第6話 甘酸っぱい恋の味 -Kazu side-

 ドアガラスから差し込む西日で目が覚めると、バスはクラビタウンの近郊を走っていた。


「おはよ、カズさん。よく寝れた?やっと着くみたいだよ」


「ミニバスはもうコリゴリだな・・・」


 過去の経験上、「ミニバス」は俺たちがもっとも苦手とする移動手段の一つである。大型バスよりも細かな行き先を網羅するのはうれしいが、狭い車内の圧迫感はかなりのものだ。ドライバーの運転も荒く死亡事故が多いため「ペナンからクラビまで直行」という圧倒的な利便性が無ければまず選ばなかっただろう。


 愚痴をこぼし合う二人が降ろされたのは、クラビ川と平行するUttarakit Roadのセブンイレブン前だった。街路樹が植えられた遊歩道の向こうに、独特な造形の岩山が顔を覗かせている。


 クラビタウンは首都バンコクから南へ約814Kmに位置する大人気のリゾート地である。日本人にもよく知られたプーケットからはアンダマン海を挟んで東側だ。

離島巡りにダイビング、ジャングルツアーや天然温泉まで多彩なアクティビティーが体験できる貴重なエリアなのだ。


また、コロニアル様式が残る街並みは、映画「ザ・ビーチ」のロケ地として有名で、中心部の「Maharaj Soi 4」が冒頭のカオサンロードのシーンに使われたそうだ。クラビを訪れる旅行者は是非とも足を運んでみてほしい。


     ※     ※


 近くのゲストハウスにチェックインを済ませた二人は、クラビ川沿いに広がる屋台街に向かった。 


 数日間離れていただけで無性に食べたくなるのがタイ料理である。

テーブルに並ぶシーフードを前にBeerLEOで乾杯すると、ふいにの姿が思い浮かんだ。


「こんな場所に居るとナオキがその辺からひょっこり顔を出しそうな気がするんだよなぁ。落ち着いたら遊びに来いって言ってるんだけどさ。今は仕事が楽しくて仕方ないんだってさ」


「ナオキくんかぁ・・・。みんなと喧嘩しないでうまくやってるかな?あのやんちゃ坊主はすぐにキレるからちょっと心配。キャハハハハ」


(いやいや、あなたのキレやすさも相当なもんなんですが・・・)


「人生なんてどう転ぶかわかんないよねー。奔放な彼がバリッとした会社人間になっちゃうなんて。バンコクに帰ってきたらで死ぬほど奢ってもらおうね」

※『ソンブーン』=プーパッポンカリー(蟹のカレー炒め)を生み出したバンコクの超有名店。小泉元首相が訪れたことでも知られている。


「あっはははは。今頃アイツくしゃみしてんじゃね?でもさ、考えてみれば俺とアヤカが付き合う未来だって誰にも予測できなかったはずだよね。現地採用のコールセンターなんていう怪しげな求人に乗っかったからこそ、こうやって一緒に酒が飲めてるわけだし・・・」


「コールセンターで働く人をなんてバカにする人もいるけどさ。言いたいヤツには言わせとけば良いよ。面と向かって言われたらぶん殴っちゃうかもしれないけど。ギャハハッハ」


     ※     ※


 酔い覚ましの散歩でやナイトマーケットを見て回った二人は、再びクラビ川に戻ってきた。


「ほろ酔い気分の街歩きって最高~!」


缶ビールを片手に遊歩道の欄干で佇んでいると、心地よい川風が頬を撫ぜた。


「ベンチで少し休憩しようか・・・」


歩き疲れた二人は街路樹の影に腰を下ろした。


「・・・・・」


躍る心臓音が10センチの距離を共鳴する。


(ここでキメなきゃ男じゃないだろ・・・)


俺は、心のなかで気合を入れると、瞳を潤ませる彼女にそっと唇を重ねた。


「好きだよ、カズさん・・・。もう一回・・・」


いったん離れた唇がおもむろに近付いた。


溢れる涙と甘酸っぱい恋の味が口の中で交わった。


     ※     ※


「何かをやりたいと思ったら、うだうだと悩まずに即行動。ボルネオ島ってどんなところだろうなんて想像するまえに、チケットを予約し、ビザを取って、さっさと荷造りをする。なにかを実現させるなんていうのは、つまるところそういうことじゃないだろうか」


※引用:小説『ビーチ』アレックス・ガーランド(1999年アーティストハウス)

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