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 院長は手回し良く、僕の両親に、病院で僕の精密検査を受けさせるため、数日入院させると連絡していた。昼ごろ、両親が病院に駆けつけたが、応対に出た院長から説明を受け、何も心配することはないと説得され、納得したようだった。

「院長先生がああ仰るのだから、お前は言いつけを守って、素直に検査を受けなさい」と、父親は物分りの良い態度を見せた。母親も同じ意見だった。

 僕の両親は、院長の言葉なら、全面的に信用する。両親だけじゃなく、真兼町の大人たちは、院長に対し、まるで昔の御殿様と町民のような関係だった。真兼家がこの町を支配していた江戸時代の習慣が、未だに継続しているようだった。

 だけど両親は両親。僕は僕だ!

 僕は絶対、町の大人たちのように、院長一家の言いなりにはならない! そう、決めている。

 えっ? それじゃ院長が精密検査を受けろと命令して、僕が唯々諾々と従ったのは、どうなんだって?

 それは別だ。何しろ、僕の身体がどうなっているか、皆目判らない状況はヤバイ。院長がタダで検査してくれるというなら、乗らない話はない。

 しかし精密検査と一口にいうが、こんなにしんどいとは、思っても見なかった。

 あれを飲め、これをするな、こっちの検査が終わったら、今度はあっちへ行け。終わったらさっさと、別の部屋。

 一日、眩暈がするほど、ぎっちりとスケジュールが組まれ、僕は息つく暇もなかった。

 やっと総ての検査が終わり、僕は母屋で、院長と対面した。

「何か自覚症状はあるかね?」

 院長の問診に、僕は急激な変身を遂げた身体の異変について、黙っていた。

「いえ、別段変わりはありません」

 僕の返答に、院長は「ふむ」と唸ると、カルテに何か書き込んだ。書き終えると、僕に向き直り、がりがりと頭をかいた。

「まったく、君は健康体だよ。むしろ健康すぎるほど、健康だ」

「それで、絵里香のほうは?」

 僕の問いかけに、院長はカルテに落とした視線を上げた。

「そうだな……絵里香もまた、問題なく健康だ。君と同じに……。だが、あの急激な体重の変化は謎だ。何しろ百キロ以上あった体重が、三十キロ台に減ってしまって、それなのに健康には問題がないのだからね。あれほど急激に体重が減ったら、皮膚が体重の減少においつかず、あまって垂れ下がってもおかしくない。いったい、何が起きたのだろう」

 院長は、最後の言葉を、独り言のように呟いた。ふと顔を上げると、僕を見て笑いながら口を開いた。

「薬の影響の違いは、君が絵里香と違って、当時、風邪を引いていたくらいかな?」

 言い終えると、慌てて手を振って言い添えた。

「今の話は忘れてくれ! 何の根拠もない推測だからね」

 話を切り上げるように、院長は壁掛け時計をちらっと見やった。

「とにかく、これで君の検査は終わりだ。それで、絵里香が君に会いたいと言っておる」

 院長は意味ありげに、僕に視線を戻した。

「話をするかね?」

 僕は頷いた。

 検査を受けて、僕は一度も絵里香と顔を合わせていなかった。絵里香もまた、院長の命令で精密検査を受けているはずだったが、多分、僕らが出会わないよう、スケジュールが組まれていたのだろう。なぜそうなのか、理由は判らないが。

 院長は立ち上がり、僕を案内した。

 二階の廊下から階段を上って、三階へ移動した。

 ドアの一つに近づいた院長は、無造作にノックをした。

「絵里香。紬君を連れてきた」

 ドアが細めに開けられ、絵里香の顔が覗いた。

 変身した絵里香だ。僕はつい、変身前の絵里香の姿を思い浮かべて、今の姿にどきっとなった。

 それくらい、今の絵里香は、以前の面影がなかった。

 ほっそりとした顔立ちに、よく光る大きな瞳。絵里香は、こんなに睫毛が長かったっけ、と思うくらい、今の絵里香の瞳の睫毛は濃かった。絵里香を知らない人間が見れば、付け睫毛をしているのかと思うが、絵里香は決して、女の子らしい化粧とか、ファッションには一切、興味がなかったはずだ。

