第38話 君の声が聞こえない
青白無表情の
何かを要求しているのか、ただの殺意なのか、目的があるかどうかすらわからない。意思疎通が全くできないというのは、人間大の昆虫のようで恐ろしく気持ちが悪い。
それに、青ハゲが何をしでかすかわからないように、俺たち――つまりまともな人間が喋る言葉も向こうには何ひとつ通じないはずだ。
交渉不可。
目的不明。
魔法使いの助けがなければ、捕縛して尋問しても何ひとつ情報を引き出せないだろう。
つまり、虫の複眼のような目つきの青ハゲをどうすればいいかというと、答えはひとつしかない。わかるだろう? 暴力で始末する以外ないんだ。
それなのに、くそっ、なんでこんなことになっている。
戦闘においても有能な軍人であるルシウムは、馬車の転倒で流血している上に敵の攻撃で鎖骨を折られ、右腕が使えない。
さらに太ももを、毒の灰を固めて作った槍で深々と突き刺されている。
見る間に血が広がり、ひとすじ、ふたすじと赤い流れが地面にこぼれていく。
とにかく何とかしないといけない。
俺は灰合羽の内側で冷たい汗をかきながら武器になりそうなものを探した。素手ではどうにもならないし、槍を持った相手ならこっちも長い棒を使わなくてはいけない……。
そんな俺の焦りをよそに、ルシウムはひと呼吸の間に一気に動いた。
左の義手で槍をへし折り、仕込まれた伸縮ギミックで青ハゲのすねに手刀を叩き込んだ。肉が削げてよろめいたところに、まだ無事な方の足で側頭部を蹴った。
顔色の悪い
「すげ……」
俺は思わず動きを止めてつぶやいていた。
「イリエ、イリエ!」
マスクの中で呆然なっていた俺を叱りつけるようにルシウムが怒鳴った。
「足が動かん! 銃を拾ってそいつを撃て!」
ルシウムの額の出血は止まらず、防毒マスクは半分くらい赤く染まっている。マスクの中にも流れ込んでいるなら、視界の半分はふさがっているはずだ。
やるしかない。
自分ひとりの意志だけだとたぶん足がすくんだまま動けなかったと思う。
だけどルシウムの命令には意味があって、そうするだけの理由があると、今では信じられる。
だから感情のスイッチを切って、俺は人間ではなく一個の装置になった――と思う。
でも……。
いつもそうなんだ。俺はまたやってしまった。
灰合羽の中に俺は護身用の拳銃を吊るしていて、こういう時にすぐ取り出して使えばよかったんだ。
それなのに、肝心なときにはいつもその存在を忘れてしまう。
この時も、まったくそのことを頭に思い浮かべず、あさっての方向に吹っ飛んでいたルシウムの拳銃を拾ってそこから一周りして青ハゲを撃とうとした。
引き金を引くことに躊躇はなかったはずだ。
生き物を撃ち殺すことへの恐怖は、ルシウムの大怪我よりずっと優先順位が低い問題だと、この瞬間には思っていたはずだ。
でも本格的な訓練を受けていない俺の腕前では、離れた目標には当てられない。とにかく絶対にはずさない位置まで駆け寄ってそこから問答無用で引き金を引く。
その意味で、俺の取った行動は間違っていなかった。
混凝術士の幽霊みたいな顔面は対フィーンド用炸霊薬弾で消えてなくなるはずだった。
実際にはそれより早く混凝術士の作り出した『腕』が降り積もった灰の山から伸び上がり、ルシウムの防毒マスクをむしりとった。
*
火薬ではなく、念動魔法による力場で射出するこの世界の銃は独特の発砲音がする。
俺は計6発を撃ちこんだ。命中したのは2発だけだった。
軍用拳銃の威力は確かで、青ざめた混凝術士は腹と喉元に大穴を開けられて死んだ。
だが、ルシウムはもう手遅れだった。
外気に顔を晒されたまま『腕』に振り回され、彼女は灰溜まりに落とされた。
舞い上がった灰はむき出しの顔に降りかかった。
もし俺が、懐から自分の銃をすぐに取り出していれば……。
もう遅い。
事実はひとつだ。
俺には無理だった。
俺には救うことはできなかった。
ルシウムは死んだ。
知り合ってから二ヶ月も経っていなかった。
*
少し記憶は曖昧になる。
すでに唇の端から血の泡が流れつつあるルシウムに俺は何かをわめいていたはずだが何を言ったのか覚えていない。
「黙りなさい。聞け。聞けイリエ!」
左の義手で胸ぐらを掴まれた。俺の耳は、仰向けになった彼女の口から1センチの距離まで引き寄せられた。
「こんな事になってしまったが、頼む。荷物は最後まで運んでくれ。必ずだ。私とラルコのなきがらはここに捨てていって構わない」
「そんなこと言ってる場合じゃ……!」
「だまりなさい……しゃべらず、ききなさい」
気道に血が絡む音がして、ルシウムの声は聞き取りにくくなった。
なきがらなんて、アンタまさか本当に死ぬつもりかよ?
