第41話 星霜を経て
リリウムもまた護法軍に所属している人間だった。
彼女は魔法使いで、前線に出る戦闘要員ではなく軍需品にかかわる仕事をしているらしい。
防毒マスク用の浄化霊薬の生産とか、念動射出式の銃や弾丸、治療用の霊薬、魔法刻印素材、合成食料。そういったもの全般を、魔法の力で生み出すのが
ルシウムは自分には魔法の才能がって、魔法式義手の扱いが上手かったから護法軍にスカウトされた――と言っていた。
妹のリリウムも同じく才能があり、彼女のほうがより顕著だったそうだ。幼い時分に修行僧になって、以来ずっと魔法使いとして生き、護法軍として姉とともに『敵』と戦ってきたというわけだ。
そんなわけで、俺は今朝起きた時点では二度と入るものかと思っていたはずの大本営に逆戻りしていた。
まあ……なんと言えばいいのか、釈然としないけど、別に構わないと思った。
どうせ行き場もなかったんだ。リリウムに従うのも、ひとりであてもなく旅するのも、どっちだっていい。自分の居場所を探すのに苦労するのはどこに向かっても同じだろう。
とりあえず、リリウムがどこまで話をつけてくれるのか、それ次第だ。
それを見てから決めたって遅くはない。
*
遅かった。
まさか、まさかこんなことになるなんて。
信じられないことを知らされて、信じられないことをしなければならなくなった。
なんでこんな大事なことを言い残さなかったんだ、ルシウムは……。
*
リリウムが誰か係の人間と話している間、俺は別室に通されてぼんやりと椅子に座っていた。
何もない部屋だ。飾り気もないし、雑誌も置いていない。耳鼻科の待合室以下だ。雑誌なんてこの世界ではもうずいぶん前から刊行されなくなっているが。
「イリエ様、こちらへお越しください」
女士官に一礼されて、俺はまた別の部屋に案内された。
昨日まで尋問の対象だったはずの俺が、うって変わってこの扱い。いったい何がどうなっているんだ? 腹が立つより不思議だった。不自然といったほうがいいかもしれない。
リリウムが話を通してくれたからだろうか。だとしたら、姉妹揃って軍内での地位はずいぶん高いに違いない。
「えっ、ここ?」
俺は思わず声に出してしまった。
「はい。こちらのお部屋です」
真面目な顔の女士官は、表情を変えずに答えた。俺が案内されたのは、昨日と同じ部屋だった。つまり、トゥルーメイジと将軍らしき男に引き合わされた部屋だ。
まるで昨日の繰り返しのように、そのトゥルーメイジと将軍が入ってきて、俺はわけが分からず立ち尽くした。
「座りたまえ」
そう言って俺を見る将軍の眉間には、切れ目を入れたみたいに深くしわが寄せられている。苦虫を噛み潰したような、という慣用句はこういうことをいうのだろう。なぜかわからないが今にも怒鳴りつけてきそうな雰囲気だ。
俺が何かやったか?
いや、昨日の今日で何も変わっていない。
洗いざらい全部話したし、渡すべきものは全部渡している。いまさらこの場に呼び戻されるいわれはないはずだ。
俺はただ目の前に座るリリウムに言われるままこの場についてきただけだ。
「あの、リリウム……これはいったいどういう」
最後まで言い切る前に、背筋が凍った。
左手側に将軍が。
正面にトゥルーメイジがいて。
でも正面にいるのは、顔のヴェールを取った眼帯姿のリリウムだ。
つまり……。
リリウムがトゥルーメイジ?
なんだそれは。
なんだそれは?
