第7話 魔法は消え、インフラストラクチャーは呼吸を止めた
――誰かに似ている。
俺はウロコ馬の引く馬車を走らせながら、ずっとその誰かのことを考えていた。
護法軍の連絡員、今は馬車の荷台に例の大きな荷物と一緒に乗っているルシウムという女軍人。
俺の知っている誰かに似ているような気がする。
まだマスクを外した顔を拝んでもいないのに似ているも何もないのだが、口調とか、立ち居振る舞いとか、そういう雰囲気の話だ。いかにも有能そうで、実際有能で、本人は無意識なのかもしれないが相手よりも自分が一段高いという関係を最初に作り上げるタイプ。
「イリエ」
荷台から灰よけの覆い越しにルシウムの声がした。くぐもって聞こえないのは、幌の中でマスクを外しているからだろう。
「……何スか」
「ここにある水だが」
「ああ、それは……」
「ひと瓶飲ませてもらった。清浄水かと思ったが、印が入っているだけで中身は濾過水か。君、まさかこんなやり口で商売をしているのか?」
感心しないな、とルシウムはたしなめるようにそう言った。
俺は荷台に飛び乗って顔面をぶん殴る自分を想像した。ありありと想像できた。実行はできない。相手は正規の訓練を受けた軍人で、こっちは何となく生き残っただけの臆病な異世界人だ。やれと言われても身体は動かないだろう。
情けない野郎だと思われても仕方ない。無理なものは無理だ。
ただ、この時の俺がかなりの怒りを感じていたのは知っておいて欲しい。
この世界は年がら年中毒の灰が降ってくる。わかるだろう? 土や生き物だけじゃない。水も穢されているんだ。
上下水道は、俺がこっちに来た時にはもうほとんど機能していなかった。最後の一本を残して魔法の塔がなくなったせいで魔力の供給ができなくなったとか、設備を維持できる人間が死に絶えたとか、そういう理由でだ。
だからある程度我慢しないといけない。
生活用水、飲料水、そういうもの全部に毒が混じっていることを承知のうえで、それでも使わざるを得ない。
防毒マスクと同様のフィルターで毒を濾過して、許容量を上回らないようギリギリまで抑えた濾過水が一般的だけどそれでも十分手間がかかる。もちろんタダでは手に入らない。
魔法を使って純化させた清浄水はもっと貴重で、ほとんど嗜好品扱いだ。
この世界の王侯貴族が味わう贅沢とは何か、と言われたら、清浄水100%の風呂に好きなだけ入って、風呂あがりに冷えた清浄水を一杯飲むことだろう。王侯も貴族ももういないけど。死んだから。
荷台に置いてあった水は、確かに清浄水の空き瓶に入れたものだったがそれは偽装して売りつけるためではなく、単に俺自身が飲むために取っておいたものだ。文句をつけられる謂れはない。
しかも何の断りもなく勝手に飲んでおきながらの話だ。もう一度言っておくが濾過水でさえタダじゃない。
付け加えると、俺はもう何時間もマスクをつけたままで飲まず食わずなんだ。わかるか? わかるだろう?
俺は最大限皮肉を込めて、タダ飲みはカンベンしてくださいよとか、何かそういうことを言おうとした。だが、言葉を選んでいる間にルシウムの方が先に口を開いた。
「ああ、料金については心配しないでいい。護法軍から相場の倍支払おう」
――金の問題じゃないんだよ。
無意識に、俺は懐の銃の感触を確かめていた。あくまで無意識にだ。抜くつもりなんてない。こんなところでキレて撃つほどバカじゃない。人類全部が少しずつ崩れる崖に追いやられたような世界だとしても、犯罪は犯罪だ。だから撃たないし、撃てないが、撃ちたい気持ちになったことくらいは許して欲しい。
「じゃ……じゃあ何でしたら残りの水も買ってもらいましょうかねえ?」
「それには及ばない。私は自前の
「……は?」
「ちょっと試しにここにあるものを飲んでみただけだ。もう結構。それよりこの馬車、もう少し速く走れないのか? やはり大馬二頭を潰してしまったのは痛手だったな……」
ルシウムがそのあと何を言っているのか、俺はもう耳に入らなかった。携帯式浄化魔法瓶とは、名前の通り水を入れたら浄化する魔法をかけられた水筒のことだ。浄水場が持ち運びサイズになったようなもので、それだけでひと財産築けるという代物だ。
そんなものがあって、自分はいつでも清浄水を飲めるのに、荷台の水を、俺の水を、この女勝手に、勝手に飲んでおきながら……。
環境が悪いと、マスクを剥ぎとって地面に叩きつけることもできない。
肝心なときにはいつも銃の存在を忘れてしまうのに、こういうとき限って銃の存在をはっきりと意識できる。
ウロコ馬が恨みがましく鳴いて、首をブルブル振った。こいつもあんまり休めていない。おまけに人間ひとり分荷物が重くなっている。本当なら宿場町で俺も泊まって、何ならもう一泊休んで魔法の塔に引き返してもいいか、くらいに思っていたのだが……。
肝心なときって、もしかして今なのか?
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