「あの箱は護法ぐんにとって、ひつようなものだ……少なくともわたしの命いじょうのかちはある。いい、な? 必ず、とどけてくれ」
俺はわけも分からずとにかくうなずいた。
「すまない。君はなかなかおもしろい男だった、もう少し身の上話でもしておけば……よかったと。いまさら、そう、思う、よ」
「俺は……!」
何かを言いかけて、唇を噛み締めた。だめだ。どう考えても説明しきれる身の上じゃない。
その時ルシウムは限界を超えて咳き込み、血を吐いた。崩れた肺の一部が混じっていた。
「私には妹がいる……軍の部下という意味じゃない。肉親だよ、たったひとりの肉親」
声の中にヒューヒューと空気のこすれる音が混じっているが、なぜかきちんと意味が伝わってきた。
「護法軍の本部にいる。つまり、目的地にだ。楽しみにしていたが、残念ながらもう会えない。すまないと伝えてくれ」
「待ってくれよ、待てって、オイ、このまま死ぬつもりかよ? 俺は」
「まあ聞け。妹は……少し……特殊な立場にいる。会えないかもしれない。だから、私の義手を形見として持って行ってくれ。そうすれば直に会えると思う」
ルシウムは少し笑い、少し血を吐いた。
「いいな、かならずだ。箱と、腕。このふたつを君に託す。そして妹を頼む」
「おい、俺にどうしろっていうんだよ? 直接何を話せばいいってんだ?」
「遺言だよイリエ。ゆい、ごん、だ。君から見た私のこと、私が何をして、どんなふうに死んだか。全部だ。見聞きしたことをそのまま伝えてくれ」
勘弁してくれよ。
俺は誰からも何も遺されたくなんかないんだ。何人死んだと思っている? 一緒にこの世界に飛ばされた俺以外の全員が死んだんだぞ。死んだあいつらのことを背負っていたら、俺なんかすぐに潰れてしまう。
遺言なんて託さないでくれ。俺はそんなものを背負える人間じゃないんだ……。
「ああ、そろそろ……限界だな」
俺のくだらない困惑を、ルシウムの妙に清々しい声が遮った。口と鼻から血が溢れ、まったく止まらない。
「すまないなイリエ。どうもおかしな風に巻き込んでしまった。こんな世の中だが、君は誠実だったよ。私の名誉にかけて保証しよう」
「そんなの……嬉しくないッスよ。そんなの、そんなこと言われても……」
「まあ聞け。『誠実であれ。寛大であれ。悪は根絶やしにせよ』。護法軍の3つの使命だ。ひとつでも当てはまるならば軍に入る……資格がある」
褒めているつもりだよ、とルシウムはうわ言のように言った。血が。血が流れて。
とうとう血涙までこぼれ落ち、目はまったく見えていない。
俺も泣いていた。こういうとき防毒マスクは本当に邪魔だ。
「では、ここまでだ。化石病で腕を失い、最後は血を吐いて死ぬが、フィーンドにならずにすんだ。こう、うん、だとおもう……」
「ルシウム……おい、こんなところで……」
「悪いなイリエ。君は……生きられるだけ、生きて……くれ」
ルシウムの血が止まった。
もう十分だと、彼女の魂が判断したらしい。
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