終わりの終わり

第39話 トゥルーメイジ

 灰の降り方がいっそう強くなって、雨まで混ざってきた。


 俺は必要な準備を済ませ、相棒のチャンプの背にまたがった。馬車は壊れて使えない。頸木を外して直接乗るしかなかった。


 御者としてはそこそこだが、乗馬の腕はそうでもない。その上チャンプの背は普通の馬のそれとは違う。本来なら専用の鞍をつけないといけないのだがあいにくそこまでは用意していなかった。


 とにかく、乗った。


 必要な荷物はチャンプの体にロープで巻き付けた。


 ルシウムとラルコのなきがらは置いていくしかなかった。直接灰が触れない場所にふたりを安置するのが精一杯だった。


 馬車の残骸をいくつかふたりのそばに突き立てておいた。弔いになるのかわからないが、万が一後で誰かが回収するときには目印くらいにはなるだろう。


 そこまでひとりでやって、ヘトヘトに疲れて、護法軍の備品の覚醒霊薬を奥歯で噛み潰し、俺はチャンプを走らせた。


 防毒マスクのバイザーに灰混じりの雨が落ちて、黒いひと筋が伝った。


     *


 かつての東エーア=メシオン連合王国領内、極光都市ニューステージ。


 昔――といっても千年近く昔に縞瑪瑙オニクスの塔が建立され、栄華を誇っていた都市だという。


 それから時代を下って大きな戦争が起きて塔が失われ、さらに半世紀前から灰が降り始めると、極めて甚大な被害を受けそれまでの人口の八割が死ぬか逃散した。


 いまはバリケードと見張り台と浄化鉄芯入り掩蔽壕が立ち並び、あらゆる魔法を駆使した防御装置が至るところに準備されたひとつの要塞になっている。


 ちょっと被害妄想気味な念の入れようだ。


 やりすぎだろう、とは思わなかった。


 グレイ=グーや狂人兵団のことを考えると、どれだけ防備を固めてもなお不安は残る。


 護法軍の旗が掲げられ、同じ紋の入った腕章をつけた護法軍の兵士に明確な警戒感を抱かれながら、俺はチャンプの判断に任せて護法軍大本営南通用門の前まで辿り着き、その場で失神した。


     *


 3日間眠らずに馬を走らせ、水と覚醒霊薬以外を口にしないとこうなるらしい。


 気をつけた方がいい。


     *


 医務室で一般医に診られていた俺はベッドから跳ね起きて早々にバケツだかゴミ箱だかをかっさらって思い切り吐いた。


 泡っぽい胃液しか出てこなかった。


「何をやってるの、いきなり動いたらいけませんよ」


 一般医は中年女で、俺を押さえつけるようにしてベッドに沈み込ませた。


 魔法医とは異なり、回復魔法以外で治療を施すのが一般医だ。つまり深刻な病気や怪我は負っていないことになる。


「ここ、どこですか」


 多少落ち着いた俺は霊薬の点滴を受けながら尋ねた。


「本営の医務室です。あなた、どういう状況だったか覚えている? 気を失ってあの大きな……」


「陸王サイ」


「そう、その背中から落ちて。大変だったんですよ」


「あいつ、どうなったんです?」


「あの大きいの? さあ、私はよく知りませんけど、たぶん厩舎に連れて行かれて防疫処置を受けているんじゃないかしら」


 それもそうだろう、と俺は深々息を吐きだした。


 あいつが荷物を運んで走りだして、何日になるだろう。


 陸王サイ自身がいくら灰に強くても、体に貼り付いた毒の成分を持ち込まれたら周りの命にかかわる。


「あなたもずいぶん灰で汚れていたけれど、毒の影響はそれほど心配しなくてもいいわ。それよりも過労ね。まあ、しばらくしたら元気になるわよ」


 だからじっとしていなさいね、と言い残して女医は部屋から出て行った。


 静かになって、俺は鈍った頭で考えた。


 これからが問題だ。俺はルシウムのことと、ルシウムの遺言のことを話さないといけない。そうでないと何のためにこんな所まで来たのかわからない。


 でも、いったい誰に何を話せばいいんだ?


 鈍った頭が完全に動きを止め、俺は眠りに引きずり込まれた。


     *


 冗談だろう?


 俺は護法軍から正式な依頼を受けて、契約書に掌紋パームまで残したんだ。


 身も心もすり減らして、あんな……あんなものまで見せられてまで箱を届けたのに。


 俺は取り調べを受けていた。


 尋問だ。


 犯罪者扱いされた。


 それも重大な犯罪、護法軍に対する妨害行為と士官殺害の罪に問われたんだ。


 信じられなかった。


 あまりに腹が立つので、実際に何をされたり言われたりしたか、わざわざ並べ立てるのはやめておく。


 とにかく俺は怒っていた。もう、護法軍のことなんか知るか。


 勝手に滅びてろ、クソ軍人どもが。


     *


「出ろ、『釈放』だ」


 たぶん俺より若い青っちょろい兵士にそう言われ、俺は跳びかかって鼻を陥没させてやりたい衝動を抑えた。


 牢屋よりはマシな部屋に軟禁状態になって3日あまり。


 暴力や拷問こそ受けなかったが、俺の護法軍へのイメージは一変していた。


 法と秩序を守り、悪を滅ぼす軍事組織。


 つまり、俺はこいつらから見て法も秩序もない悪人だとみなされたと言ってもいい。


 そんな連中のためにラルコやルシウムの死を間近に見なければいけなかったのか?


