第47話 諦めること諦めたその先に
大坑道防衛線に駆り出されて2週間が過ぎた。
護法軍大本営からだと遠い位置にあるけど、今回は馬車ではなく
魔法による短距離瞬間移動を何度も繰り返して飛ぶカーゴは、今の人類に残された最速の移動手段だ。
前回大坑道を襲った『フィーンドの女王』は当時大坑道内部の地下都市イレイカにいた高位魔法使いによって
グレイ=グーが恨みという感情を持っているかどうかわからないが、今回襲ってきたのもまた女王だった。
俺は本格的な襲撃が始まる前にリリウムと一緒に大坑道に着き、早速百の手を取り出し――いや、取り出せなかった。
百の手は一貫して原罪の有無を嗅ぎ分けて殺す殺人人形にすぎない。迂闊に黒の箱『禁断』から出せば坑道の中で虐殺が起きてしまうだろう。
やがて、蚊柱みたいに大量のフィーンドが襲ってきた。どう控えめに言っても絶望的な数だった。
俺は最前線まで上がり、正面から百の手を解放し、味方ではなくフィーンドをねらえと固く言い聞かせた。
どこまで理解したのかわからないけど百の手はフィーンドを殺しに殺した。
無数のフィーンド一匹一匹を、無数の伸びる球体関節の腕が捕まえ、握りつぶし、殴りつけて顔面を陥没させ、下あごを引きちぎり、四肢を無茶苦茶に捻じ曲げ、はらわたを引きずりだした。
化け物と殺人マシーンのすさまじい殺し合いだった。
大坑道の入口前は血の海と化した。比喩でなく、赤い波がひたひた足元まで押し寄せるほどだった。
到底直視できない残虐なものだったが、少なくともこの緒戦で味方の兵士は殺されることなく、むしろ百の手の間合いにうっかり入った兵士が鼓膜を破られる怪我を負ったくらいで済んだ。
ほぼ完封に近い撃退に、俺も、護法軍も、地下都市イレイカの民衆も胸をなでおろした。百の手強し。人類に勝機あり。そんな言葉さえ飛びかった。
もちろんそんなうまくいくはずがない。
フィーンドの女王は、一糸まとわぬ姿のまま血と肉のばらまかれた戦場跡を四つん這いではいまわり、フィーンドに血肉を直に口をつけてすすった。全身血まみれになりながら、あさましく貪った。土ごと、灰ごと口の中に入れてもまるで気にしない。
狂気の姿に護法軍は魔砲撃と機銃掃射を集中させ、血煙の中に女王は消えた。
生死不明のまま時間が流れ、6時間後に女王は血まみれの戦場から生えるように立ち上がった。
その腹は風船のように膨れ、妊娠している風に見えた。
次の瞬間青黒く膨れ上がった腹が内側から引き裂かれて、中から何匹ものフィーンドの子が虫のように撒き散らされた。
血肉をすすって、それを再利用したかのようだった。
グレイ=グーは死なない。
呪われた子供は素早く兵士たちを襲った。襲われた兵士はフィーンドになった。ねずみ算式にフィーンドは増え、俺と軍がいくら殺しまくってもまた同じように女王が腹に入れて産みなおす。
狂っていた。
防衛戦というなら、これは人間の正気を守るための戦いだ。
3日間の間におびただしい死体が生まれ、その死体からフィーンドが生まれた。
リリウムと軍、地下都市の魔法使いが協力してなお抑えきれなかった。
俺は心底疲れた。
ここまでぎりぎりの戦いを強いられるのか。
百の手でさえ最終的にグレイ=グーには勝てない。いや、誰がやっても同じことだ。
でも、そんなことはじめからわかっていたはずだ。
たぶん、もう手遅れなんだ。
*
まだいける、残された時間は多くないが、まだ反撃の余地はある、まだ大丈夫だ、これから全てをひっくり返す……。
