第五百十一話
ホテルに到着した一行はそのまま部屋まで真っ直ぐに移動。
幸いと言うべきか、道中にて独り言をつぶやきながら虚ろな目をしている仁について何か言う者とは遭遇せず。
尤も、単に関わり合いになりたくなかっただけの可能性が高く、魔境の外は人情味が薄いのではと訝しみそうになった東間は自分たちの状況を客観視し、彼等に人情がないわけではないという判断。
ベッドに仁を投げ捨て、部屋に備え付けてあったテレビを点けながら椅子に座って大きな息を吐く。
「どうしたの、東間?」
「いや、うん。僕たちって傍から見たらかなりヤバい奴等だったなって」
「今更、何を言っているのよ。私たちが魔境出身であることを除いても、今の仁は誰がどう見てもヤバい人にしか見えないでしょう」
「まあ延々と独り言をつぶやく、暗い表情の人間なんてヤバい奴以外の何物でもないからね。ハッキリ言って通報されて薬物検査されてもおかしくないかも」
「実際、薬物患者と大差ない状態だものね。実は私も、ここに来るまで内心ではドキドキしていたのよ」
「仁と一緒に寝ることに?」
「そんな話はしてない。それに子供の頃は一緒に寝たりもしていたし、今更、ドキドキなんてしないわよ」
「相変わらず、わかりやすい嘘をつくね」
「うっさい。テレビ、見てないならリモコン寄越しなさい」
「はいはい」
リモコンを手渡しした東間は一人、部屋の外へと出て行く。
居辛くなったわけでなければ目的があるわけでもない、単なる散歩。
ただ、真に意味も無くうろつくのも心の何処かに引っ掛かりのような物を覚えたのか、自動販売機でジュースを購入。
咽喉を潤しながら部屋に戻ってみると、仏と化した仁と頭を抱える理香を発見。
彼が退室したのは僅か数分前。
その短い時間で何が起きたというのか、思考停止していた東間であったが、本能が逃走を訴えたために部屋の中に入らず、扉を閉める。
去り行く彼の背に浴びせられるのは理香からの非難の声。
扉越しにも聞こえてくる、彼女の悲痛な叫びに心の中で謝罪しつつ、一人でホテルの外へと出て行く。
冷たい夜風は彼の頬を撫で、頭と脳を冷やす。
熱せられていたわけでもないので、冷やす意味はほぼ無かったのだが、それでも心地良さを覚えた彼は独りで都会の街をさまよう。
「あまり遅くならないようにしないと、ね」
口に出した言葉は己に言い聞かせるためのもの。
自ら設けた時間制限。
それを超えた場合には己に罰を与えることを決め、人工の灯りの中に身を投じる。
魔境とは異なり、人間しかいない夜の街。
あちらでは夜に行動するには相応の覚悟が必要と言われ、護衛も無しに夜の魔境をうろつくのは腕に自身のある者か、はたまた命知らずか。
無論、人混みの多い場所ならば襲われる心配はほとんどなく、昔に比べれば治安も大幅に改善されたと言われている。
それでも人のいない闇に足を踏み入れれば命の保証はない。
それくらい危険な場所で生まれ、育ってきた彼は好奇心から人がほとんどいない路地裏の方へと足を向ける。
如何に都会と言えど――否、都会だからこそそういう場所は危険が多い。
その程度の知識は彼も持ち合わせており、事実、ホームレスや如何にも危なそうな雰囲気を纏う者たちが闇の中より東間を睨みつける。
襲おうとしないのは彼がさほど裕福そうに見えないからか、それとも警察沙汰は彼等にとっても良いことでは無いからか、それとも入り口付近では揉め事を起こしたくないだけなのか。
これ以上、踏み込むならば相応の覚悟が必要。
そこまでわかった上で彼は敢えて暗闇の道を進み、漫画やドラマなどでしか見たことがないような薄暗いバーを見つける。
「何事も社会経験、か」
仁ならばほぼ間違いなくこういう店にも足を踏み入れているのだろうと、少しだけ彼を羨ましく思いながら扉を開けて入店。
外観同様に薄暗い店内にいる客は数名。
店を一人で切り盛りしているのであろう妙齢のバーテンダーは入って来た東間を一瞥すると、すぐに興味を無くしたように一瞬だけ中断した仕事を再開。
手慣れた作業で様々なことをするバーテンダーに東間は感心を向けるとともに、邪魔をしないようにと静かにカウンター席に着く。
