第6話 妹がアイドルをやっていた件について

 週末。しとしとと雨が降る中、俺は池袋に出向いていた。

 時刻は、夕方5時。空は赤一式に染まりつつある時間帯。人は我先に我先にと、駅に向かっている。俺はそれに逆らう形で大きな坂道を登っていた。

 確かこっち、だよな――あったあった。

 坂道の中腹、そこから続く横道に目的の場所があった。

 ライブハウス『フランカス』。お店の前にはそう書かれた看板が設置されている。

 何を隠そう、今日は以前CDショップで貰ったチラシに書いてあった、新人メタルバンドのライブを見に来たのだ。

 初子先輩は行けないと言っており、当初は行く予定が無かったのだが、家でやることもないのでこう出向いてしまった。

 結構安いんだよな、700円って。

 ドリンク付きで700円のライブって、ありえない額だ。ただでさえ安いのに、しかもドリンク付きっていうのは尚更ありえない。普通ドリンクカップ一つ500円を別料金でとるものだ(ライブハウスの収入源)。だから実質200円で楽しめるのだと言うのだから、お得感ありありなのである。

 てか、あれで500円はボッタクリ過ぎるだろ――いかんいかん、今日は楽しむんだった。こんなことを考えてる場合じゃない。

 両頬を軽く叩き、闘魂注入。

 目的地は小さなビルの地下。そこに位置するライブハウスだ。

 俺は目の前のビルに入り、地下一階へと向かう。下まで着くと、重たそうな扉がお迎えしてくれた。それをグッと押し、入出する。最初に飛び込んできたのは、汗だくのオジサンが受付の所でゼエゼエと言いながら立っている光景だった。

「いらっしゃい……ハァハァ」

 このオジサン、何と戦っているんだ。

 あまりにも疲労感が表情に出ているので、つい心配してしまう。

「あの、ライブ見に来たんですが……」

「ん、ライブだね。チケットは……ハァハァ」

「無いです」

「じゃあ当日になるよ。当日1500円……ハァハァ」

「はあ?」

 俺の疑問符が威圧的だったのか、向こうはキリッとした表情でこちらを見て来た。

 ま、まあ小遣い貰ってるし、当日は高く付くものだからしゃーない。

 俺は、このおじさんの威圧に撒けた訳ではなく、あくまでも自分の豊富な財産を理由に、この高価なチケット代を払うことにした。

 震える手で財布から1500円を取り出し、目の前に差し出す。

「飲み物プラス500円」

「はっ――ぐ」

 どんだけ当日民を見下しているのか。約3倍って、不遇すぎるだろ!

 汗だくのオジサンは手をクネクネさせながら催促するので、苦渋の決断で500円追加。

「奥のBステージね」

 っく、これでつまらなかったら俺は中野まで走って帰ってやるからな!

 グッと右手で怒りを握りつぶし、指さされる方向へと進んだ。

 このライブハウス、ステージが2つあるみたいで、手前がA、奥がBとなっている。

 Aにもいかつい男たちが入出したりしているので、今日は2ステージ同時公演なのだろう。

 指定されたBと書かれた防音扉をゆっくり開け、俺は中に入った。

 部屋の中を軽く見渡す。すると、何か "違和感" を感じた。

 まずありのままの光景を言おう。部屋の印象は全体的に暗く、ステージ上が青白い光で照らされている。ステージから一歩手前には、よく分からない柵が設けられている。ステージと柵の間には、カメラが置かれたりと、見たことのない形態だ。

 これだけなら『少し変わった演出』と捉えることが出来るだろう。

 だが、決定的な違和感はステージから更に前、そう『客』にあった。

 客層は男、もっと言えば柄の悪くない男でいっぱいと言えるだろう。皆、色とりどりのシャツを身にまとい、手には光り輝く棒を持っている。

 こいつら、何故ミニライトセーバーを持っているんだよっ! 今からバトルでもするのか!?

 今まで見てきたライブハウスの光景と違いすぎて、俺の頭の中はパニックという渦でいっぱいだった。

 そして頭の整理がつかないまま、ライブは始まった。

『始まった! うぉおおおおおおおおお、か・ら・ふ・る』

『『『パレット・パレット』』』

 何か始まった。そう告げるしか無い。

 目の前の男たち、50人近くが、一致団結して声を上げる。

 傍から見ていると、主役が出ていないのに、何を騒いでいるんだろうか、と冷たい視線になってしまう。

 こ、こういうライブもあるんだよな。俺が無知なだけだよな!

