第四章 お節介な〝相棒〟
1
僕はドアに突進した。
だが、絵里香のほうが、一足早かった。絵里香はドアの前に立ちはだかり、両手を大きく左右に広げて、通せんぼをした。
「逃がさないぞ! さあ、脱げ! 全部とは言わない。上半身だけでも、見せてみろ!」
僕は逡巡した。
上半身だけなら……。
のろのろと、僕は手を挙げ、胸ボタンに指をかけた。
でも、室内で、女の子に「裸になれ!」と迫られている今の事態は、どう考えても間違っているように思える。他人が僕らの会話を耳にしたら、どう聞こえるだろう。
そう思うと、僕の首筋から、頬にかけ、かーっ、と熱い血潮がこみ上げ、僕は頬が、ぽっぽと火照るのを、感じた。
これが以前の、人間離れした外見の絵里香なら、渋々とではあるが、僕は命令に従ったと思う。でも、今の絵里香は、誰がどう見ても、目を瞠るほどの美少女だ。
そんな美少女と二人きりで、しかもその美少女に「裸になれ!」と命令されている。
これはヤバイんじゃないか……。
羞恥と懸念が、僕の手を止めさせた。
絵里香は苛々しているようだった。
小刻みに両足で床を踏みしめ、全身の力を振り絞って叫んだ。
「脱げっ、て言ってんだろう! 啓太、おいらの命令に逆らうか?」
以前の絵里香なら、両足で床を踏みしめたら、どすどすと地響きがしただろう。だが、今の絵里香の足踏みでは、軽いステップの音がするだけだった。
僕は観念した。
小刻みに震える指先で、僕はゆっくりとボタンを外しはじめた。
するり、と上半身裸になった僕を、絵里香はじーっと、両目を大きく見開いたまま、見詰めていた。
「啓太、お前……」
絵里香はそれだけ口にすると、後は絶句した。
「どうだい?」
なぜか、僕は浮き立った気分になっていた。
予想していたが、絵里香の反応は、僕を満足させていた。
僕はぐいっ、と胸を張って見せた。ついでに腕を挙げて、二の腕の筋肉を盛り上げた。ごりごりと、僕の、逞しい筋肉が意識された。
僕の身体を見詰める絵里香の喉が、ごくりと動いて、唾を飲み込む音が聞こえた。
「信じられない……。啓太がこんな身体になっていたとは、知らなかったぞ!」
急き込んだ口調で喋る絵里香の両目が、ぎらぎらと輝き始めた。
「凄いぞ、凄い! やっぱり、おいらの薬は、凄い薬効を秘めていた!」
だっと絵里香は僕に向かって突進すると、いきなり抱きついてきた。
もし以前の絵里香だったら、百十キロ超の体重で、僕は倒れこんでいた。だが、今の絵里香は四十キロにも満たない。僕は充分、絵里香の体重を受け止められた。
絵里香の顔が、ぐっと接近し、僕と絵里香は一瞬、見詰め合った。
さっと絵里香の頬が、真っ赤に染まった。
ピンク縁眼鏡の向こうから、絵里香の大きな瞳が僕を見詰めている。絵里香は、はっとなったように視線を逸らし、大慌てで僕から飛び離れた。
僕は呆然となっていた。
一瞬だが、僕は絵里香の身体を抱きとめていた。
ほっそりとした絵里香の身体は、意外と柔らかった。
絵里香は僕から顔を背け、立ち竦んでいた。ふっと顔を上げ、僕を睨んだ。
「何だよ……啓太、お前、変な顔しておいらを見るなよ……」
絵里香の口調は、いつもの怒鳴りつけるものではなく、ぼそぼそと言い訳をしているようだった。
僕もまた、妙にどぎまぎしていた。
「そ、そうかなあ……いつもと同じだと思うけど……」
絵里香の顔が、急に真剣なものになった。
「啓太! お前の変身と、おいらの体形の変化。どうしてこう、違うのか、疑問には思わなかったのか?」
僕は深く頷いた。
「ああ、もちろん、不思議だと思うよ。僕と絵里香は同じ薬を注射している。それなのに、僕はこうなって、絵里香は痩せた……」
「それだ!」
絵里香は勢い込んで、僕に向き直った。
両目が輝きだし、いつもの絵里香の口調になった。
「同じ効果なら、啓太は骨と皮のガリガリになっていいはずだ。おいらが体重の半分以上、なくなっちまったんだからな。だけど、なぜかお前はマッチョになって、おいらはこの通り貧弱な姿だ。不公平だ!」
僕は肩をすくめた。
「不公平、ってことはないと思うよ。ある意味、僕も絵里香も、理想的な体形になったんだから」
絵里香は顔をしかめた。
「啓太だったら、そう言うかもな。おいらは不満だぞ! おいらもお前と同じ、筋肉モリモリになるつもりだったのに……」
僕は「筋肉モリモリ」の絵里香の姿を想像しようとした。
冗談じゃない!
今のスマートな絵里香だって、僕は圧倒されてるっていうのに、もしマッチョな姿になったら、どんなに恐ろしい存在になるか!
絵里香は、一心不乱に考え込んでいるようだった。やや前屈みの姿勢になって、大股に部屋の中を歩き回った。
その姿は、以前の百キロの体重があった頃の絵里香を髣髴させた。この状態になった絵里香に話しかけても無駄で、僕はじーっと待ち続けた。
やがて絵里香は立ち止まり、僕に向かい合った。
「啓太とおいら、何が違う? 同じ薬品を注射して、どうしてこんな違いが出た?」
絵里香はずいっと僕に顔を近づけ、喚いた。
「あの時、啓太は風邪を引いていた! おいらは生まれてから一度たりとも、風邪なんか引いたことはない! これが違いだ!」
絵里香の言うとおり、絵里香は僕の知る限り、風邪を引いた経験がない。本当に、一度もない。
馬鹿は風邪を引かない、と言うが、超天才の絵里香も同じく、風邪を引かないのだ。多分、何かの異常体質なんだろう。
「同じことを、院長先生も言っていたよ」
僕が答えると、絵里香は「ちっ!」と小さく舌打ちした。
「パパが? それで、お前が引いていた風邪ウィルスの分析でもするってか?」
僕は否定の意味で、首を横に振った。
「いいや、根拠のない推測だから、忘れてくれって……」
絵里香は馬鹿にしたように「へへっ!」と軽く笑った。
「いかにも、パパらしいや! あれでパパが、自分の直感を信じて研究なり、開発なりをすれば、一流の医学者になれるのになあ! 医学の常識に縛られる悪い癖だよ」
絵里香は真剣な表情になった。
「だけど、おいらは違うぞ。おいらは徹底的に、事実を追究するぞ! 啓太の風邪引きは、絶対今回の鍵となるはずだ! よし、啓太、今から研究室へ行く。仕度しろ!」
僕はおろおろと答えた。
「し、仕度しろって、何を?」
絵里香は呆れたように、僕をじろじろと頭から爪先まで眺めた。
「決まってるだろう! いつまで裸でいるんだ?」
あっ、と僕は思った。
絵里香に命じられて、僕はずーっと、上半身素裸でいた!
僕は急いで、上着を身につけた。
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