第40話 錆びた遊具は墓標に似ていた
幸い、強行軍の疲れや灰の毒にも負けずチャンプは元気だった。
何事も無くて本当によかった。
これでチャンプまで失っていたら、さすがにどうなっていたかわからない。
ただ、まともに食事を取れていない日が続いたので馬体重が落ちていて、もう少し調整が必要のようだ。
とにかく、本当に良かった。
俺はずいぶんとすさんでいる。
*
ホテルに戻ると手紙が届いていた。
従業員からそれを渡されて開いた俺は、比較的マシな服に着替えて慌てて客室を飛び出した。
文面には、自分がルシウムの妹であることと、姉の最後の様子を直接聞きたいという旨が書いてあった。
自筆ではなくウィジャ・ライターを使って書かれたものだったけど、この際どうでもいい。本人かどうか疑ってもキリがないし、今さら俺のことを騙すだけの価値があるとは思えない。
何でもいいから俺を単なる誠実な仕事をするだけの人間に戻してくれ。
これ以上、護法軍につきあっていられない。
*
指定された場所は公園だった。
見るからにつまらなそうなみすぼらしい遊具。しおれた雑草が好き勝手に生え、植え込みの木は半分以上立ち枯れている。まともに管理されているとは思えない。
護法軍大本営のあるこのニューステージ市にも人間の生活があって、軍人の家族や民間人の暮らす住まいがある。
住宅がある以上は子供もいて、子供たちが遊べる空間が必要だと誰かが考えて公園を作った。
言い訳だ。
生活面も考慮していますよ、というアピールのために作られただけだ。そして、もはやそれすら顧みられることがない。わかるだろう? 公園の世話なんてしていられる余裕は、護法軍にはない。
だから公園は無人だ。乳母車を押す母子の姿もないし、遊んでいる子供もいない。空は灰曇りで薄暗く、いつ雨が降ってくるのかわからず……。
改めて、本当に気が滅入る世界だ。
特に子供にとっては辛いだろう。俺がこんな環境で育ったら、とてもじゃないけど『世界の法と秩序を守る』なんて発想には行き着かない。守りたい世界だと思える自信がない。
それでも護法軍は守ろうとする。守ろうとする人間が集まっている。俺にはわからない感情だけど、それは詰まるところ俺がこの世界の出身ではないというところに収まるから、考えても仕方のないことだ。
彼女も――ルシウムも、世界と人々を守ろうとした人間だ。
化石病による左腕の切断。軍からの義手の提供。その恩を返すために身命を捧げる決意をした。俺が知るかぎり、彼女の動機はそれだ。
でもそれ以外のことはほとんど知らない。
俺が俺自身のことを曖昧にしか答えなかったのと同じように、彼女もそれほど多くのことを語らなかった。妹がいるという話も今わの際のギリギリのところで聞いた。
せめて彼女の遺言を守り、彼女の妹に全部話さないと。それまでは街を出て行くわけに行かない。
「イリエさん、ですね?」
現れた女は細身のシルエットで、長身で鍛えあげられたルシウムとはイメージが違う。妹も護法軍所属の軍人だと思い込んでいた俺は、一瞬混乱した。
「ええと、はい。俺がイリエです。その……なんて言えばいいのか。スミマセン、この度はご愁傷様で」
「まあそんな。かしこまらいで下さい。お話を聞かせていただきたいのは私の方ですから」
遠慮気味に笑うルシウムの妹の顔は、どこがどうとは言えないがよく似ていた。背の高い女軍人の姉と、育ちの良さそうなお嬢様というところだ。
美人だと思う。
ルシウムも灰の降らない場所でおとなしく内勤か何かをしていれば、こんな風になったのだろうか。
「ここで立ち話というのも何ですし、場所を変えましょう。ではこちらへ」
彼女は一礼して、そのままさっさと歩き出した。
ちょっと唖然として、俺はどうしようか迷ったが結局そのまま彼女の後に続いた。こっちの意見は初めから求めていないらしい。
そのあたりの押し付けがましさも、姉に似ているのかもしれない。
*
リリウムは左目を失明していた。
灰の毒で化石病にかかり、眼球が石に変わってしまったのだ。
石化が広がるのを防ぐために眼球ごと摘出し、かろうじて事なきを得た。姉のルーシィが左腕を失ったのと同じ時の話らしい。彼女は姉のことをルーシィと呼ぶ。彼女はリリィ。ルーシィとリリィ。
姉の左腕を切り落としたのは妹で、妹の目をえぐりだしたのは姉だったそうだ。
何というか……。
ものすごいドラマがあったのだろうということはわかる。どうしてもそうせざるを得ない状況に置かれたのだろう。それが具体的にどんなものだったか、俺はとてもじゃないけど詳しく聞き出す気になれなかった。
