第33話 なまえをいれてください
灰による死の危険が通信手段を分断してしまった時代では、情報の伝達は口コミのレベル以上には速くならない。
黒い涙がおさまったあと俺はずっと馬車の上で、その間にどこで何が起こっていたかなんて知る由もなかった。
ルシウムたちも心話魔法通信機を持ち込んでいない。世界のあちこちで護法軍の戦いが行われていたことをリアルタイムで知ることは不可能だ。
俺は雨上がりの、久しぶりに灰の振らない空を見上げ、ぼんやりと陸王サイの足音を聞いていた。
陸王サイのチャンプは俺が何度も手綱をひいてようやく早足を抑えるようになった。全力疾走できないのは不服そうだったが、安全のためには仕方ない。
俺はひとつ見当違いをしていた。
チャンプは闇雲に早駆けしていたのではなく、街道のコースを自分から読んで最適なラインを選んでいたようなのだ。
想像以上に頭がいい。
ウロコ馬がのんびりと指示に従うのに対して、陸王サイは求められていることを理解してとっととこなそうとする。そういう性格の違いを把握すれば、扱い方も自然と違ってくる。
どこに向かうのかがはっきりしていれば、一々命じなくても勝手に判断してくれる。だから強制するのは極力避けて、俺はむしろチャンプに先導してもらうくらいの気持ちで走らせた。
そのくらいの関係がちょうどいいらしい。
*
「妙だな」
密閉型の荷台からルシウムの声が聞こえた。覗き窓から、行く手に見える宿場町を眺めている。
「明かりが見えない。もうすぐ夕餉の時間だろうに」
彼女の言うとおり、街道を進む内にすっかり日が傾いて黄昏どきを過ぎようとしている。それなのに霊薬ガス灯のオレンジ色の光がひとつふたつ点いているだけで、宿の窓から漏れる明かりもわずかだ。
いくら交通量が少なくても基本的に物資の輸送はなくてはならないものだから、大きな都市と都市の間にある宿場町の利用者というのは一定数いる。宿泊客がひとりもいない状況というのは、暦とか天候とか灰賊とかいろんな理由で起こりうるけど、だとしても町の明かりがほとんど見えないというのはおかしい。
「もしかして、灰賊かフィーンドの襲撃を受けて皆殺しにされたんじゃ……?」
ウロコ馬に乗って馬車に随伴するラルコが、誰でも思い浮かぶ不安を口にした。
そういう予想はできる。
何か不自然なことがあったとしよう。そういうことは何らかの形で灰と死に結びつく。それがこの世界の現状だ。
襲撃でなくても、たとえば町の防毒隔壁が何かの拍子に作動しなくなって、灰を吸って大量に死んだとか、末路はいろいろと考えられる。
最近起こったことといえば黒い涙だから、その濃い毒にやられたというのはあり得る話だ。
また死体の山を見なきゃいけないのか? 俺はうんざりしてマスクの中でため息をついた。正直、宿場町の住民の命よりも今晩の寝床と食事の確保のことが気になった。死を悼むのは実際に死体を見てからでも遅くない。
街道の途中で馬車を停め、俺はルシウムの判断を待った。
「イリエ、隔壁の手前まで進んでくれ。私とラルコで様子を探る。何かあった時のためにすぐ走り出せる用意はしておいてほしい」
俺は返事ひとつですぐに従った。
ここ数日の間に自分なりに考えた結果、彼女は依頼主という客ではなく、上司だと思うことに決めた。そういう見方をすれば、行動の速いリーダーとして頼りに思えてくる。
自分から護法軍の組織に入り込むみたいで複雑な気分だが、偉そうにしやがってと延々思いながら付き合うよりははるかにマシだ。
言われるままに宿場町と外界を遮る防毒隔壁の近くに馬車を寄せ、チャンプの足を停めさせた。
停まらなかった。
重低音の声を発し、落ち着きなく足踏みを繰り返す。普通の様子ではない。でも指示を嫌がっているのとは違う。
チャンプは頭がいいし、元々軍馬として生まれついた勘の良さがある。意味もなく暴れるような真似はしない。少なくとも俺に荷駄として仕上げられてからはしようとしない。それが早くここから動けと言い出してるも同然の仕草だ。