 ただし、ピンク縁の眼鏡だけは、変わりなかった。レンズの罅割れはなくなっていて、多分、検査の間に修復したのだろう。

 服装は真兼高校指定の制服で、新たな体形に合わせたサイズになっていた。

 絵里香は上目がちに、院長を見上げた。

「啓太だけ、入って。パパは部屋に戻って」

 絵里香の言葉に、院長は「しかし……」と言い掛けたが、見上げる娘の目付きに、言葉を飲み込んだ。

 ドアをさらに開けると、絵里香は僕を見て、顎をしゃくった。

「入んな!」

 口調は、やはり絵里香だ。美少女の姿になったが、性格は変わらないのだろう。

 僕が部屋に入ると、絵里香はじろっと、院長を睨んで叫んだ。

「パパ! ドアの外で、聞き耳立てても無駄だよ! おいらには、判るんだから!」

 院長は「判った、判った!」と手を振りながら、遠ざかった。足音が聞こえなくなって、絵里香はようやくドアを閉め、僕に向き直った。

「啓太、身体の調子はどう? おいらが見るところ、そう悪くはなさそうだな」

「心配しているのか?」

「まさか!」

 絵里香は、大げさな仕草で肩を竦めた。そんな仕草を見ると、やはり絵里香だ。外見は美少女に変身したが、中身は変わっていない。

「おいらの心配は別にある」

 僕は絵里香の部屋を見回した。

 ここは絵里香が研究室に篭っていない間、利用している部屋だ。部屋そのものは、戦前の洋館の造りで、太い木の梁が天井を通っていた。窓にはどっしりとしたカーテンが掛かっていて、優雅な造りの飾り窓や、照明はシャンデリアと凝っていた。

 部屋の家具は、窓際にベッドと椅子。絵里香が、小学生の頃から使っている勉強机くらいのものだ。ベッドは病院の患者用のものを流用している。

 部屋の造りは優雅だが、内容は、女子高生の部屋とは思えない、殺風景な部屋だ。

 絵里香はベッドに腰掛けると、僕に、部屋にたった一つだけの椅子を指し示した。

「座んなよ。話があるんだ」

 僕は命ぜられるままに、椅子に腰を下ろした。

「話って、何だい?」

 僕は慎重に応じた。本当のところ、色々問い質したい疑問が、僕の心中に一杯に溢れていたが、絵里香にそんな疑問をぶちまけたとしても無駄だろう。絵里香は自分が話したいと思わない限り、一切、話そうと思わない。

「おいらは、あの薬でこんな姿になっちまった!」

 絵里香は苦々しげに呟いた。

 僕は意外に思った。

 以前の絵里香は、体重百キロを超える肥満体で、現在のスリムな身体になって喜んでいるだろうと思っていたからだ。

 僕の目付きを読んだのか、絵里香は皮肉そうな笑いを浮かべた。

「啓太、おいらが喜んでいると? 痩せて嬉しいとでも? へっ! 冗談じゃねえや!」

 絵里香は憤然と腕組みをして、そっぽを向いた。

「こんな頼りない身体じゃ、調子が出ねえ! 何だか歩いてもフワフワして、以前に戻りてえや……」

 そりゃ、そうだ、と僕は思った。何しろ百キロ以上あった体重が、一気に三十キロ台に減ったと院長から聞いている。六十キロ以上の重みが、身体から消えたのだから、戸惑っているのだろう。僕は恐る恐る、絵里香に話し掛けた。

「で、でも、ダイエットしたと思えば良いんじゃないか? やっぱり、太り過ぎは良くないと思うな……」

 絵里香は僕の言葉に、ギロッと怒りの目付きになった。

 僕はぎくりと、背を強張らせた。

 顔つきは変わっても、今の目付きはやっぱり、絵里香だ。どんな美少女になっても、その奥に以前の絵里香を感じて、僕は、類稀な美少女と対面しているという気分になれないでいた。

「おいらだけ、なぜこんな見っとも無い姿になったんだ? 啓太、お前は全然、変わっていねえように見えるな……。おい! 本当に、啓太は、身体に変化はなかったのか?」

「な、ないよ……ある訳、ないじゃないか……」

 僕は絵里香の追及に、作り笑いで応じた。

 絵里香は疑い深そうな目付きになって、僕の全身をジロジロと眺めた。

「ふーん、気のせいか、お前、背が高くなったんじゃないか?」

 どきーん!

 実は、僕の背丈は、二、三センチばかり高くなっていた。

 病院の検査で、まず身長、体重を量られるのだが、その時身長が少し、高くなっていたことを、僕は知った。

 でも、僕は高校二年生だし、僕の年齢で背が高くなるなんて、普通だと思って、その時は気にならなかった。

 僕が黙り込んだ理由を、絵里香はどう考えたものか。じーっと僕を見詰めた絵里香は、とんでもない台詞を口にした。

「啓太、服を脱いで見ろ」

「えっ?」

 僕は思わず、椅子から立ち上がり、後じさった。

 絵里香はベッドから立ち上がり、ずいっと一歩、僕に近づいた。

「服を脱げ、と言っているんだよ! お前、やっぱりおいらに、何か隠しているな!」

 腕を挙げ、僕に向かって人差し指をぴん、と立てて絵里香は喚いた。

「さあ、脱ぐんだ! 啓太の裸を、おいらに見せてみろ!」

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