第24話 追儺と死
フィーンドの担ぐ神輿。
そこに座る女。
なぜ女とわかったかというと、その日も毒の灰が降っていたのに、そいつは防毒マスクも灰合羽も、それどころか下着一枚身につけていない丸裸だったからだ。
そいつは女だった。
でも人間じゃなかった。
フィーンドの女王――誰が言い出したわけでもなく、目撃した誰もが同じようにそう感じたという。
『女王』に率いられたフィーンドたちは、並の個体の数倍激しく動き、数倍多くの人を殺した。
どうやって調べたのか知らないけど、この時のフィーンドたちには一般的なフィーンドが受ける精神的強制よりもはるかに強い負荷がかかっていたらしい。
フィーンドはフィーンド化する前の人格を保ち続けるって話はしたよな?
フィーンドに成り果てた人間は灰の毒が脳に作用して、他の人間を殺して食らうことを強制される。元の人格を残したままなのに、だ。
拒絶すれば猛烈な精神的拷問が加えられ、これは到底耐えられるものじゃないのだそうだ。
余りにも苦しくて、どうしようもなく、フィーンドたちは苦しみから逃れるために多くの人を殺した。そうせざるを得なくなるほどの苦痛というのはいったいどれほどのものだろうか。
殺人を拒めない苦痛と、善良な意識が残ったまま自らの手で人を殺す自責の念がもはや物理的な爆弾のレベルにまで達し、耐え切れなくなって肉体が内側から破裂する個体さえいたという。
さもなければ護法軍の硬化霊薬フレシェットを浴びてミンチになることでようやく解放された。
苦しみを感じないようにしてやらない限り苦しみ続ける。発症後は回復の可能性はゼロ。
苦痛を取り除く唯一の手段は『解放』してやるしかない。
つまり、そういうことだ。
フィーンドたちの勢いに対し護法軍もまた猛反攻した。
大坑道入口前は両者の血が混じりあった血だまりがいくつもできて、死体が転がったまま、
三日三晩が経ち、なおも攻撃の手を緩めない『女王』率いるフィーンドを抑えきれず、護法軍は大坑道内部への撤退を余儀なくされた。護法軍兵士と、地下都市からの義勇軍の遺体の多くは回収されず、フィーンドの餌になるか、死体に釣られたフィーンドを狙撃するための餌に使われた。
そうするしかなかった――らしい。
どれほど凄惨な状況だったのか、俺には想像することしかできない。
戦いはさらに数日続き、二枚目の防御陣まで食い破られ、もはや地下都市内部まで乗り込まれるのが時間の問題という状況にまで陥った。
護法軍の損耗は激しく、生き残った兵士たちも疲弊しきっていた。死力を尽くしてもなお足りず、戦いに加わるために賦活系霊薬が用法を守られることなく使われて、空きパックが落ち葉みたいに坑道の床を覆ったという。
遠隔通信魔法によって援軍が見込めないことが判明し、いよいよ全滅覚悟の最終局面が始まろうとしていたときに、地下都市イレイカで魔法使いたちの指揮をとっていたトゥルーメイジが前線に立った。
残された最後のトゥルーメイジたちの中で、そのひとりは秘石の採掘と加工を管理のために大坑道に常駐していたんだ。
トゥルーメイジは絶対に矢面に立たせてはいけない――というのが護法軍の鉄則だった。わかるだろう? ロウソクの数はもうないんだ。一本吹き消されたら二度と取り戻せない。
制止の合間を縫って姿を表したトゥルーメイジは、『女王』を大追儺魔法で遥か彼方へ追放した。
統率者が消え、それによって一気に活動の弱まったフィーンドを、護法軍が最後の力で狩り尽くした。
フィーンドたちは全滅し、事態はようやく沈静化した。
しかしその代償はあまりにも大きく、取り返しは付かない。
前線に姿を晒したトゥルーメイジはその身を狙われ、『女王』を吹き飛ばすのと引き換えにフィーンドに襲われたんだ。
遺体は見つからなかったそうだ。
見つからなかったっていうのは、つまり何というか。
食われ……いや、どうだろうな。わからない。
やめておこう、わざわざそんなことを言う必要はない。
とにかく、そういうことになった。
これが俺の知る限りの大坑道籠城戦の顛末だ。
*
『フィーンドの女王』は、個体として人間の前に姿を表した最初の『グレイ=グーの落とし子(スポゥン)』だった。
グレイ=グーって何だ?
誰かが『灰に覆われた大地と水と空気そのもの』だと言った。
灰が生存不能領域に地獄の命を吹き込んだ、と言う人もいる。
その命が、人間の生存領域を最後のひとかけらまで飲み込もうとしているのだと。
人間の生きていける場所に人間が居るように、人間の生きていけない場所に人間ではない『何か』が住み着いてしまった。
どうやら彼らはもうその場に定住して、出て行く気はない。
それがグレイ=グーだ。
『落とし子』は、灰に染まってもう人間には立ち入ることのできない場所からの来訪者だ。
やつらは人間に直接戦争を仕掛けるところまで来てしまった。
滅びていく時代を後戻りするタイミングはとっくに過ぎていたが、もう立ち止まることさえ許されなくなるだろう。
地上の大半はすでに灰に埋もれている。
そこはもうグレイ=グーのもので、これからはもっとそうなる。
何かが切り替わるのを、俺は感じていた。
これから何が起こるのか何てわからないが、ひとつだけ確かなことがある。
何があっても、悪い方にしか転がらないということだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます