第17話 The Eve -Ayaka side-

 J.Khmer groupのオフィスでツアー企画書を作成中だった私は入口ばかりが気になっていた。

『J.Khmer group』=旅行代理店やゲストハウス経営の他に地域密着型のフリーペーパーを発行する日系企業。東南アジア各所で事業を展開中。


「アヤカちゃーん。カズくんは何時の便で来るのかな?」


声を掛けてきたのは奥のデスクで新聞を広げるうっちー社長だ。


「定刻でドンムアンを出たそうなので、そろそろ着く頃じゃないですか?」


「それじゃ今日は早めに切り上げて飯でも食いに行こう。編集部が情報を欲しがってた創作料理のお店なんてどう?」


「あ、あそこは今晩オープンでしたっけ?エヘヘ。実は私も狙ってたんです」


「ハッハハハ。それは良い。昨日のうちに予約を入れといたからパーッとやろう」


私は、こんな風にさりげない気遣いができる社長のもとで働けることを誇らしく思った。


「それとさ、アヤカちゃん」


「はい?」


「今日はいつもより化粧が濃いんじゃないか?王子様の到着が待ちきれないねー。ガハハハハ」


「もう!からかわないで下さい!ブッ飛ばしますよ。キャハハハハ」


「おっと、シンシチくんに絡まれちゃたまったもんじゃない。ガッハッハハハ」


機に乗じて古臭いオヤジギャクを連発するところは玉に瑕だ。


「失礼しまーす!」


二人で冗談を言い合っているさなかに、不思議顔のカズさんがオフィスに入ってきた。


「お久しぶりです!どうしたんですか?笑い声が外まで漏れてましたけど・・・」


「ちょうどカズくんの話で盛り上がってたんだよ。アヤカちゃんが"今夜は君を寝かせない"ってさ・・・。ガッハハハハ」


「しゃちょーー!セクハラです!ほんっっきで怒りますよ!!」


 事態が飲み込めずにキョトンとする彼を引き連れ、一行はトゥクトゥクをオリーブ・ストリートへと走らせた。


     ※     ※


 レンガ調の店内にはスロージャズが流れ、上品で落ち着いた空気が漂っている。


「アヤカちゃん。帰りに取材のオファーお願い!」


「りょうかいでーす!」


必死の勉強で、ようやくクメール語が話せるようになった私は社長から通訳を頼まれる場面が増えていた。


「アヤカ凄いじゃん。こっちは二年間住んでるタイ語ですらおぼつかないのに・・・」


「まだまだ日常会話レベルだよ。でもね、いつの間にかクメール語の寝言が出てくるようになっちゃった。キャハハハ」


 席に着くなりさっそく盛り上がる三人のテーブルに赤ワインと生ハムの前菜が並んだ。


「MMA(総合格闘技)のジムをシェムリにもオープンしませんかー?」


「それは面白いね。意外と流行っちゃうかもなあ」


「お、うっちーさん乗り気だ!次の訪カンは道場開きですね。あはははは」


 私は少年のように語り合う二人の横顔を眺めながら「こんな時間が永遠に続けばいいな」と考えていた。


だが、二本目のワインと煮込みハンバーグが運ばれてきた頃に、話題は必然との件に移ったのである。

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