恐ろしいものを乗り越えて生きるのは大変だ。この世界に生きている者は多かれ少なかれ恐ろしいものを見ている。俺だってそれなりに。
まあ俺のことはどうでもいい。
リリウムは海賊船長のようなアイパッチを付けている。あの黒いやつ。ところどころに装飾が入っていて、女物っぽくなっている。
でもやっぱりいかつい雰囲気があって、若くて綺麗な女が付けているのは少し驚くし、目を引く。
ルックスのことなんて口にするべきことじゃないとはわかっているけど、一応感想をいうと白い肌と金髪とのコントラストが際立っていて、魅力的に見えた。眼帯のデザインのことを少し気にしているというのも、何というか、しばらく忘れていた感覚を刺激してくる。
彼女は女だった。
俺が男であるということ以上の意味で、彼女は女だった。
*
リリウムの自宅に招かれた俺は、できるだけ正確に、かつ言葉を選んでリリウムに姉の死に際を語った。
護法軍の取り調べで何度も繰り返し喋らされたので、そこそこうまく語れるようになってしまった。腹が立つ。
「姉らしい、最後だったと思います。あなたのお陰で任務を果たせたのですから、思い残すことありません。姉も、私も」
はかない。
はかなく笑って、リリウムは彼女のもとに届けられた遺品の義手に触れた。
リリウムは泣かなかったが、俺はダメだった。
こっちが慰められた。
何をやってるんだ、俺は。
*
「この後はどうなさるんですか、大兄イリエ?」
そう言われて、俺はリリウムが入れてくれたお茶を喉につまらせた。
大兄というのは護法軍組織内の尊称で、外部の人間に対しては使われない。居心地が悪くなった。もしかしてこの人、俺のことを軍人だと思っているのか?
「まだちょっと決めてないんですけど……一段落したらこの街を発とうかと」
「クリュミエリに?」
「いや、それもちょっと。どうするか決めかねてて。なにしろ遠いですから」
いま居る護法軍大本営から塔の麓の街に戻るのは、旧アベリー市を間に挟んで、何も問題なくても3週間以上はかかる。おそらくそれだけで命がけになるだろう。そして問題が起こらないはずがない。グレイ=グーによる新しい絶滅の波が、いつ大波に変わってもおかしくない状況だからだ。何の拍子に命を落とすか、いちいち想定するのも大変なほどだ。
「御者は……まだお続けに?」
「続けると思います。それ以外、できることもないんで。お情けで
「馬がお好きですか? あんな大きな陸王サイを魔法の助けもなしに手なづけたと聞いていますけど」
「なんか向いているみたいっスね、そういうのが。だからまあ、運び屋より
「軍馬の調教でしたら、ニューステージに残って軍に掛けあってみては? 私、そちらにつてがあります」
「えっと、まあ……どうしましょうか、ねぇ……?」
俺は少し戸惑った。妙にリリウムの食いつきがいい。状況として、姉を亡くした妹に遺言を伝えに来た雇われ御者という配置で、話の中心はどう考えてもリリウムだ。
俺がこの先どうするかなんてことをあれこれ聞いてくるのは、親切心からなのだろうと思う。でも第三者の俺の身の上を詳しく聞いてもしょうがないだろうに。
「いや、でもやっぱり護法軍に入るのはちょっと。いろいろと抵抗が」
情けない苦笑いが浮かんだ。
箱を届けるという任務をかわりに果たした俺を犯罪者扱いした連中のために働けるか、と口走りそうになったがルシウムはバリバリの軍人だったわけで、その肉親の前で護法軍のことをけなすのは行儀が悪いってやつだ。
「いえ、そういうわけにはいきません」
「え?」
「直接お話をして、やはり姉の判断は間違っていなかったと確信しました。本営に行きましょう」
リリウムはそう言ったきり、さっさとお茶やら何やらを片付けて外出用の上着を身につけた。
「さ、ついてきて下さい。私と一緒でしたら怪しまれることはありません」
なんだそれは。
リリウムはもう玄関を出て、俺が来るのを待っている。
なんだこれは。あの子、何を言ってるんだ? 何だこの強引さは。外見はいいとこのお嬢様って感じだが、この勝手に決めてこっちの話を一切考慮しない態度は本当にルシウムそっくりだ。
「イリエ、どうしました? 早く行きましょう」
いつの間にか俺がチンタラしてることにされている。
何なんだ。もうワケがわからない。
こういう時、俺が取る行動はひとつしかない。わかるだろう? 反論を諦めて彼女に従った。
どういうわけか、俺はこの姉妹に振り回されて、後戻りできないところに連れて行かれる運命にあるらしい。
たぶん、今回もそうなる。
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