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 いったい、この女の子は誰だ?

 絵里香の姿が消え、代わりにこの美少女が自分を真兼絵里香と主張している。

 僕は微かな作動音に気づいた。

 音は、背後から聞こえてきた。

 何だろうと振り向くと、絵里香に命じられてセットしたビデオ・カメラから、内部のハード・ディスクが記録中を示すライトが点灯し、作動音が聞こえてくる。

 そうだ!

「院長先生! これを見てください!」

 僕は院長を手招きし、カメラのモニター・パネルを開いた。録画を停止し、メニューを開いて、記録を表示させた。

 再生にすると、絵里香が注射器を手に、カメラに向かって話し掛けている場面になった。

「これからおいらは、新薬の実験を行う! 被験者はおいらこと、真兼絵里香十七歳。この薬を投与して、反応を記録したい」

 その後、絵里香が薬の成分について、長々と述べ立てる場面となった。院長は、絵里香が口にする薬品の名前を聞いて、ぶつぶつと呟いた。

「馬鹿な……そんな劇薬を調合して、正気とは思えん……!」

 言い終えて、絵里香が自分の腕に注射器の針を突き刺す場面になると、院長は思わず自分の口を手で押さえた。

 医者として、正視できない場面なのだろう。

 やがて絵里香が座り込み、多量の汗が全身から迸る場面へと進んだ。画面の僕は、オロオロとしているだけで、絵里香の身体から粘液が噴き出し、前のめりに突っ伏すところで、僕は画面から消えた。

 突っ伏した絵里香の全身を、肉色の粘液が覆っていった。ついに絵里香の全身は、粘液にずっぽりと埋まり、見えなくなった。

「これは……どうなってるんだ……!」

 画面に見入る院長の顔色は、真っ青になっていた。両目の目蓋が一杯に見開かれ、ねっとりとした汗が浮かんでいた。

 やがて僕、院長、亀山老人の三人があたふたと研究室に現れる場面になった。院長が粘液の固まりに手を触れ、中からあの女の子が出現するところになった。

 院長はゆっくりと、自分に話し掛けるように言葉を押し出した。

「これを見ると、我々が来るまで、この研究室には誰も入ってはいない。あの粘液に浸かったまま、絵里香も出て行った様子はない。……とすると、まさか!」

 僕と院長は、言い合わせたように、女の子を見た。

 女の子は尻餅をついた姿勢のまま、腕を組んでいた。何度か立ち上がろうとしたが、足元の粘液がぬるぬると滑り、失敗していた。しまいには、彼女は不貞腐れて尻餅の格好を続けていた。

「何、見てんだよ?」

 院長は、ゆっくりと女の子に近づいた。

「君、絵里香か? 本当に、お前なのか?」

 女の子は眉をひそめ、院長を見上げた。

「パパ、何、訳の判らないこと、言ってるんだ? 変だよ!」

 僕は研究室を見回した。

 絵里香の研究室には、女の子が暮らしているなら、あるはずのものが、一つもない。

 鏡だ。

 でも、ビデオ・カメラがある!

 僕はビデオ・カメラを三脚から取り外し、女の子をカメラで録画した。カメラのモニター画面を使って、撮影したばかりの映像を表示させた。

「これを、見てくれないか」

「何だよ」

 女の子は疑い深そうな顔つきで、僕が撮影したばかりの映像に見入った。一目見た瞬間、女の子は驚愕の表情になった。

「こいつは、おいらか? 嘘だ!」

 その時、それまで一切、口を挟まず、僕たちの遣り取りに耳を傾けた姿勢を続けていた亀山老人が、おずおずと話し掛けてきた。

「あのう、一言よろしいでしょうか?」

 院長が、老人の方向に身体を捻じ曲げ、向き直った。

「何だね?」

 老人はもじもじと、両手を擦り合わせた。

「その娘さん、どう見ても、奥様のお若い頃そっくりで御座います。旦那様はどう、お考えでしょうか?」

「何っ!」

 老人の指摘に、院長は改めて女の子を見直した。呟くように、老人に向け、言葉を返した。

「そういえば、そうだ……。学生の頃のアルバムを見せて貰ったことがあった」

 絵里香の母親は、娘を産んですぐ亡くなったと聞いている。目の前の女の子が、絵里香の母親の若い頃に似ていると聞いても、僕には判断はつかなかった。

 しかし老人の指摘で、その女の子が絵里香だと、院長はすっかり信じたようだ。

 一つ大きく頷くと、女の子に腕を伸ばして、立ち上がらせてやった。何しろ床はぬるぬるする粘液で、女の子は立ち上がる動作一つ、満足にできなかったからだ。

「絵里香、いったい、何があった?」

 院長に話し掛けられ、絵里香(これからは女の子をそう呼ぼう)は顔をしかめた。

「判んないよ……」

 それだけ呟くと、彼女は黙り込んだ。

 もしも、この女の子が絵里香だとすると、これは異常な態度だ。僕の記憶にある絵里香は、どんな状況でも饒舌が途切れたことはない。いつもの彼女なら、滔々と自分の今やっている研究、実験を捲くし立てただろう。

 僕らはすっかり変身した絵里香を連れて、研究室を後にした。絵里香の腕を、院長はしっかりと抱え、この時ばかりは、父親らしく見えた。絵里香はずっと黙ったまま、何か考え込んでいる様子だった。

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