 自分を言い聞かせ、出来るだけ順応しようとする。

 声掛けが10回ほどされた所で、ステージ左からメンバーが現れた。

 その光景にも、俺は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受ける。

 7人の少女が、フリフリのドレスを着ながら現れるではないか。メタルとはかけ離れた少女たちだ。

――――ってか、楽器どこっ!?

 ようやくその時になって気づく。音楽で何よりも大事な楽器の数々がない。

 少女たちは、一本のマイクを持って整列している。

 お、おいおい。メロイック・サインはどこですればいいの? え、このバンドは拝むポーズが主流なの? 教祖様、教えてっ!

 潤い始めた目を覆い、首をふる。

「リリィ~」

 一人の女の子が、とてもじゃないがしわがれ声を出せそうにない、激カワボイスで発声する。

 俺はショックのあまり、顔を挙げられなかった。

 これ、多分アイドルだ。あのクソデブジジイ、俺の見た目で勝手にこっちのチケット売りやがった。俺はメタルを聞きたかったんだ!

 そう思いながら耳を澄ますと、案の定、隣ではピコリーモの曲が盛大に流れている。

「――ごめーん! 機材トラブルぅだったぁー。あ、皆さんごめんなさい」

『うぉおおおおおおおおおおおおお! リリちゃん可愛いからいいよおおおおおおおおお』

 ……ん? なんだこれは。

 澄ましていた耳には、聞き馴染みのある声が飛び込む。

「じゃあ皆揃った所で、早速一曲目、聞いて下さい! 『はじめてのお絵かき』!」

 その合図の後、4回のシンバルが鳴らされた後、曲が始まった。

 周りの客達も、最初っから全力疾走。『オイッ!』とか『アイッ!』とか統一感の持てない合いの手ではあるが、とにかくタイミングは完璧だった。

 俺は気迫のあまり、顔を上げ、ステージを見つめてみる。

「――は?」

 ここで一つ、哲学的な事を話そう。全く予想していなかった事が、突然目の前で起こったら人はどうなるのか。答えは簡単、『黙って口が開く』だ。


 何で、何で――何で『凛々花』、お前がステージに立ってるっ!?


 化粧をたっぷりしていて、パッと見では気づかないが、中央に立っている少女は間違いなく俺の妹。凛々花である。満面な笑顔で軽快なステップを踏んでいる。ウィンクなんか決めちゃったりして、客からの歓声を煽っている。

いやいやいやいや。

ウィンクじゃねーんだよ。お前は俺のスネにローキックをかます野蛮妹なんだよ! どちらかっていうと隣の部屋で「メタルぅ最高ですぅ!」とか言ってるほうがお似合いなんだよ!

「だ・れ・を」

『リリが好き好き、だいすき! オイオイオイオイッ!』

 おい、客ども! この訓練はどこでやっているんですか? というか妹に対して何をおっしゃってるんですか? 即座にもらって家から追い出して欲しいぐらいですがぁあ!

 口を歪ませ、俺はあたふたする。いや、さらに言えば凛々花を全力で凝視してみた。

「はっちゃけ ちゃって 恋しま――」

 語尾がかすれる。凛々花ははっと目を見開いた。それからすぐに立て直し、歌を続ける。

 客も、一瞬たじろいだが、すぐに合いの手に戻っていた。さすがプロ。

 てか、今俺を見たよな。俺を見て、驚いたよな。まあ、俺のほうが驚いてるけどねっ!

困惑を隠せない面持ちのまま、思考をさらに続ける。

何であいつはこんなことしてるんだ? 父さんは許してるのか? いやいや、漫画もアニメも嫌う父親だ。こんなの知ったらただじゃ置かないだろう。絶縁もあり得る。

「プレゼン」『おーっ?』「フォー」『おおっ!?』「ミー」『あちゃー!』

 だから、何でそんなに掛け合いピッタシなんだよ! お前ら "それ" 専門の学校行ってただろ! そうじゃなきゃ示しがつかねえって!

 結局、俺は3曲を、呆然と聞くことしか出来なかった。曲自体は悪くなかったのだが、この雰囲気にどうも、俺はついていけなかった。

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