第25話 死にゆく世界に、我と孤独のみ
塔の麓の街まで戻れたのはそれからしばらく経ってからのことだ。
街道は300人の狂人兵団との戦闘が終わってから一時的に封鎖され、それが解けてからも護法軍の巡回警備に相当人員が割かれているのが素人目にも分かった。
襲撃で手痛い損害を受けたところに街道の警備まで駆りだされたら、兵士の負担は増すばかりだろう。
俺自身も含めてみんなそれぞれ大変なのはわかっているけど、護法軍の軍人は特に厳しい状況が続いている。
慢性的な人員不足の中で、軍人たちは命を捧げても法と秩序を守りぬく誓いを立てている。内心はどうあれ、少なくとも表向きには音を上げることさえ自らに禁じているくらいだ。
だから時々見ていられないような場面に出くわすこともある。
みんな疲れている。灰をきれいに落としてようやく眠れても、平和な世界で目が覚めるわけじゃないからな。
*
塔の麓の街に着くと、通用門の破壊跡はすでに足場が組まれて再建が始まっていた。
燃え落ちた建物も多いが、思ったより被害は小さいように思えた。
ただこれは俺のイメージの問題で、この時思い描いていたのは空襲を受けて焼け野原になった都市の様子だった。魔法の力を含めても人間同士の戦闘だったんだ。航空爆撃と一緒にしてもしょうがない。
俺が住処に使っていた古い貸し部屋は戦火を免れていた。
燃えてしまっても構わないものしか置いていないただの寝床だが、それでも自由にマスクを外せてくつろげるのはいいことだ。
3年前に身に着けていたものはもう何も残っていない。
制服は傷みが激しすぎて捨てた。財布とか小物は役に立たないから全部売っぱらった。一番高く売れたのはiPhoneだった。
預かっていた紙切れも――ええと、誰から預かったんだっけ? 青野か。佐久間と付き合ってた女。それも渡したから、もう本当に何も残ってない。
俺がこことは違う世界から突然転移してきた人間であることを証明するものは全部なくなった。知っている人間も――もう誰も生き残っていないだろう。
知っているのは俺だけ。
俺自身の体、記憶の中だけだ。
*
気が重い中、俺に御者としての働き口を与えてくれた雇い主に会いにいった。
「イリエ……!」
俺の顔を見るなり、雇い主はそれだけ言って口を引き結んだ。
雇い主は、俺が行き倒れ寸前に拾ってくれた命の恩人でもある。
引き換えに散々タダ働きをさせられたし、無口なのでウロコ馬の世話でヘタをうったりすると言葉ではなく蹴りが飛んでくるようなジジイだったが、そのおかげでなんとか生きてこれた。
いつも無口なので何を考えているのかよくわからないが、このとき何を言いたかったのかはわかる気がした。
たぶん俺と同じで、お互いまだ生きていてよかったって、そんなところだろう。
*
その夜は、もう何度も飲めないっていってるのに無理やり酒を飲まされて、せっかく出してくれた代用じゃないシマウシのベーコンが消化される前に体から出て行った。
飲めないけど、つきあうしかなかった。
狂人兵団の襲撃に巻き込まれ、娘夫婦が殺されたのだそうだ。
まだ幼い孫も死んだらしいが、言葉を濁していた。
俺は何となく言いたいことがわかってしまった。
その子、たぶんフィーンドになったんだ。
*
自分の寝床に戻って、やっぱりこの街でまた御者の仕事を続けようと決めた。
妙な話だが、その途端にひどく億劫に感じた。
遊んで暮らせる余裕がないなんて百も承知だ。でも、護法軍から依頼を受けてからの短い間に大きなショックが続いて、自分で思っていたよりも嫌気が差していたらしい。
御者の仕事というか、この世界そのものに。
気を抜けば死ぬし気を抜かなくても少しずつ死んでいく環境だ。好きになれるわけがない。
でも好き嫌いはさておき、こっちの人間のひとりとして生活することに支障がなくなるくらいに適応している。3年間。その結果として俺だけが生き残った。
俺しか適応できなかった。
俺たちはあの日からずっと異世界から来た異物に過ぎない。
時代が違えばもう少しはマシだっただろう。
でも自分で選べる余地なんてなかったし、まあ、それはもう何を言ってもしょうがない。
言いたいのは、俺たちは結局のところな異世界人で、当然俺もそのひとりで、日本から持ち込んだモノを何もかも処分してもやっぱり俺は異世界の異物なんだってことだ。
散々ためらった挙句、俺は安っぽい棚の上に茶色い革靴を載せた。
学校指定の靴の、片方だけ。
置いたはいいが、置いたそばから後悔の念が湧いた。
直視するのに物凄く抵抗がある。捨ててこなかった自分が悪い。元の世界のものは全部なくしたはずなのに、何でまた拾ってきてしまったんだろう。
俺はこの靴の持ち主のことを思い出そうとしたが、もうはっきりと顔のイメージが湧いてこなかった。
少し好きだったはずなのにな。
残ったのは靴の片方だけ。まるで
残念ながら靴の持ち主は、お姫様どころか山積みされた死体のひとつになって、今も灰をかぶっている。
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