3
クラスの大騒ぎに、黒杉は見る見る形相を一変させ、ばんばんと何度も教壇を叩いた。
「静かにしろ! 騒ぐな!」
あらん限りの大声を上げたが、天宮奈々が転校したという興奮に、クラスの誰一人、耳を傾ける者は皆無だった。
黒杉は黒板の黒板消しを取り上げ、無言で窓ガラスに向かって投げつけた。
ぐわっしゃーん! と、ド派手な音を立て、窓ガラスが砕け散った。
一瞬にして、教室中が静まり返った。
窓ガラスを割るという蛮行に、皆、黒杉の性格を思い出したのだろう。
何を仕出かすか判らない、暴力教師という噂に、僕を含めた教室中の全員、怯えきった。
黒杉は満足そうに、唇を笑いの形に歪めている。が、目は笑っていない。
大きく息を吸い込むと、声を高めた。
「いいか、俺がこのクラスの担任になったからには、勝手な騒ぎは許さんぞ! 転校生一人で、何をうろたえている?」
黒杉はわざとらしく腰に両手を当て、教室中の一人一人に視線を当てて行った。
僕は俯きながら、こっそりと黒杉の隣に立つ、天宮奈々を盗み見た。
奈々は超然と、真っ直ぐ前を見たまま直立していた。表情は平然としていて、黒杉の見せた蛮行にも、一切、気にしていないようだ。
黒杉は軽く咳払いをして、胸をそらした。
「それでは天宮奈々さんの席は……」
黒杉は、ぐるりと教室中を見回した。その視線が、僕にとまった。
「紬の隣だな。空いている席は」
黒杉が僕を指差した。
僕の心臓が、驚きに跳ね上がった。
天宮奈々が僕の隣に座る!
教室中の男子が、一斉に僕に注目した。全員、嫉妬の視線で、僕を睨み殺したいという雰囲気だ。
が、視線の中に、納得の色があった。
紬の隣なら仕方ない……という感情がありありと、表れていた。
なぜなら、僕には真兼絵里香という許婚がいるからだ。
たとえアイドルが僕の隣に座っても、個人的な関係には発展し得ないという予感が、嫉妬の感情を中和しているのだろう。黒杉が僕の隣を指名したのも、そんな計算があるからだ。
奈々は軽く頷くと、歩き出した。
教室中の全員が、奈々の動きに魅入っていた。
すらりとした長い足が動き、まるで体重が無いかのように、奈々は優雅に歩いている。
男子生徒たちはあんぐりと大口を開け、両目をとろんとさせて、夢中になって奈々の動きを追っていた。
夢中になっているのは男子生徒ばかりではなく、女子生徒もまた、奈々を憧憬の眼差しで見詰めていた。
何しろ、天宮奈々は誰もが知るアイドル──だった……!
そうだ!
今まであまりの衝撃に、すっかり失念していたが、天宮奈々はアイドルを引退したのだった……。
その奈々が、僕のクラスに転向してきた。
なぜだ?
アイドルを引退した云々はまだ良い。
けど、そのアイドルが、こともあろうに、僕のクラスに転向してきたなど、信じられる事態じゃなかった。
ファッション・ショーのランウェイを歩くように、奈々は皆の注目など一切気にした様子もなく、僕の隣の席へ近づいた。
ぴたりと足を止めると、僕を見て微笑んだ。
あの天宮奈々が、僕を見詰めて微笑んでいる!
僕は言葉も無く、ただただ、硬直していた。何とか言葉を交わしたいが、口の中はからからに干上がり、喉の奥に何か詰まったようで、一言も発せられない。
奈々はぺこりと頭を下げた。
「天宮奈々です。どうぞ、よろしく」
奈々の挨拶に、僕は──
「あ、ああ、あうあうあう!」
と、意味不明な音声を搾り出すのがやっとだった。
奈々は大きく息を吸うと、僕に向かって宣言した。
「わたし、紬啓太さんと結婚するため、アイドルを引退したんです! 啓太さん、どうかわたしと結婚して下さいませんか?」
「えええええ──っ!」
僕は驚きのあまり、凍り付いていた。
不意に奈々は屈みこむと、僕に顔を寄せ、まともに僕の唇にキスをした!
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