が目覚めた……。
はっ、と僕は緊張した。
絵里香の口調は、怒りが爆発寸前となっている時のものだ。
突然の絵里香の登場に、たちまちレポーターの関心が集中した。僕が全然、口を開かないままなので、僕の隣に立つ絵里香は、格好の的となったのだろう。
何しろ、今の絵里香は、誰もが驚くほどの美少女だ。
「君、誰? 紬啓太君とは、どういうご関係?」
口早に話し掛けながら、レポーターの一人が、ぐいっと無遠慮に、絵里香に向かってマイクを突きつけた。
目の前に突きつけられたマイクを、絵里香は煩そうに払い除けた。
「啓太、一体全体、何の騒ぎだ?」
明らかに苛立った口調で、この騒ぎが僕の責任だとばかりに(ある意味、その通りなのだが)絵里香は僕に食って掛かった。
「えーと、この人たちは芸能レポーターの人たちで……」
説明の途中で、僕は、はた……、と考え込んだ。
絵里香の興味は、自分の進める科学研究と、実験の成果しかなく、他の同世代の女の子らしい──例えばお化粧だとか、ファッションだとか、恋愛──については、丸っきりすぽんと抜け落ちている。従って、芸能界も、まったくの無関心だ。
レポーターが大挙して押し掛けている状況は、絵里香にとって何の意味も無い。
「何い──? そいつらがどうして、おいらの研究室の周りに押し掛けているんだ! 啓太、追っ払え! 今、すぐだ!」
絵里香の言葉に、むかっと腹を立てたらしいレポーターの一人が、ねちねちとした口調で先ほどの問いを繰り返した。
「ねえ、君、名前は? 啓太君とどういうご関係なの? 随分、親しい関係らしいけど」
絵里香はくわっ、と大口を開け、大音声を上げた。
「おいらは真兼絵里香! お前たちは、おいらの敷地に無断侵入している! とっとと消え失せないと、警察を呼ぶぞ!」
「おい、真兼絵里香だって」
一人のレポーターが、周囲に囁いた。
「確か、その名前は、紬啓太の婚約者と聞いているぞ」
「婚約者!」
突然の暴露に、レポーターたちは色めきたった。
「一言! 一言お願いします! 婚約者の紬啓太さんが、アイドルの天宮奈々さんと恋人関係になっている現在の心境をお聞かせ下さい!」
「あなたは啓太さんと、どこまでのご関係ですか? キスとかはもう、ご経験済みですか? もしかして、妊娠してます?」
「コメントを! どうか、一言!」
どどどっ! と、レポーターたちは、殺気立って絵里香に詰め寄った。
見る見る、絵里香の顔に、険悪な表情が浮かんでいた。眉が迫り、両目がくわっ、と見開かれ、唇が「へ」の字にひん曲がった。
怒りが、沸騰点寸前に高まっている。
僕は絵里香の感情を、手に取るように理解していた。
これが以前の絵里香なら、すぐさま、両手で耳を塞ぐところだ。絵里香の大声は、文字通り、殺人的で、こんなところで絵里香が本気で叫んだら、大惨事は免れない。
が、今の絵里香は、以前と違って、あの獣じみた絶叫は不可能になっている。
「うううううおおおおおお~~っ!」
それでも絵里香は、精一杯の大音声で叫んでいた。案の定、僕は両耳を塞がなくとも、絵里香の咆哮に、何とか耐えられた。
「おおおおお~~~~!」
絵里香は長々と咆哮した。次第に絵里香の声は甲高くなり、そのうち、僕の耳には聞こえなくなった。多分、絵里香の声は、人間の可聴域を超えて、超音波に達したのだろう。
この場にいたレポーターたちにとっては、絵里香の大声は、完全に予想外の出来事だったらしい。確かに絵里香の大声は、以前のような声量はなかったが、普通の人間では発声不可能なほどの、威力が込められていた。
ぎく! と、レポーター、カメラマンらの動きが、一斉に停止した。目の前の人々の顔つきに、あまりの驚きに、思考停止した人間の表情が浮かんでいるのを見て取り、僕は急いで、絵里香の手首を掴んだ。
「絵里香、今のうちだ!」
「何だよ──」
「逃げるぞ!」
何か言いかける絵里香に構わず、僕はぐいぐいと、手首を掴んだまま人々の間を掻き分けて行った。
やっと人ごみを掻き分け、正門から通りに飛び出した僕と、絵里香の目の前に、三人の男たちが行く手を塞いだ。
全員、真兼高校の、男子制服を着用している。ただし、全員の制服は各々、奇妙な改造を施してあり、極端に裾がすぼまったズボンだの、裏地に毒々しい刺繍を施したのだの、一見しただけでは、指定の制服とはちょっと思えなかった。
三人のうち、真ん中の一人に、僕は見覚えがあった。
痩せた身体つきで、顔は狐を思わせる吊り上った両目をしている。薄い唇は、皮肉な笑みを形作っていた。髪の毛は金髪に染め、パンチ・パーマにしている。蟀谷は剃り上げ、剃り跡が青かった。
確か、大賀という名前の同級生だ。但し、一年落第をしているので、僕よりは年上だ。クラスが違うので、今まで会話を交わした経験は無い。
大賀は、真兼高校における、不良グループを率いている。いわゆる「番長」だ。噂では、暴力団の構成員とも、知り合いだそうだ。
今まで僕は、幸運にもこのグループと関わりあうことはなかった。これからも、一切、関係したくはない。なぜなら、僕の信条は「平々凡々な目立たぬ一生」だからだ。その中に、危険な連中との交際も含まれてる。
が、どうも、そんな雰囲気ではなさそうだ──。
「よう、啓太!」
大賀は両足をがばっと開き、顎を上げて僕をじろじろと、下から上へ舐め上げるような独特の目付きで睨んだ。
僕はじりっと、後じさった。無意識の動きだ。僕が一歩下がると、大賀はぐいっと、前進して距離を詰めた。
「ちょ~っと、面{つら}貸して貰うっぺ!」
「なっ、何の用で……」
僕の口答えに、大賀の細長い顔に、苛ついた色が浮かんだ。
こんな緊急の場合だが、一言説明しておきたい。
さっきから、大賀はさかんに「だっぺ」言葉を発している。無論、真兼町や、僕らの地域では「だっぺ」「だんべ」などが語尾につく方言は誰も使っていない。大賀と、大賀の乾分たちだけが、使っているのだ。
「いいから来るんだっぺ……おうっ!」
大賀は仲間に何か、合図を送った。
僕は抗議の声を上げる暇{いとま}も、与えられなかった。
すすすっ、と人垣の一人が僕の背後に回りこみ、出し抜けに、僕の首筋に、ひやりとする金属の感触を伝える、何かの器具を押し当てた。
その途端、僕の首筋から全身に、異様な衝撃が走っていた。
僕の手足は勝手に突っ張り、身体中の筋肉が、一斉に強張った。
「啓太!」
傍らで、絵里香の悲鳴が聞こえた。倒れこむ寸前、絵里香にも、他の男が何かの器具を押し当てている場面を僕の両目が捉えていた。
器具を押し当てられた瞬間、絵里香も僕と同じように、全身を痙攣させるように、手足を突っ張らせて、倒れこんだ。
僕は意識を失った。
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