第五百十二話
路地裏を後にした東間は一号に連絡。
倒れている若者たちのために警察及び救急車の手配を依頼し、ホテルへ戻る。
道中での彼の顔は夜の闇よりも薄暗いもの。
別段、己のやったことに後悔があるわけではない。
むしろお金目的で傷害、あるいは殺人まで犯そうとしたのだから返り討ちに遭ったところで文句を言う権利は無し。
といってもそれはあくまで魔境内での話。
魔境の外には魔境の外のルールがあり、それは彼も理解している。
それでも容赦なく一撃を入れたのは純粋に彼等に怒りを覚えたからか、それとも彼等がこれ以上の愚行を犯す前に止めたいと考えたからなのか。
どちらであろうと愚かしいのは自分も同じと、己自身に向けて苦笑を漏らしながら東間は部屋で休もうと扉を開ける。
「あっ、東間! お願い、助けて!」
「うん?」
唐突に求められた救援要請。
彼に助けを求めたのは涙目になっている理香。
ただし、最初に映ったのが彼女の顔だったのは、東間の脳がそれ以外の光景を視界内に入れることを、理解するのを拒否したため。
だがどれだけ脳が拒絶反応を示そうと、現実は変わらない。
座禅を組んだまま空中浮遊し、謎の言葉を垂れ流しながら周囲の物を浮かせている仁という名の幼馴染みの異常な状態を直視せざるを得なくなった彼は何とも言えない表情になりながら、扉を閉めようとする。
「待ちなさい、今度は逃がさないわよ!」
扉が閉まる直前に割り込んできたのは理香の掌。
下手をすれば扉に挟まれて痛い思いをするかもしれないというのに、躊躇いなく指を突っ込めたのは東間を決して逃がすまいと、この状況に巻き込みたいという彼女の強い想いの表れ。
けれども想いの強さならば東間も負けず。
何としても現実から、謎の覚醒を果たした幼馴染みから逃げ出したいと彼は理香の手が骨折するかもしれない可能性を考慮しつつも強引に扉を閉めようとする。
「ちょっと! それはシャレにならないわよ!」
「既にシャレになってない状態に見えるのは僕の気のせい?」
「気のせいじゃないわ。だからこそ逃げるんじゃないわよ。逃げちゃダメだって十回くらい連続で唱えてみなさい! 逃げる気力が何処かに行ってしまうから!」
「僕は巨大な人造人間のパイロットじゃないからね。逃げられる時には素直に逃げる。臆病さこそが生き残るために必要な能力なんだよ」
「否定はしないわ。だからって肯定もしてあげない。とにかく、今は暴走中のあのバカを止めるのを手伝いなさい! このままだとホテルの人たちにまで迷惑を掛けかねないんだから!」
「そもそも何がどうしてこんな状況に――いや、いいや。説明しなくても。何もわからないけどわかったところで無意味だろうから!」
「ええ、そうね。私も説明を求められても困るわ。だって何もわからないままこんなことになっているんだから!」
扉一枚を隔てて行われている熾烈な攻防。
ただしその攻防が長続きしないのは扉そのものが軋み始めたことと、理香に向かって仁が浮遊しながら接近していることからも明らか。
だからこそ拮抗していた両者の力には徐々に差が出始める。
窮鼠猫を嚙む、という諺があるように、追い詰められた存在は何をするかわからず、また火事場の馬鹿力を引き出しやすくなるもの。
普段ならばもう少し、善戦できたであろう東間は理香の怪力の前に敗北を余儀なくされ、逃げる間もなく部屋の中に引きずり込まれる。
彼等にとって不幸中の幸いだったのは、扉が壊れなかったこと。
ただ、閉ざされた扉は退路を失ったことを意味しており、もはや逃れられない距離まで接近した仁は無色透明な、何の感情もない空虚な瞳で理香と東間を見下ろす。
「えーっと、どうする?」
「どうするもこうするも、どうすればいいのよ」
「試しに殴ってみるとか?」
「やろうとしたけど、避けられたわ。まるで舞い散る木の葉みたいに、掴もうとすればするほどすり抜けて行く感じ」
「武道の達人、もしくは無意識の極致って奴かな。うん、さっきは聞くのを拒否したけど、一応、どうしてこうなったのか、説明して欲しいな?」
「説明なんて私にもできないわよ。ただ、毒電波を受信したとかいって、仏になってそのまましばらく動かなくなったかと思ったら、内側から亀裂が走ってあの状態の仁が出て来たのよ」