地下都市の暗い部屋の中で目が覚めて、俺は夢の中で連呼されていた言葉が全部ウソだと再認識した。
ベッドサイドの循環砂時計と、俺の隣で眠っているリリウムの白い肩を見比べて、日の差さない空の下のことをもう少しだけ無視して微睡んだ。
リリウムを腕の中に抱きしめると、寝ぼけた声をつぶやいて額を擦りつけてきた。
彼女が俺と寝るようになったのは同情心からだと思う。
あいにく俺には比較できる経験がないから、推測しかできないけれど。
*
大坑道は人類に残された要のひとつで、世界最後の、本当に最後の油田と同じようなものだと考えて欲しい。陥落すれば燃料も石油製品も使えなくなる。
掘り出される秘石が手に入らなくなれば魔法の力が使えなくなり、まず代用食料の生産がストップすることで致命的な被害がおこるだろう。
もう時間の問題だ。
フィーンドの女王による侵攻は続き、とうとう坑道の入り口を完全に占拠された。
地下都市イレイカには逃げ場がない。裏口はすでに灰で埋もれていて、かき分けないと脱出は不可能。
あとは正面からグレイ=グーを押し返すか、主シャフトから飛び降りて自決するかのどちらかしかない。
もろく次々と死んでいく護法軍の中で俺だけが希望のような扱いを受けた。俺が、ではなく俺が主人になっている百の手が。
それは事実ではあったけど、同時にフィーンドの女王に太刀打ちできないことも歴然としていた。
悪いけどもう無理だ、諦めてくれ……。
俺は何度も音を上げそうになった。
でもその度にリリウムが隣で首を横に振って俺を止めた。
彼女もまた俺の逃げ場を封じてくる。
*
俺はそのスペースに誰を、あるいは何を載せればいいのかわからなかった。
リリウムは、どう考えたところで不公平になると判断し、誰も乗せなかった。
フラッシュカーゴが護法軍大本営に到着するまで2時間ほど。
その頃には大坑道の最終防衛ラインを割られ、地下都市は死都になるだろう。
どうしようもない。
リリウムはトゥルーメイジではないにせよ世界最高位の魔法使い。俺はこの世で唯一原罪を持つ人間。ふたりとも無駄死させるわけにはいかない。
俺達は護法軍大本営に戻った。カーゴが動き出す前に、頼むから俺も乗せてくれとすがりつく何人かの同胞を射殺しないといけなかったことを除けば、特に問題のない移動だった。
ポータルが消失したため、カーゴはもう二度と大坑道に行くことはできなくなった。
それも問題ない。
グレイ=グーに穢された場所だ。もう誰も用はない。
こうして人類最後の要、大坑道は灰に埋もれた。世界の生存可能領域は、この後一週間ほどで3割が削ぎ落とされた。
あと何週もつだろうか。
ああ、参ったな。あとはもう魔法の塔が潰れれば本当に終わりだ。
最後の魔法の塔。
本当に、最後のひとつになってしまった。
残りの人口は何人になっただろう。
毎日のように統計が書き換わるほど死んでいるはずだ。
負傷者もフィーンドも狂人もどのくらいいるのか。アッシュ・ラッシュに救いを求めて虚ろな死を迎える子供たち。
護法軍が戦力を失えば、秩序が崩壊した人達による暴動が起こり、じきに食料をめぐる略奪に発展するだろう。
秘石の供給が絶たれれば代用食料が作れなくなる。世界中で飢餓が起こるのは火を見るより明らかってやつだ。
人間の暮らしはもう戻らないかもしれない。
防毒マスクだけでいつまで保つのか。生命を繋ぐ方法はあるのか。子供に託す何かはあるのか。水も土も太陽も人類から奪われたままなのか。
世界に、先はあるのか。
わかっているだろう?