気が滅入った。わかるだろう? 隔壁の中にあるのはおそらく悲惨な光景だ。チャンプが近づきたくないと思うような、見るべきじゃないものがあるに違いない。
ここにいるのが俺だけなら、今夜は屋根のある場所で寝るのを諦めてすぐさま出発していただろう。
でも今は魔法の契約書に縛られている。ルシウムたちが町の中を改めるまで、ひとりだけ逃げ出すこともできない。
「やめといた方がいいんじゃないスか。
俺の余計な気遣いに、ルシウムは俺に背を向けたまま片手を上げてわかっているよと笑った。
「無論、何かあったに決まっている。だが私は護法軍の士官で、ラルコもそのひとりだ。護法軍の軍人はこうするんだ。護法軍というのはこういうものなんだ、イリエ」
そう言ってふたりは防毒隔壁をくぐって町の中へと入っていった。
チャンプが口の中に入った灰を大量のつばとともに吐き出してから、振り向いて俺のことを睨んだ。
――バカめ、俺様のいうことを聞いていりゃあいいものを。
そう言っているように見えた。
「そんな目で睨むなよ。俺だってそう思ってるよ……」
無意識に、俺は灰合羽の内側に吊るしてある銃に触れていた。
*
宿場町の中は大量の毒の灰に埋もれていた。
雨季に入り、黒い涙が明けてからは、積もるほどの量は降っていないはずだ。
しかし隔壁の内側は乾いた灰にうめつくされ、住民がその中で悶え死んでいた。あるいはフィーンドになって悶え死ぬ用意をしていた。
その灰がどこから現れたのかを調べる間もなく、灰の中から巨大な犬がもそもそと起き上がった。
灰の塊が犬の形になって動いていた。
体の色が特徴的で――顔の正面から縦に割ったように、半分が白、もう半分が黒に分かれていた。灰色の中から現れ、白と黒の真っ二つに色分けされた巨大な犬。
具現化したグレイ=グーのひとつで、『両面犬』と呼ばれるようになった。
そんな風に名づけてしまったのは、あろうことか俺自身だ。
グレイ=グーの化け物たちは、誰かが名前を思い浮かべるとその名前に定着するらしい。広まって名前が定着するってわけじゃない。誰かのつけた名前を脳みその中から横取りして、まるで『私は初めからその名前でした』とでも言うように人々の記憶の中に残っていく。
これも魔法的な働きのせいなんだろう。うまく説明できないが、俺は間抜けにも両面犬なんて名前を思い浮かべて、そういうことになってしまった。
名前のことはどうでもいい。
宿場町の貧相な防毒隔壁の中で何が起こったのか、実際に見たわけじゃないけど想像はつく。
両面犬が大量の灰を持ち込んだのか、大量の灰から両面犬が『生えて』来たのか。とにかく毒の灰につつまれて町がひとつ滅んだ。住民は全滅かそれに近い状態で、生きているとしたら建物の中で全部扉を閉め切って部屋の隅っこで震えていたはずだ。
想像だ。確かめる余裕なんてなかった。
馬車で待機していた俺は、隔壁の内側から聞こえたラルコの悲鳴を聞いて、思わず御者台から降りてしまった。
ルシウムの指示通り、何かあった時にすぐ移動できるようにしておかないといけないのにそれを無視してしまった。
思い返すと馬鹿な行動だ。悲鳴を聞きつけて俺が隔壁の中に駆け込んだところで、どう考えたって役に立てるはずがないのに。
でもじっとしているのは無理だった。
ラルコの悲鳴はマスクを通したくぐもった声ではなく、顔を晒した生声だったんだ。わかるだろう? 何が起きているのかわからない場所で、護法軍の軍人がうかつにマスクを外すなんて考えられないことだ。
誰かに無理やり外された――俺はそのとき直感でそう思ってしまったんだ。
後先考えずに宿場町の中に走りこんで見たものは、灰に包まれた町並みと、両面犬の大口で防毒マスクを引きちぎられ、前足で顔面を踏みつけられているラルコの姿だった。