「ゴメン。何を言っているのか、さっぱりわからないんだけど」
「だから説明なんてできないって言ったでしょう。ああ、もう、何なのよ、一体。何がどうしてこうなったの? 誰か説明して!」
空しい叫び声に返って来る反応はない。
元々、返答を期待してのものではなく、泣き言以外の何物でもない叫びなので誰も何も言わないのも当然の話か。
ただ、仁は敵でもなければ味方でもない、己以外の全てを見下すような瞳で彼等を見続けている。
「何か段々と腹が立ってきたな。なんであんな顔をされないといけないんだろう」
「あっ、それは私も思ったわ。普段からバカばっかりやっているバカのくせに、まるで悟りでも開いたかのようなあの不思議な目。普通にムカつくわよね」
「理香一人だとどうにもできないとしても、二人でならなんとかできるかな?」
「逃げ出そうとしていたくせに、よく言うわ。でも、相手が木の葉一枚であろうと二人掛かりなら捕まえられるかも?」
視線を交わらせた理香と東間は頷き合い、次の瞬間には左右に跳躍。
壁を走り、仁の左右を取ると同時に強襲。
力で押さえ付けに掛かるも、彼は謎の力で宙に浮かんだ彼等を捕らえ、そのまま手を振るい両者をベッドの上に拘束。
五秒と経たない内に決着がつき、動けなくなった理香と東間は恨みがましい目で浮遊を続ける仁を睨む。
「クソッ! まさかこんな簡単に! 普段の仁からは考えられないくらい無駄がない!」
「ええ、いつもの仁なら例え今のと同じことができたとしても、油断して隙を作って自滅してからようやく逆襲しようとするはずなのに!」
「仁、君は今、自分を見失っているんだ! 強い自分を取り戻すんだ!」
「そうよ! アンタはむしろボコボコにされてからが本番でしょう! 油断して慢心して格下にやられて、そこから這い上がって辛勝するのがアンタでしょう!」
「目を覚ますんだ、仁! そんなに圧倒的な強さは君に似合わない!」
「地べたを這いずって、相手の足首を掴んだところで頭を踏みつけられ、唾を吐きつけられてからがアンタの真骨頂のはずよ!?」
「ねえ、理香、さっきから仁への評価が酷い気がするんだけど。いくらなんでもそこまでやられっぱなしじゃないと思うんだ」
「ええ、言ってから私もここまでじゃないわよねー、って思ったわ。でもまあ、何か思い切り叫ぶと気持ちがいいから言ってみたくなったの」
「あー、その気持ちはわからなくもないけど。そういえばこの部屋って防音とかは大丈夫なの?」
「たぶん平気よ。もしくは他の部屋にお客さんがいないだけなのかもしれないけど、少なくともさっきからそれなりに騒いでも特に文句とかは言われてないわ」
「文句が無くてもホテルの部屋で騒いじゃいけないんだけどね、本当は」
「状況が状況なんだから、仕方がないじゃない。というわけで仁! 本当の自分を取り戻して! そしてババ抜きでもして遊びましょう!」
「なんでババ抜き?」
「トランプ、持って来たんだからやらないと面白くないでしょう? こういう機会でもないとやらないし」
「その気になればいつでもやれるんだけどね。僕的にはポーカーの方が良いかな」
「ぶっちゃけ私は何でも良いんだけど。でもこの状態じゃトランプで遊ぶこともできないじゃない。だから早く正気に戻って!」
説得する気があるのか、無いのか、微妙な彼等に仁は相変わらずの無表情。
ただ、何かに納得したように小さく頷き、座禅を組んだまま床に下りると連動するかの如く、浮遊していた物も全て床へと落下。
幸いにも割れ物は無く、落ちた物に異常は無し。
仁もまた静かに目を閉じ――次に両の眼を開いた時には呆然としているような、状況を呑み込めていないようなすっとぼけた顔で辺りを見回す。
「……東間きゅんと理香ちゃんがベッドに転がっている。そして何やら色々な物が散乱している。これはどういうことだ? 俺は記憶を失ったのか?」
「仁、どうやら正気に戻ったみたいね!」
「正気? 俺は常に狂気に侵されているが、それが何か?」
「良かった。取り敢えず、いつもの仁に戻ったみたいだ。いや、本当に良いことなのかどうかはわからないけど」