そんなものは初めから……。
*
「あるとすれば」
護法軍ニムボロゥ将軍が、何日も寝ていない目の下を揉みながら言った。
「もはや我々に残されているのは『聖アレクシーヌの光典』だけだろう」
聖アレクシーヌ。
2000年以上昔の女魔法使いの名前だ。生命魔法における極めて重大な貢献をした世界史上に名を残すトゥルーメイジとして列聖されたという。
この世界の聖人というのは、ほとんど神に近い。
トゥルーメイジというだけで恐れ多いほどの力を持つのに、聖人とされるのにはそれだけの理由があって、聖アレクシーヌは魔法の暴走によって出生率が限りなくゼロに近くなった時代を終わらせた救世主だとされている。
「そんな大昔の聖女様がなんだっていうんだ? それを俺に話すだけの意味があるんだろうな」
俺はぞんざいな態度でニムボロゥ相手に言い放った。もう礼儀をわきまえる余力がない。こうやってみんなますます消耗していくんだ。
「……半年前の空撮映像だ」
ニムボロゥが作戦室のテーブルに
「防毒隔壁?」
「違うわイリエ、ここはもう」
「そう、隔壁がまともに稼働し始める以前に生存不可能領域になった場所だ。
「ラピスラズリ……?
「そうだ。塔が崩壊したのはもうずいぶん昔だがね。だから何も残っていないはずだった。が」
ニムボロゥはひび割れた指先で巻物を小突いた。カツンと音がした。化石病、しかも切断では治らない全身播種型。指先が固まっている。
「この、灰が自分から避けているような場所。明らかに聖なる魔法の力が残っている。聖アレクシーヌの遺体とともに光典が隠されている可能性は……ある」
あってほしい、という響きだった。あるべきだという軋むような響きでもあった。
「それで? 大昔の聖女がなんだっていうんだ」
「聖アレクシーヌの光典には彼女が作り出した生命魔法の秘法が記されている。霊薬の製法もだ」
「つまり、人類を滅ぼしかねなかった大呪詛、それを消し去った聖アレクシーヌの秘法を使えば、少なくとも毒の灰を防ぐ方法にはなりうる。そう仰りたいのですか将軍?」
「いかにも。大姉リリウム、その秘法をあなたが明かすことができれば、あるいは」
作戦室が沈黙した。
無茶な話だ。仮定に仮定を重ねている。その聖アレクシーヌの光典とやらが金碧の塔の跡地に本当に存在するのか。その光典に生命魔法の秘法が本当に記されているのか。その秘法で、本当に人類を延命できるのか。
「この映像が確かだとして、ぎりぎりの状況になったから今さら持ちだしたなんてことだったら」
「無謀すぎる、と言いたいのだろう? お前の言いたいことは承知している、兄弟イリエ。この映像自体はある護法軍士官が命がけで空に上がり撮影したものだ。彼はその映像と引き換えに天まで登り切って死んだ」
「将軍、つまりあなたはこう言いたいのですか? 黒い箱を現地に持ち込んで、光典を持ち帰って来いと」
リリウムの言葉に俺はぎくりと肩を震わせた。黒い箱『禁断』は、もう俺の所有物になっている。
俺に行けと言っているのだ。
可能性は薄すぎる。
でもあえて人員を送り込むなら俺しかいない。
百の手なら灰の中でも自由に動ける。敵がいても問題ない――グレイ=グーを除けば。
その上で、百の手を入れた黒い箱に、代わりにその光典を入れて持ち帰る。たとえ俺が死んでもその箱が大本営まで近づきさえすれば、回収に人員を回すこともできるはずだ。ニムボロゥはそう考えているに違いない。
可能性は、あまりにも薄すぎる。
全力で否定すべき話だ。
同時に俺は頭からすっと血の気が引いていた。何かを諦めた時はいつもこうなる。
俺はこの件を引き受けるだろう。
もう断っていられる状況ではない。俺以外には誰がやっても無駄なことはわかる。
だから諦めた。
俺はもうあとには引けない。
逃げ道も、逃げ出す先ももうない。
だから諦めた。
俺がやるしかないんだ。
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