 でも……。


 それでも耐えたのは、ルシウムの妹に形見を渡さないといけないという、その一点だけは譲れなかったからだ。


 受け入れて流されてここまで来た。いろんなことはもう諦めがついている。それ以上は何も望まない。でもこれだけはだめだ。受け入れられない。


 俺はひょろ長い兵士に促されるまま、別室に連れて行かれた。


 軍の高級士官でも待っているのだろう。誰でもいい、こっちの主張は絶対に通してもらう。


 ルシウムの妹に合わせろと……。


 妹?


 そこまで考えて、俺はじわっと冷や汗をかいた。


 妹ってなんて名前だ?


 ルシウムは妹とだけしか言っていない。詳しく聞いている暇もなかった。


 今の今まで妹だけで通じると思っていた。


 でも、名前も知らないのに妹に合わせろとだけ言って、どうやって信用されるんだ?


「その部屋だ、入れ」


 俺の目の前には、明らかに頑丈そうな両開きの扉があり、数秒のためらいの後、取っ手に手をかけた。


     *

 

 ゆったりとしたローブに変わった形のフード。顔の前にたらされた薄手の布のせいで何者なのか全くわからない。


「始めに言っておくが、このお方は現在この世界で最も位の高い魔法使いだ。くれぐれも妙な考えを起こさぬよう気をつけよ」


 俺から見て左側の席に座る男はそう言って俺に睨みを効かせ、それから『魔法使い』の方に目配せした。


 どいつもこいつも名乗りもしない。


 無精髭に白いものが混じる男からは、絶対に逆らえない威圧感が発散されて、ほとんど物理的に顔の半分がひりひりするようだった。


 軍服と腕章を見るに、指揮官とか将軍とか、そういう高い地位にある軍人だというのはひと目で分かった。大本営の将軍。もしかしたら護法軍そのもののトップかもしれない。顔も名前も知らないから特定のしようもないが。


 まあこの将軍サマが誰であっても構わない。


 問題は正面に座っている『魔法使い』だ。


 現在この世界で最も位の高い魔法使い。そう紹介された。


 最も位の高い魔法使い、それも現在の世界で最高位と言えば真名を授かりし導師トゥルーメイジのことだ。


 トゥルーメイジ。


 トゥルーメイジだって?


 魔法使いの最高位どころじゃない。この世界全てのうちで最重要人物じゃないか。


 地球で言えば、アメリカ大統領やローマ法王がいきなり面接するみたいなものだ。そんな人物に目の前に座らされたらどうする? 俺の心臓がどんなことになっているか想像つくだろう?


 県知事に表彰された時だって上がっていた俺に、この状況は厳しい。


「君に直接尋ねたいことがあるそうだ。別に危害を加えるつもりはない。偽りなく答えればそれでいい」


「……はい」


「では例のものを」


 将軍の合図で護法軍の士官が布を巻かれたものを持ってきて、テーブルの上で広げた。


 生々しい傷跡の残る戦闘用義手。ルシウムの形見だ。


 それは彼女の妹に直接渡すように遺言されたものだと俺は強く言って、席を蹴るようにして立ち上がった。


 次の瞬間には取り押さえられた。


「……遺言とは誰の遺言だ?」


「何回おんなじこと言わせるんだ! ルシウム! ルシウムだよ! あんたたち護法軍の一員の!」


「本当に、偽りはないな?」


「知るか! 何回同じ質問して……同じこと聞くなら、こんな、こんなとこ、わざわざ連れてくるな!」


 俺は興奮しすぎてわめき散らしていた。たいていのことは飲み込めるはずだけど、この時は無理だった。


 将軍はトゥルーメイジに何かを確認し、トゥルーメイジは一言も発さないままうなずいて、どこか別室に出て行った。


 テーブルを見るとすでに義手は持ち帰られ、何も残っていなかった。


 俺の手元には何も残っていなかった。


 ルシウムやラルコの、生きていた証も死んだことの証も、何も残っていなかった。何も。

 

 ようやく俺は解放され、城塞都市となったニューステージの片隅にあるホテルの一室をあてがわれた。


 もしかするとまだ見張りがついているかもしれない――という疑いはあったけど、気配を察知できなければ同じことだ。


 何なんだ、この扱いは……。


 なんでこんなことになる?


 俺はもう全部投げ出して、ベッドに入ってひたすら眠ろうとした。


 もうどうでもいい。


 チャンプを休ませたらここを出ていこう。保身のために護法軍で働こうと思ったこともあったけど、やめだ。


 ここだろうとどこだろうと、どうせ死ぬんだ。灰から逃げられないならどこにいても同じだ。


 ちくしょう、もういい。


 こんなところ……。

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