*
ニムボロゥ総司令は本当に護法軍の最高指揮官だった。
つまり俺は二日続けてこの世界最後の軍隊の将軍と面会したことになる。
50手前の恐ろしく目付きの鋭い男は、いま世界を襲うグレイ=グーの脅威に対応しなければならない重責を担っている。
あんまり卑屈になるのもよくないけど、俺みたいな特にどうということのない運び屋相手に直接話しをしている余裕はそれほどないはずだ。
ニムボロゥもそう思っているようで、こんなことに付き合っている場合ではない、という態度を隠そうともしていない。
一方のリリウムはというと、俺と話をしていたときと特に変わったところはないようだった。残された右目で穏やかに俺の方を見ている。
トゥルーメイジという肩書のデカさに彼女に対する俺のイメージが上書きされてしまって、神々しく感じられた。
「イリエといったな。いまから君に話すことは極めて重要な機密事項だ。その上でいくつかの『提案』をさせてもらう」
「……提案、ですか?」
「そうだ」
将軍はそう答えたが、俺には拒否不可能の命令を下すと言っているようにしか思えない。
「本来であれば契約で厳重に縛るべきだが手間を省かせてもらう」
「と、言うと……?」
「機密事項を知った時点で君の自由は制限される。軍の許可無く逃げた場合は即時死刑を執行する。そのつもりで聞くように」
「あの、聞きたくないって言ったら……」
「君には自由がある。話を聞くもよし、聞かずに出て行くもよし。ただし君はすでに機密事項を知ってしまった」
ニムボロゥ将軍は腕組みしつつリリウムの――トゥルーメイジのことをちらりと見た。
「あえて何とは言わないが、君がこの部屋で見聞きしたことを漏らされるのは都合が良くないということだ」
「それって、もう提案を飲むしかないってことじゃ……」
「自由があると言っている。好きにしたまえ。我々はそれに対応するだけだ」
つまり、拒否する自由はないってことか。
リリウムに助けを求めようと一瞬思ったが、やめた。この状況にはおそらく彼女も関わっている。間に入ろうともしないということは、もしかすると彼女自身がこの席をセッティングしたのかもしれない。
でも、何でだ?
「では本題に入ろう」
低く、重く、ニムボロゥは体を前のめりにして切り出した。
*
リリウムには魔法の素質があり、魔法使いになった。さらなる修行の結果、その素質はものすごいものであることがわかった。
紆余曲折を経て、いまでは護法軍の
トゥルーメイジが顔も名前も人数も明かされていない理由がわかった。
何となくもっと神々しい人間離れしたイメージを持っていたけど、リリウムは見た目だけでは魔法使いであるかどうかさえ区別がつかない。ごく普通の人間にしか見えない。
例えば暴漢がいきなり現れて銃撃したら、たぶん普通に殺されるだろう。身柄を拘束できるなら、誘拐されてクソみたいな目的に魔法を使うように強要されるかもしれない。
だから徹底的に秘匿されて、どこで何をやっているかさえほとんど明かされないというわけだ。
それを知ってしまった人間は契約で縛って漏洩できないようにするか、手っ取り早く処刑される。だから俺は、言うことを聞かなければいつでも殺すぞと銃口を突きつけられているも同然で、もう後戻り不可だ。
その上で、本題はリリウムの話
いや、リリウムの正体も重要なのは重要なんだけどその意味が違う。
何のことかといえば例の棺桶みたいな黒い箱のことだ。
あの空っぽの箱に入れるべき荷物がここ、まさにこの護法軍大本営の地下にあり、そこに閉じ込められるのをずっと待っていた。
あの日、最後の魔法の塔で預けられた箱はひと月以上掛けてようやく本来の目的地に辿り着いた。そしてここはまだ終着点ではなかった。
中身を積んで、さらに運ばないといけない場所があるという。
その役目を誰かが果たさないといけなくて、その誰かというのが俺だ。
黒い箱は、俺が最後まで面倒を見ることになった。
俺はこっちの世界での3年間、いろいろと諦めて、望まず、抗わず、流されるまま生きてきた。別に初めからそうしようと思ったわけじゃない。生き残るにはそうしている方が楽だったからだ。
でも、ここからはそういうわけにはいかなくなった。
俺は別の世界から来た人間で、結局のところ部外者にすぎないとずっと感じていた。
だけど俺はもう逃れられない。
もう傍観者ではいられない。
*
まず過去の話をしよう。
灰が降るよりもずっと昔。
遡ること800年前。
東エーア=メシオン連合王国が隆盛していた時代。
ニューステージ市にまだ
そこに転移した18世紀のイギリス人、チャールズ・アシュフォードという人物の、数奇すぎる人生の話だ。
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