第4話 めばえ -Kazu side-
ペナン島での滞在を終えた俺たちは次の目的地であるクラビへと向かっていた。途中、タイ南部の商業都市ハジャイを経由して10時間の長旅だ。
ミニバスの最後列に押し込まれた二人は、後から乗ってきたサモア人風の大男のせいで窮屈な姿勢を強いられていた。
アジア人のデブとはケタ違いの巨漢が、倍の料金を支払わせてもまだ足りないほどのスペースを占有している。
密着状態のアヤカの眉間に濃いシワが浮かび、よもや隣でポテチでも食いだそうものなら間違いなくシンイチが登場する場面だ。
俺は「いつなんどきアヤカがブチ切れてしまわないか?」気が気ではなかった。
と、ここまでバンコクキッドシリーズにお付き合い頂いた読者なら、シャイな俺が「アヤカ」と呼び捨てにしていることに引っかかりを感じたのではないだろうか。
そう。実は、こうなったのもシンイチの一喝が原因だった。
※ ※
旅に出る前日。二人がクローサーンのアパートでくつろいでいると、アヤカがこんなことを言い出した。
「ねぇねぇカズさん。彼氏なんだから呼び捨てでもいいんだよ。いつまでもアヤカさんじゃ他人行儀でしょ?」
「お、おう・・・」
自分の顔が気恥ずかしさで赤面するのが分かった。
「ア、アヤ、アヤカ・・・」
「・・・・・・・」
「しっくりこないなぁ。やっぱこのままでいいよ・・・」
世間一般では、かなりの照れ屋さんグループに所属するオッサンが、たちどころに対応できるはずがない。俺は彼女の視線に耐えきれず、プレッシャーから逃げるように目を背けた。
その煮え切らない態度が酔ったシンイチの逆鱗に触れたのだ。
MtFの彼女は、普段から「ジェンダーの区別なんてない!」と主張するにも関わらず女々しい男を極端に嫌う。
「男らしくねーぞ!モジモジすんな!!」
この一件から、俺は半ば強制的に「アヤカ」を呼び捨てにしはじめたのだ。
傍からは彼女の尻に敷かれる惨めな男に映るかも知れない。
ところがである。いつからだろう・・・。
俺は、シンイチから浴びせられる叱責に謎の快感を覚えていた。
未知との遭遇。
不可解な「何か」の芽生え。
いや、断じて認めるわけにいかない。
これは一時の錯覚だ・・・。
今は、深淵に眠るポケモンが目覚めぬよう、必死でブレーキを踏むしかなかったのだ。
冗談はさておき、俺は瞬間湯沸かし器のごとくキレるアヤカの理不尽な一面すら愛おしくて仕方ないのである。
「恋は盲目」「あばたもえくぼ」といった言葉もあるが、それとは少しニュアンスが違う。二人の関係は深い深い愛のステージへと進んでいるような気がしていた。
※ ※
訳の分からぬ恋愛哲学に浸っている間にミニバスは国境ゲートに到着した。
往路パダンブサール駅の入国手続きで揉めたアヤカは、イミグレの職員を敵意むき出しに睨みつけている。
(シンイチ・・・。頼むから大人しくしておいてくれ)
「はぁ!?カズさんなんか言った!?」
戦闘モードの彼女の横で、俺は無事に国境を通過できるよう祈るばかりであった。
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