火薬の音ではない独特の銃声が響き、両面犬の体に銃弾がめり込んだ。ルシウムの大型軍用拳銃による正確な射撃だ。
銃の内側に念動魔法で圧縮された加速力場に弾かれ、霊薬をつめ込まれた弾頭が発射される。目標に突き刺さり、瞬間的に膨張して肉体を破壊する。仕組みは違っても地球の銃と目的は同じだ。
肉の体を持つフィーンド相手なら殺せる量の銃弾を浴び、両面犬は灰になって崩れ落ちた。白黒に色分けされた体が入り混じり、灰色になって。
「ラルコ! 兄弟ラルコ! 無事か!」
厳しいルシウムの声に、顔を灰まみれにしたラルコは片手を上げるだけでそれに答えた。うかつに口を開けて返事をすれば灰を吸い込んでしまうからだろう。
すっ飛ばされて俺の足元近くに落ちていた防毒マスクを拾い上げて、俺はラルコのそばに駆け寄った。灰をはたき落として浄化霊薬を噴霧すれば一応まだ使えそうだった。
「イリエさんか? ダメだよ、あんたは危険なところに出てきたら!」
目に灰が入ったらしく大粒の涙をぼろぼろ流すラルコ。俺は全くその通りだと思いつつも、いてもたってもいられなかった。
人間の死は見慣れたつもりだった。人はすぐ死ぬ。死体は毎日増える。そのことは身を持って理解している。死体を見ても滅多なことがなければ嘔吐しなくなった。
でも知っている人間の死は……。
「話は後で聞く。イリエ、君はすぐ馬車まで戻れ。君と馬車に何かあれば身動きがとれなくなる。それだけは絶対に避けないといけない」
ルシウムが冷静な声で言った。マスクのゴーグル越しの目は険しいが、怒り心頭という感じではない。あとで説教するから覚悟しておけというような、目下の失敗をやむなく叱責するような、そんな雰囲気だった。もちろん俺が勝手にそう受け取っただけかもしれない。
「しかしこれは只事ではないな。あれが話しに聞くグレイ=グーか?」
ルシウムは考え込みながら、上半身をゆらゆらとさせて近寄ってくるフィーンドに一瞥をくれて瞬時に射殺した。住民が灰の毒で変容したものだというのは明らかだ。無慈悲に殺すことだけが慈悲だということも。
俺がここにいてもただの足手まといだ。
涙で灰が流れ落ちるまで目を開けられないラルコの手に護法軍の救急パックを握らせて、俺は格好悪く防毒隔壁の出入口へと向かった。
向かおうと振り向いた矢先に両面犬が灰の中から現れた。
灰色の塊が、巨大な犬の姿に変化するに連れて黒と白に色が分かれていく。それがどんな意味を持つのかわからない。混ぜた絵の具が元の色に戻るような……。
次の瞬間に両面犬が襲いかかってきて、それと同時に俺はルシウムの左の義手で首根っこを掴まれて後ろにぶん投げられた。
灰の積もる地面にたたきつけられて、頭が朦朧としたせいで怪物と軍人の戦いがどんな風だったのかよく覚えていない。
義手の前腕を噛ませ、その隙に銃弾をありったけ撃ちこんで前足と頭半分吹き飛ばしたらしいのだが、それでもとどめはさせなかったようだ。
両面犬は白黒から灰色に戻り、崩れて毒の灰の中に紛れ込んだ。
紛れ込んで、また別のところから塊になって生えてきた。
グレイ=グーは殺せない。
銃弾をいくら浴びせても同じことだ。一時的に破壊することはできても、本当の意味で死ぬことはない。
数回の試行の結果、それを確信したルシウムは生き残りの住民の捜索を諦め、ラルコを抱え上げて馬車に戻った。
防毒隔壁から抜けだした俺たちに、さらに両面犬の追い討ちが迫ったが、自己判断で馬首を返していたチャンプの猛烈な蹴りがそれを吹き飛ばした。
自慢気に鼻を鳴らすチャンプの脇腹をピシャっと叩き、俺は御者台にのぼった。
「走れ! 全速力だ!」
――それは俺様に言ってるのか?
チャンプは口元をぶるると震わせ、命じられるまでもないとばかりに四肢の力を全開にし、車軸の心配をしなければならないほどの速度で駆け出した。
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