第37話 コンクリートリバー

 混凝術士ベトンキャスターと自らを称する彼らの起源は元人間の魔法使いたちで、灰に取り憑かれたフィーンドに近い。


 灰の毒を吸い込んで肉体が作り替えられるのがフィーンドで、本人が全く望まない化け物に貶められた存在なら、混凝術士ベトンキャスターは本人が自ら望んで化け物への道を進んだ外道だ。


 灰から抽出した地獄由来の成分を使って霊薬を作る。


 そこに肉体と精神と魂をどっぷり漬け込む。


 そうすることで人間をやめることができる。


 人間やめて何が嬉しいのかというと、やめる特典がある。


 そこらじゅうに降り積もっている灰から魔法の力を引き出すことができるようになるからだ。


 普通の魔法使いなら、神の宝石であるところの秘石から力を借りる。でも混凝術士は秘石を持っていなくてもパワー不足にならない。早い話が魔法の無駄遣いができるってわけだ。


 もうひとつは、うらやましいことにマスクなしでも平気になる。灰の毒を吸っても体組織が変化しないようになる。人間なら死ぬ環境でも、人間ではないから死なない。


 ある意味、灰の降るこの世界に適応した姿と言えなくもない。


 灰に魂を売り渡した全人類に対する裏切り者ではあるんだけど、動くものの何も無い見渡すかぎりの灰の平原で思い切り深呼吸する気分はどんなものだろうと、そんなことを考えてしまう。水墨画の中にいるみたいな、侘び寂びの美しさがあるじゃないかな。


 代償として人間をやめるだけの価値があるかどうか、やめてみないとわからないのが残念なところだ。


 人間をやめると、人間だった時の特典は逆になくなる。そのくらいのペナルティはあってもらわないと困るけど。


 具体的には言葉だ。


 この世界は元々、神の祝福で誰もが言葉を超えて意志を通じ合える。それは灰に覆われて死にかかった今でも有効で、異世界からやってきた俺にさえ有効だ。


 混凝術士はそれを失う。


 死ぬまで意思疎通ができなくなる。誰とも何を話しても通じない。混凝術士同士でさえダメらしい。


 文字もだ。書いても伝わらないから筆談もできない。それどころか完全な文盲になる。つまり本も読めない。絵本のふりがなも読めない。護法軍が捕縛した混凝術士を生きたまま開頭して『検証』した結果、自分の書いた文字さえ読めなかったらしい。


 イラストはどうだろう? 絵もダメなんだろうか。そこまではわからない。


 ともあれ人間をやめると二度と誰かと言葉を通じさせることはできなくなる。


 そこまでして魔法使い放題、灰の中でも呼吸できる体になるのがいいのか悪いのかは俺にはわからない。本人の倫理観次第だろう。


 彼らがそうやって手に入れた力は、ただ本人の欲望のために使われる。もう誰とも分かり合えないのだから、ひとりで好き勝手やるしかないとも言える。


 例外がひとつ。


 混凝術士はもう人間じゃない。灰の向こう側にいる存在だ。だから、灰の向こう側にいるグレイ=グーとだけは何かを通じさせることができる。


 何かって?


 人間を裏切ってグレイ=グーに擦り寄った混凝術士は、グレイ=グーから何かを受け取って、それに従っているのだという。


 要するに悪魔の手先ってやつだ。


 俺たちの馬車を襲ったのはその悪魔の手先だった。


     *


 最悪の状況だった。


 俺ひとりがふっとばされて地面に落ちたくらいなら我慢すればいいだけの話だ。


 でも壊れた馬車は簡単に直せない状態だった。


 車軸が折れ曲がっていては、横転した状態から起こしても当然走ることはできない。せっかく目的地まであと数日の所まで来ておいて、これだ。


 車体に激突したのは生コンクリートの塊のようなものだったらしい。


 街道から外れた小高い灰の丘から、ボロ布をローブみたいに被った青白い顔の男がこっちを見下ろしていた。


 遠目にも普通の人間じゃないことはわかった。


 体毛らしきものが一本もなくて、髪も眉もない禿頭だ。もしかするとまつ毛も下の毛もないんじゃないか? 剃っているわけではなく、全部抜け落ちてしまったという印象で、たぶんそれは合っている。


