第48話 荒廃の大地、今はただふたりのままで

フラッシュカーゴで可能な限り目的地近くのポータルまで飛び、そこからは『純粋馬車』を使って金碧ラピスラズリの塔跡地まで行くことが決まった。


 自分の出番を奪われてチャンプは怒りを露わにしたけど、こればっかりは仕方がない。


 目的地までは灰に完全に覆われて、チャンプの心肺機能でさえ耐えられないという判断だ。


 純正魔法創造物アーティファクトの『純粋馬車』は、人間が心に抱く馬車の概念を抽出してクリスタルの中に閉じ込めたもので、必要に応じてクリスタルから取り出すことができる。概念の馬は灰を吸い込んでも何も起きない。死なない馬と壊れない車体のある馬車を使うしか今回の任務を果たすことはできない。


 俺もチャンプには死んでほしくなかった。


 馬車にはリリウムも同乗することになった。


 聖アレクシーヌの光典が本物かどうかを鑑定し、必要であればその場で魔法を行使するためだ。


 人類にはもう本当に時間が残されていない。


     *


 出発はあっさりと3日後に決まった。


 俺は後に残すものはチャンプしかいない。ほかは何も無い。世話になったかつての俺の雇い主はまだ生きているかもしれないから念のため遺書らしきものを書いておいた。


 死んだら俺の部屋の物は捨ててもらって構わない、ありがとうございました。せいぜいその程度だ。


 時間を惜しむように何度かリリウムと寝た。


 俺は彼女のことが好きなんだと思うけど、この期に及んで自信がなかった。


 リリウムが俺のことをどう思っているかはもっと自信がない。


 お互い、何かの埋め合わせをしているだけなのかもしれない。


 別にそれでも構わない。


 もうこんなことをする相手は、お互いしかいないのだから。


     *


 純粋馬車は青白く光る正体不明の魔法の力でできた馬車で、俺のイメージに合わせてある程度形を変えることができた。


 馬車を引く馬はチャンプと同じような姿の大きなものにして、御者台にはカプセルのような覆いをつけて灰を防ぐひさしにした。


 荷台というより客車にした車体には座ったり横になったりするスペースと、百の手の入った黒い箱をうまく運べる構造を作った。


 馬車というよりはワンボックスカーをイメージしたので、俺の知っている現代的なデザインが混じっていて何とも不思議な見た目になった。


 壮行会もなく、ごくわずかの事情を知る軍人だけに見送られ、もの寂しく出発した。


 厩舎の方から、チャンプの長い長いいななきが聞こえてきた。


 悪いな、お前は連れていけない。


 あと……もう会えなくなっても、お前だけは最後まで生きてくれ。


 生きられるだけで構わない。生きられるだけ生きてくれ。


 ルシウムがそう言い残したように。


     *


 驚いた。


 純粋馬車のスピードは、チャンプの引く馬車よりもさらに速い。


灰に覆われ道無き道になっている街道をさあっと駆け抜け、その疾走にもかかわらずほとんど揺れを感じない。感覚が違うせいで激突や横転の心配が出てくるが、そこは純正魔法創造物。物理的に横からぶつからない限りは慣性で倒れることはないらしい。


 俺はいつもの様に防毒マスクと灰合羽を身につけているが、カプセルつきの御者台は灰の侵入を防いでくれるからずいぶん楽だ。万が一、カプセルが壊れた時のためにマスクは手放せないけど一応マスク無しでも過ごせることはできる。


 いや、これは素晴らしい。


 俺は素直に驚いて、ここしばらくの闇の沼に沈んでいくような気分から多少抜けだした。


「イリエ、ずいぶん楽しそう」


 客車からリリウムの声がした。


「そうだな。平和な頃に、こんな風に走らせたらよかった」


「……こんな時代でも楽しんでもいいと思う」


「え?」


「どんなにひどくても、昨日も死んで、今日も死んで、明日も誰かが死んだとしても、楽しんだり笑ったらいけないなんて、そんなことはないと思う」


「そう……かな。俺には……」


「私は楽しいよ」


「そうなの?」


「はい。イリエとふたりだけでこうして走っているのは、少し……ほんの少しかもしれないけど、幸せだと思う。私はそう思ってる」


 俺は答える言葉を失って、灰合羽の襟を意味なく直した。


 俺を元気づけるためにそう言っているだけかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。


 もしリリウムが本心から言ってくれているのだとすれば嬉しい。そうであって欲しい。


 俺はやっぱり彼女のことを好きになっているんだと思う。


     *


 何事もない日々が3日ほど続いた。


 特別製の浄水装置は小型なのに強力な性能を発揮して、穢された川の水からでも冷たい浄化水をつくってくれる。自己発熱鍋で比較的まともな保存食パックを温め、ふたりで食べた。


 道は次第にとぎれとぎれになっている。


 明日にはおそらく舗装された道もただの地面も見分けの付かない広大な灰の平原に入るだろう。


 ここからが本当の、絶望的な生存不能領域だ。


     *


 翌日は雨が振り、足元がぬかるんで純粋馬車でさえ進むのに難儀した。


 御者台に覆いを作っていて本当に良かった。身を隠せるところのない場所で毒混じりの雨にふられたら気分は最悪だし、汚れを洗い流す手間もかかる。


 灰が降りだす以前の地図とコンパスを頼りに、俺達は死んだ大地を進んでいった。


     *


 ずいぶん昔に灰に飲まれた廃村に通りかかった。


 雪深い農村のように全てが灰に覆われて、朽ち果てている。


 半世紀――。


 長い時間だ。その間にこうして滅び去った場所はいくらでもあるのだろう。たぶん、集落のていをなしているところを探すほうが早い


 もう時間はない。


 食料の供給も人の行き来もできなくなり、護法軍の補給線も壊滅し、もう軍としての体裁を保つのも限界だ。


 あの旧アベリー市はどうなっているだろうか?


 あそこがグレイ=グーに襲われたら、死人の数は街の外の死体の山よりも増えるだろう。本当に、いよいよこの世の終わりが近づこうとしている。


 俺は――リリウムと俺はこうして絶滅の荒野を進み、ほんのわずかの希望のために命をかけている。


 誰も彼もが死に瀕している。


 誰も逃れられない、最後の絶滅の波が起こりつつある。


 俺達のやっていることは何なんだ?


 もし本当に聖アレクシーヌの光典を手に入れたとして、そのことが本当にこの状況を打開する糸口になるのか?


 ならな……いや、まだだ。


 まだ、実際にたどり着いてから判断すべきだ。そう考えるべきなんだ。


 今はただ、のしかかる重く湿った可能性から目をそらし、ひたすら馬車を駆るしかない。


 俺はこの世界にきてからずっとこうだ。御者をやってきて、ずっと御者であり続けてきた。


 俺は最初から最後までこうしていくしかない。


 生きられるだけ、生きてみせる。

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