第二章 転校生
1
「行ってきまあ~す!」
僕は玄関に見送りに出た母親に向け、大きな声で宣言すると、元気一杯の足取りで、外へ飛び出した。
家から外へ飛び出すと、朝の道路は朝日を浴びて、眩しく輝いていた。僕は片手に鞄を持ち、大きく息を吸い込むと、高校への道どりを大股で歩いた。
朝のぴりっとした空気は爽快で、僕は全身に力があり余る感じで、ただ歩くだけでは勿体無いほどだ。抑えていないと、今にも走り出しそうな気分だった。
高校へのだらだら坂を歩くと、目の前に真兼高校へ登校する生徒たちの後姿が、僕の視界に入ってきた。
僕は早足で歩き、生徒たちを次々と追い抜いていった。
足取りは軽く、僕はつい、口笛を吹いていた。次々と追い抜く生徒たちは、そんな僕に気づくと、皆、呆気に取られた表情で見送った。
なんて気分が良いんだろう!
僕はスキップになると、我慢できずに、高校への上り坂を駆け上がった。
「お早う! やあやあ、お早う!」
僕は高校への坂道で、次々と生徒たちの肩を叩き、陽気に声を掛けながら、校門を目指した。
「お早う!」
僕は目の前の男子生徒の肩を、後ろから思い切り叩いた。叩かれた相手は、弾かれたように振り向いて、まじまじと僕の顔を見つめた。
僕が叩いた相手は、高森だった。高森はあんぐり大口を開け、僕を見つめた。長い顔が、あんぐりと開けた大口のせいで、さらに長くなっていた。
「あ……お早う……。紬、お前……」
喋りかけ、高森は自分の口調が、標準語だったことに気づいたのか、慌てて言い直した。
「啓太はん、えらい、ご陽気でんな!」
僕はなぜか可笑しくなって、天を仰いで「わはははは!」と高笑いをした。普段、高森に僕から話しかけるなど、まずないのだが、今朝だけはひどく気分がよく、親愛の情が溢れ出てくる。
高森は、なぜか気味悪そうに、僕の全身をじろじろと見た。
「あのう……啓太はん。あんた、ほんまに、紬啓太やろか?」
僕は高森の顔を見下ろし、肩をすくめた。
「当たり前だろう! 他の誰と間違うっていうんだい?」
喋りながら、僕は「あれ?」と思った。
僕は高森の顔を見下ろしている。高森は僕の顔を見上げていた。
たしか、高森は僕と同じか、少しくらい背が高かったような気がしたが……。
高森はどぎまぎした様子で、目をそらした。
「そ、そやな……なんや、今朝の啓太はんは、見違えたみたいや……」
僕はもう一度高笑いをすると、高森の背をばん、と叩いた。
「急がないと、遅刻だぜ!」
高森は「はあ……」と曖昧な返事をすると、僕と肩を並べて歩き出した。歩き出してすぐ、高森は僕にひそひそ声で話しかけた。
「啓太はん。絵里香はんの実験、どないやったんだすか?」
「実験?」
僕は高森の顔を見た。高森は興味津々といった表情で、見返してきた。僕は高森の顔を見て、問い返した。
「何を言ってるんだ? 僕がいつ、絵里香の実験に付き合ったんだ?」」
高森は「えっ?」と口を丸く窄めて見せた。
「そやけど、一昨日、絵里香はんが、啓太はんに実験に付き合え、と言うたんでっせ」
僕は力一杯、否定の意味で首を左右に振った。
「そんな覚えはないぞ。僕は昨日、一日家にいたぜ」
高森は僕の返事を聞いて、ぽっかりと、口を驚きの形に丸く開いた。僕はさっさと、先に歩いた。何を言っているのか判らないが、高森は何か、大きな勘違いをしている。
ばたばたと足音を立て、高森は慌しく僕の隣に並んだ。息せき切って、高森はべらべらと捲くし立てた。
「そや、国文の桐山せんせ、校長に辞表を出したそうでっせ」
僕は桐山教諭の顔を思い浮かべて、高森に「へえ」と賛嘆の声を返した。高森は僕の反応に、満足そうに顔をにんまりさせた。
「絵里香はんに怒鳴りつけられて、腰を抜かしはったんやけど、あんな怖い生徒がいる高校で教えられへん、ちゅうて、辞表出しはったんでっせ」
高森の説明に、僕はなぜか、不安な感情を覚えた。
絵里香が桐山先生を怒鳴りつけた……ありそうな出来事だ。絵里香は相手が同級生だろうが、先生だろうが、お構いなしで平気で怒鳴りつける。だから桐山先生が絵里香の本気の怒鳴り声を浴びせられたら、腰を抜かすはずだ……でも、いつ、そんなことがあったんだろう……。
高森は僕の反応にお構いなしに、続けた。
「それと、もう一つ。実はわてらのクラスに、転校生が来る、ちゅう話がありまっせ」
「へえ……」
僕は再び、賛嘆の声を上げた。本当に、高森のやつは、聞きしに勝る早耳だ。高森は得々と続けた。
「しかも、転校生は、女の子らしいでっせ」
「本当かあ……?」
僕はいつの間にか、立ち止まっていた。高森の報告は、僕の足を止めさせる十分なインパクトを与えていた。
「おいっ、そこの二人! 早くしないと、遅刻にするぞっ!」
野太い声に顔を上げると、校門でがっしりとした体つきに、五分刈りの頭、赤ら顔の男性教師が、帳面を手に立っていた。
保健体育担当の、黒杉教諭だ。
高森と話し込んで、いつの間にか校門に来ていたのだが、足が止まっていた。僕らの周りを、生徒たちが急ぎ足に通り過ぎた。
「お前ら、そんなに遅刻になりたいのか?」
黒杉に怒鳴られ、僕と高森は、大慌てで校門を通過した。
愚図愚図していたら、どんな懲罰が待っているか想像もつかない。
何しろ黒杉教師は、今時珍しい「熱血スポ根」教師で、平気で生徒に対し、体罰を加えてくる。
まるで化石のような教師だ。噂では空手の有段者だそうで、授業が暇なときは、校庭で一人、空手の型を演じている姿が、しばしば目撃されていた。そのため、真兼高校の不良も、黒杉だけは逆らわない。
僕と高森は、できるだけ急ぎ足で、校門から遠ざかった。
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