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「面白い……実に面白い……おいらの発明した薬は、恐ろしく効果があったわけだ!」

 ぱん、と絵里香は両手を打ち合わせた。

「凄いぞ! もしおいらがあの薬を自分に試したら……」

 ぶつぶつと呟くと、絵里香はキョロキョロと研究室の中を見回した。何か探しているようだ。

「確か、あれは残りがあったな……どこにやった?」

 絵里香は雑然と積み上げられている我楽多の山に突進し、頭を突っ込むようにして、両手を忙しく動かした。がらがらと音を立て、我楽多の山が引っくり返った。絵里香の上半身に、積み上げられた我楽多が零れ落ち、絵里香の姿は埋まってしまった。

 そのまま何の変化もなく、僕は所在無く立ち尽くしていた。

 どれほどの時間がたったろうか、出し抜けに別の箇所で塵の山が動くと、大量の我楽多を掻き分け、絵里香の姿が現れた。

「あったぞ!」

 絵里香は誇らしげに、一本の注射器を手に立ち上がった。

 僕は恐怖に、背筋が凍りついた。

「よせ! 僕はそんな薬、注射されたくはないぞ!」

「はあ? 何を言ってんだ?」

 絵里香は僕の言葉に、肩をすくめた。

「誰が啓太に、注射するって言うんだ? そんな勿体無いこと、できるか! これは、おいらが使うんだ!」

 僕はあんぐりと、口を開けてしまった。

「ええっ! き、君が……?」

 絵里香は注射器を天井の明かりに翳し、分別臭い顔つきを作って、僕に向かって説明した。

「こいつは注射された相手を、劇的に変える薬だ! 啓太の反応で、それがはっきりと、おいらには判った。ならば、おいらがこの薬を注射したらどうなる?」

 僕はゆるゆると、何度も首を横に振った、。

「そんな……見当もつかないよ……」

 絵里香はニヤリと笑った。

「おいらは啓太も知っているが、IQ三〇〇の超天才だ! その頭脳に、この薬で最強の身体を手に入れれば、おいらは無敵だ!」

 喋り続ける絵里香の目に、徐々に熱狂的な光が宿った。ぎらっと、絵里香が僕を睨んだ。

「啓太! ビデオを用意しろっ!」

 妙なもので、絵里香に命令されると、僕は自動的に身体が反応してしまう。いそいそと僕は研究室を探して、心覚えの場所から、ビデオカメラを取り出した。

「ど、どうするつもりなんだ?」

「そいつで、おいらを映せ! これからおいらは、この薬を自分に注射する。その結果を記録するんだ! こいつは、重要な実験だからな!」

「わ、判った……」

 少なくとも、僕に注射するつもりはないと判明して、僕はほっとなっていた。後先考えず、僕は三脚を立て、カメラを固定した。

「できたよ……」

 僕の合図に、絵里香は頷き、カメラに向かって注射器を掲げて見せた。

「これからおいらは、新薬の実験を行う! 被験者はおいらこと、真兼絵里香十七歳。この薬を投与して、反応を記録したい。その前に、この薬の成分を説明したい……」

 絵里香はずらずらっと、難しい専門用語を駆使して、薬の調合法を述べ立てた。絵里香の口にする薬の成分は、僕には一言だって理解できなかった。ともかく、恐ろしく複雑な成分が入っているのは、判ったが……。

「では、実験を始める!」

 高らかに宣言して、絵里香は注射針を、ぐっと、自分の丸太のような腕に突き刺した。ちゅーっ、とピストンが押され、注射器の薬液が、絵里香の体内に投与される。

 一部始終を見守った僕は、瞬きもせずに絵里香を見詰めていた。

 絵里香の無鉄砲な性格には慣れっこになっていたが、これほどとは、思ってもいなかった。あんな訳の判らない薬を、自分に試すなんて、どうかしている!

 モニターの映像を見ている筈なのに、危険は感じないのだろうか?

 感じないだろうな。今まで絵里香が、実験前に怯えたり、心配そうな表情を浮かべたなど、一度もなかった。いつも自信満々で、何度失敗しても次の企画を思いついた。

 すっかり注射器の薬液が空になると、絵里香はポイと、注射器を投げ捨てた。その場でどっかりと、腰を下ろし、胡坐をかいた。注射針が抜かれた部分から、ぷっくりと血の玉が膨れ上がった。絵里香はべろりと舌を伸ばし、噴き出した血液を舐めて「ふん!」と鼻を鳴らした。

「痛むのか?」

 僕が尋ねると、絵里香は無言で首を振った。

 そのまま絵里香は、胡坐をかいたまま身動きもしなかった。何か、次の変化を待ち受けているようだった。

「暑いな」

 呟くと、それまで纏っていた白衣を脱ぎ捨てた。

 気がつくと、絵里香の顔が首から上へかけ、真っ赤に染まっていた。

 僕は尋ねた。

「暑いのか?」

 絵里香は煩そうに、首を振った。

「ああ、冷房が効いていないみたいだ」

「そうかなあ……」

 僕は研究室の、エアコンの表示を見た。

 表示は〝室温十九度・冷房〟となっている。

 普通なら、肌寒く感じるほどだ。

「暑いっ!」

 絵里香が叫んだ。

 見ると、絵里香の額から、顎から、ふつふつと大粒の汗が湧き出していた。絵里香の顔色は、茹で上がった蛸か、伊勢海老のように真紅に染まっていた。

「だ、大丈夫か?」

 無駄と知りつつ、僕は絵里香に近づいた。絵里香は僕の質問にも答えようとはせず、低く唸り声を上げていた。

 汗は、絵里香の全身から噴き出していた。

 額から流れる汗は、絵里香の顎からぼたぼたと滴り落ち、制服は汗でびっしょりに濡れていた。胡坐をかいた床には、すでに大量の汗が水溜りを作っている。

 さらに絵里香の全身から、うっすらと湯気が立ち上っていた。

 僕は恐る恐る、絵里香の肩に手を置いた。

「わっ!」

 僕は驚いて、手を離した。

 熱い!

 まるで火にかけた薬缶のように、絵里香の身体は熱を放っていた。

 どうしたものかと、僕がオロオロしている間に、次の変化がおきた。

 今度は汗の代わりに、何かねっとりとした粘液のようなものが、絵里香の額から噴き出した。

 ねばねばした粘液が、絵里香の額から、首筋から流れ落ちていた。その粘液は濁った肌色で、とろりとろりと湧き出し、全身を浸していた。

 どて! と絵里香が、前のめりに床に崩れ落ちた。べったりと手足を投げ出した絵里香の身体を、ねとねととした粘液が覆っていった。見る見る、絵里香の全身は、肌色の粘液に覆い尽くされていく。

 どうしよう……。

 僕は完全にうろたえてしまった。

 医者を呼ばなきゃ……。

 そこまで考えたとき、ここは真兼病院の敷地だと思いついた。

 そうだ、絵里香の父親は、真兼病院の院長じゃないか!

 僕は突っ伏した絵里香をそのままに、研究室を飛び出した。

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