 混凝術士ベトンキャスターという存在がどういうものか、この時点の俺には知識がなかった。


 だからてっきりグレイ=グーに襲われたんだと思っていた。さもなければちょっと変わり種のフィーンドかと。


 どちらにしても俺ひとりの手に負える相手じゃないことはわかった。


 そうだ、ルシウム。


 無人の街道の只中で、ラルコが死んだいま頼れるのはルシウムただひとりだ。


 まだしびれの残る身体を強引に動かし、密閉式の荷台に乗っていたルシウムの姿を目で追った。完全に不意を突かれた攻撃。横転した馬車。その中にいた彼女……。


 それでも戦闘用義手をつけたあの女軍人なら、とっさにうまく脱出できたに違いない。


 そんな期待があった。


 が、それは過剰な思い込みってやつだ。


 いくら訓練された護法軍の士官であっても、アクシデントに100%反応できるわけじゃない。


 ずっしりと重い生コンの塊の衝撃を受けた馬車の中で、目一杯シェイクされたんだ。怪我のひとつも負っていて当然……。


 大きく歪んだ荷台の後部扉をぶち破って這い出して来たルシウムは血まみれだった。


 左の額あたりから大量に出血して、二の腕くらいまで赤く染まっている。血が目に入って片目しか見えていないらしい。


「イリエ、どうなっている! どこにいる! 何が起こった!」


 矢継ぎ早に怒声を発するルシウムに、俺は少し安心した。出血くらいなら何とかしてくれるはずだ。


「あっちの方! フィーンドみたいな連中が」


「何!」


 俺が示した方を向き、青白い禿頭の男を確認し、ルシウムはすぐさま懐の大型軍用拳銃を抜いてひと呼吸も躊躇せず引き金を引いた。


 念動魔法による圧縮された力場で弾丸を弾き飛ばすこの世界の銃は火薬式のものと比べると反動が少ない。


 だからごつい軍用拳銃でも片手で扱える。そうやって撃ちつつ懐に飛び込んで左手の戦闘用義手で相手の顔面を叩き潰すのが彼女の得意な戦法だ。


 でも今回はうまくいかなかった。


 まず、最初に撃った弾丸は、禿頭の足元からせり上がった分厚い灰の壁に阻まれて目的まで届かなかった。


 混凝術士ベトンキャスターは灰を操る。水と土と灰を混ぜた生コンクリートを作り出し、それを壁にしたり投げつけてぶつけたりできる。


 軍用拳銃の威力が並大抵なものでないのは俺も知っている。それでもずっしりした壁にぶつかってから標的を撃ち抜けるほどの威力はない。


 どうすることもできず見守る俺の前で、病的な青白さの混凝術士は毒混じりの生コンクリートを爆発させ、散弾のように撒き散らした。


 握りこぶしほどの塊が俺の方にも飛んできて、咄嗟に顔を覆ったが脇腹に一発めり込んだ。


 息が詰まって空気が肺の中に入ってこない。


 でも俺のことはどうでもいい。


 問題はルシウムで、散弾をまともに浴びた彼女の身体は吹っ飛んで、くの字に体を曲げて舗装された街道の上に投げ出されていた。


 ルシウムはこの時点で右の鎖骨と肋骨を骨折し、右腕が動かせなくなった。拳銃が楽に撃てる筋力の持ち主とはいえ、鎖骨が折れたら腕自体をまともに動かせない。


 俺は脇腹の痛みをこらえて彼女の名を大声で呼んだ。


 ルシウムなしにこの状況を切り抜けるなんて無理だ。


 だがそこに混凝術士が無表情のまま近寄ってきた。その手には灰色の棒を持っている。毒コンクリートでできた槍だった。


 昔何かで聞いたことがある。生コンクリートは強いアルカリ性で、肌に直接触れるとやけどのように皮膚が溶けてしまうと。


 ましてや、毒の灰を混ぜ込んだ魔法の生コンだ。


 そんなものを、皮膚どころか身体に突き刺されたらどうなるか。どうなると思う?


 ルシウムは左の戦闘用義手で穂先を払おうとしたが間に合わなかった。いつもならできたはずの、あとわずかの距離を詰められず空振りした。


 悲鳴が上がった。


 毒槍が、ルシウムの太ももに深々と突き立てられていた。

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