「良いことって解釈で良いんじゃないかしら? 少なくともさっきみたいなよくわからない状態よりはマシじゃない?」
「むう。俺の知らないところで理香ちゃんと東間きゅんが親睦を深め合っている。これは俺だけが仲間外れにされてしまった予感。そんなバナナ!?」
「どうしよう、理香。正気に戻ったら戻ったで凄く鬱陶しく感じるよ」
「同意するけど、それでもさっきまでよりはマシだと――ええっと、どうなのかしら? ねえ、仁、どっちの方がマシだと思う?」
「今だな。そもそも俺はさっきまでの俺とやらを知らん。つまり比べることができない。故に正体がわかっている分だけ今の俺の方がマシと言える」
「あー、まあ確かに正体不明の存在よりはまだバカでも正体がわかっている相手の方がマシかな」
「最後の将とかいうわけのわからないやつのこと? 確かにあまりにも突拍子もないし、わけがわからなかったわよね」
「うむうむ。理香ちゃんが話題に乗ってくれてとても嬉しい。ご褒美にそのほっぺたにチューしよう」
「舌を切られるのと両目を潰されるのとどっちがいい?」
「HAHAHAHAHA! 理香ちゃんは照れ屋さんなんだから!」
ウインクする仁に理香は大きなため息を吐き、東間は彼等の様子を見て何処か安堵したように、豪快に笑う。
東間らしからぬ大笑いに仁と理香は目を丸くしたが、それも一瞬のこと。
すぐに便乗するが如く仁も大笑いし、釣られる形で理香も小さく笑う。
一頻り、笑った彼等の腹部から大きな音が鳴り響く。
誰の腹の虫が空腹を訴えたのかは不明だが、腹の虫が鳴っていないだけで全員が空腹なのを自覚。
「何か、食いに行くか?」
「夜食は健康に良くないわよ」
「でも、空腹のまま眠れるの?」
「……カロリーは控えめの方が良いわよね?」
「それは理香ちゃん自身が決めることなり。だが全員で食いに行くというのも手ではあるが、ここに良い物があるではなイカ?」
仁が手に取ったのは理香が持って来たトランプ。
彼の意図を察した理香と東間は不敵な笑みを浮かべ、紙とペンを使って何かを書くと書かれた内容が見えないように折り畳み、仁に手渡す。
受け取った仁は同じく紙に何事かを書き記し、同じように折り畳んだ後、三枚の紙をシャッフル。
次いで東間、理香と順番にシャッフルし、適当に床に並べた後、最後の仕上げとしてじゃんけんを行う。
勝者は理香。彼女は目の前に置かれている三枚の紙の内、一枚を手に取る。
開かれたその紙に記されていたのは七並べの文字。
その文字を見てガッツポーズを取ったのは理香。
仁は小さく舌打ちを漏らし、東間は少し残念そうに表情を歪めるも、異を唱えるような真似は行わない。
「じゃあ、私がカードを配るってことで良いわね?」
「良いよ。仁だと普通に不正を行いそうだし」
「そんなことを言う東間きゅん。チミの信頼度も中々に低いであろうことはしっかりと自覚した方が良いのでは?」
「わかっているよ。その点、理香は安心だよね。イカサマができるほど器用じゃないから安心してカード配りを任せられるし」
「バカにしているのかしら?」
「まさか。まあでも、何であろうと負ける気はないよ」
「最初から負けるつもりで勝負を挑むのはただのバカか負けたがりくらいなものよ。ちなみに二人は何を書いたの?」
「ポーカー」
「ブラックジャック」
「……ポーカーはまだしも、ブラックジャックって三人でできるの?」
「変則ルールにすればいい。それに勝敗のルールが変わるわけでもないし、同数値の場合でも決着がつくまで続ければいい」
「それもそうね。まっ、何にしても七並べを始めるわよ」
「OKだ。我が運命力を見せてやろうではありませぬか」
「七並べで運命力とか発揮されてもねー」
配られたカードの中よりそれぞれが出す7のカード。
四種類のカードが出揃ったところでダイヤの7を出した東間からゲーム開始。
一枚も7を手にできなかった仁は悔しさによって血涙を流すも、完全に無視されてゲームが始まってしまい、心の何処かに寂しさを覚えながらも彼は場に出された数字に連なる数字が書かれたカードを出し、おとなしくゲームを進行させた。
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