第35話 灰禍

 少し整理しておく。


 俺は護法軍との契約で中身の入っていない箱を馬車で運んでいる御者だ。


 御者台に座り、灰合羽と防毒マスクで念入りに灰を防ぎながら、陸王サイという大きな動物に引かせて大型馬車を走らせている。


 棺桶みたいな箱は純正魔法創造物(アーティファクト)で、特別な方法でないと開けることも壊すこともできない。


 馬車の荷台は天井のある防毒対策済みの密閉式で、そこには護法軍士官のルシウムとラルコが箱を守るようにして同乗している。


 向かう先は、極光都市ニューステージに位置する護法軍大本営。

 

 目的地まではあと四分の一ほどの距離。


 何のアクシデントもなければあと数日で到着する予定だ。


 だが今は、世界各地でグレイ=グーというものすごく危険な怪物が歩きまわっている。何も起こらないなんて保証はどこにもない。


 最後まで諦めないか、最初から諦めるか。


 どちらかでないと心を強く持つのは大変な時代だ。


 とにかく無事に進めることを祈るしかない。祈ることしかできない。


 この世界の神様は、俺が祈っても応えてくれるのだろうか?


 元の世界では祈りが通じた覚えがないので、比較しようがないのが残念だ。


 言っておかないといけない重要な事がある。


 俺は元々地球にいた。日本人だ。要するに異世界に飛ばされた人間だ。


 それが3年前の出来事。当時はまだ高校生だった。一緒に飛ばされたクラスメイトはもういない。全員死んだ。


 それともうひとつ。


 この世界には魔法が存在する。素晴らしい魔法文明が築かれていたらしい。


 いまは見る影もない。半世紀ほど昔からずっと空から毒の灰が降り続け、人類の多くが死に絶え、生存可能領域が日々狭まりつつある。


 灰の毒は人を殺す。生き物を殺す。土を水を殺す。


 灰は常に、どこにいても、空があるかぎり降ってくる。


 太陽は灰曇りの向こうで頼りなく目をそらす。


 空気はもう人類の味方をしてくれない。


 それがいつなのか誰もわからないが、誰もがそれが訪れるのを知っている。


 どうやらこの世界は終わるらしい。


     *


 堤防を作って洪水を防げても、川そのものが消えてなくなるわけじゃない。


 台風に強い家は作れても、熱帯低気圧が生まれることを誰も止められない。


 地獄から噴き上がった毒の灰もそれと同じで、魔法を使っても地獄を塞ぐことはできない。


 誰もいない灰の平原から起き上がり、人間を滅ぼしにやってくるグレイ=グーもそうだ。


 グレイ=グーは殺せない。


 いくら頭を叩き潰しても、首をはねても、銃弾を浴びせても、魔法で追儺(バニッシュ)しても、目の前から姿を消すだけでまたどこかで起き上がる。


 雨漏りがしないように屋根を修理しても雨が止むわけではないように、グレイ=グーを足止めすることはできても倒すことはできない。


 だから、ある意味ラルコは川で溺れたようなものだ。


 グレイ=グーという川の流れに足を取られて、ラルコは川下に流れていった。


 助けたと思っていた。でもあの時、すでに手遅れだったんだ。


 ラルコは死んだ。


 化石病による多臓器石化が死因だったようだ。


     *


 遺体の埋葬は諦めるしかなかった。


 灰を避けながら十分深い穴を掘る余裕はないという判断だ。そうするしかない。この時代の環境では、安全が確保されない場所での土葬は二次災害の恐れさえある。


 道端に放置することも考えられたがこれはさすがに選択できなかった。遺体がまともに残っている状態での護法軍士官に対する処遇としては偲びない。


 火葬も難しい。これは単純に、燃やすだけの燃料霊薬が足りないからだ。焚き木? そんなものは無理だ。どれだけの森が根から腐ったと思ってる。


 消去法として、ありあわせの死体袋にいれて護法軍本営に急ぎ、集団葬儀で同志と一緒に荼毘に付すしかない。そう決まった。


 俺もそれがいいと思った。


 ラルコの血の気を失った肌のあちこちには、灰色の硬くなった部分が斑点のように浮いていた。体の所々に分散して石化が起こるタイプの化石病は、肺が崩れて即死するよりは長生き出来ても、内臓の急所が石になればやっぱり生きてはいられない。


 仕方がない。誰でも死と隣合わせで、半歩踏み出したらこうなる。灰は誰の上にも平等に降る。そういう世界なんだ。


 死体は溢れ、葬られることさえ放棄されることも少なくない。あの旧アベリー市の惨状みたいに。


 だから、上司と、一応関係者である俺に看取られて死んだラルコはまだ幸せだった。そう信じたい。


 名前の無い死体は慣れるほど見た。


 だけど名詞付きの遺体に慣れるなんて、やっぱり不可能だ。


 何も目の前で死ぬことはないじゃないか。


     *


「イリエ、君はどこの出身だ?」


 道中、馬車の中から不意にそんな質問が飛んできた。ルシウムは相手の都合を考慮しない。聞きたいことがあれば前置きなしで聞いてくる。


「ずっと遠い田舎の村です。もう灰に埋もれて帰ることもできませんけど」


 俺はこの手の質問にはいつもこう答えるようにしていた。


 地球というこことは違う星から放り込まれた異世界人です、なんてことを説明していられないし、説明するだけ無駄だ。頭のおかしい奴だと思われるのも癪に障る。


 だから、よくある灰禍の犠牲者という設定にしている。


 ずっと遠い場所にあって、帰ることもできないというのは事実だから、まるっきり嘘というわけではない。


 一言で返す答えとしては上出来だと自分では思っている。


「そうか」


「何なんスか急に」


「なんでもない……と言いたいところだが、ラルコのことだ。私は彼の出身地を知らない。彼に家族がいたのかどうかさえ」


 俺は何も言えなくなった。


 短い付き合いで、俺もそこまで詳しい話を聞いていない。聞かれたら困る質問を俺から振ることはなかった。つまり、さっきの出身地や家族とか、子供の頃何をしていたかとか、そういうことを。


 それでも今はもう喋ることのできない顔の長い声の大きかった男は、どこか抜けていたけど善人であることは間違いないと思えたし、俺は……。


 くそっ、だから誰からも距離をとってなるべく深く関わらないようにしてきたんだ。関わってしまうと、こうなってしまうのはわかっている。


 生きているだけで人は死ぬ。


 知らない人も知っている人も死ぬ。


 ちくしょう、何でまたこんなことを味あわないといけないんだ。俺がこっちに来てから何人のクラスメイトが死んでいくのを見たと思っている。


 不意にチャンプが喉を鳴らした。


 俺のことを気遣っているのだろうか。気が気じゃなくて、チャンプが何を言いたいのか通じ合えなかった。


 無言になり、チャンプの思い足音だけが灰混じりの小雨の降る街道に響いた。


 俺はルシウムにも同じ質問をしようと思った。


 でも、やめておいた。


 左手を化石病で失った女軍人にそれを聞いて、微笑ましい答えが返ってくるとは思えない。


 護法軍がなんで箱だけをは運ばせているのか、という疑問は、俺の中ではルシウムという人物そのものに結びついている。


 彼女が護法軍の中でどういう地位にあり、何を目的に行動しているのか。


 それがわかれば疑問が解決する気がする。


 でも解決して何になるんだ?


 そんなもの、知る必要のない答えのはずなのに。



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