「注文は?」
「ミルクをください」
「了解」
簡素なやり取りに客への敬意は皆無。
まだ未成年だからそもそも客扱いする気が無いのか、それともどの客に対しても同じような対応をしているのか。
恐らくは後者らしいバーテンダーは絡んできた酔っ払いの客を冷たくあしらいつつ、ミルクをグラスに入れて東間の前に差し出す。
「ごゆっくり」
「どうも」
夜に未成年者が訪れても怒ることなく追い出す気も見せない。
それは優しさなのか、それとも面倒臭いからか、どちらなのか尋ねるのは失礼にも程があるため、東間は黙ってミルクを飲む。
「なんでぇ、坊や。そんなにミルクが好きなら家に帰ってママのミルクでも飲んだらどうなんだ?」
「そもそもここはガキが来る場所じゃねえぞ。最低でも後五年くらい経ってから来るべきなんじゃねえのか?」
「僕もそう思います。でもまあ、これも社会経験ですから」
「ハッ。最近のガキはこれだから。まあいい。ミルクを飲んだらさっさと家に帰るんだな。てめえみたいなのがウロウロしていると、その辺の奴等に襲われちまうぞ」
「ご忠告、痛み入ります。優しいんですね、おじさん」
「そうよ。俺は優しいのよ。今日は競馬で勝ったから気分が良いんだ。なんだったらそのミルク代、肩代わりしてやろうか?」
「おいおい、そんなに調子に乗っていると明日、また一文無しになっちまうぞ」
「ダハハハハハ! 大丈夫だぁ! 何せここのところツキが味方してくれているからな。明日も大勝ちに決まっている!」
「そういう時が一番、危ないっていい加減に学習したらどうなんだ?」
「言っても無駄よ。バカはバカだからバカなんだからな」
「バカバカ言うな!」
豪快に笑う彼等に東間もまた小さな笑いを漏らす。
彼等の言う通り、高校生が一人でこのようなところを歩き回っていたら事件を起こされても不思議なことはない。
切り抜けられる、切り抜けられないなどという問題ではなく、事件を起こす要因となること自体が注視すべきこと。
そういう意味では好奇心に負けた東間自身に非があると言え、大人たちの忠告におとなしく従い、早めに灯りのある世界へ戻るべき。
ミルクを飲み終えた東間は代金を支払い、バーを出て行く。
酒飲みたちは店を出る東間に笑い声と野次を飛ばし、しかし激励のような言葉も投げ掛けてから再び酒盛りを始める。
「意外と優しい人も多いんだな。機嫌が良かったっていうのもあるんだろうけど」
あるいはこのバーが特別だったのかもしれないと、闇に薄明かりが煌いている店を眺めていた東間の脳裏を先程の忠告が過ぎて行き、急いで歩き出す。
走った方が速いのは確かだが、悪目立ちする可能性も高まり、結果として絡まれてしまう確率を高めかねない。
それならば歩いた方が堅実という結論を出したが故の行動だったが、特殊な能力でも持っていない限り、未来とは予測できないもの。
立ちはだかる数名の若者を前に、ため息をついた彼は回れ右をして来た道を逆走しようとするが、そちらの方向にも若者が数名、現れる。
「挟み撃ち、か。まあ狭い場所なら有効だよね」
「あの、挟みましたけど、これからどうしたら」
『金目の物を奪え。抵抗されるようなら殺していい』
「は、はい! わかりました!」
「……ふーん」
電話越しに聞こえてくる声は加工されたもの。
男女はもちろん、老人か子供かさえわからない機械音声に若者たちは従い、木製のバットや金槌などを手に東間との距離を詰めて行く。
震えているその手は彼等が犯罪を犯したことがない証。
初犯だからこそ己の行為に自信を持つことができず、しかし電話の向こうにいる相手への恐怖心から止まることもできない。
「これって前に何度かニュースでやってた闇バイトってやつ? あれっ、今は言い方、違うんだっけ?」
「う、五月蠅え!」
「黙って金を出せ! 財布を寄越せ! 他に売れそうな物があったら全部寄越せ!」
「そんなことを言われても、僕は見ての通り、一般学生だよ。そんな良い物を携帯しているわけないじゃないか」
「五月蠅えって言ってんだろう!」
「もういい! 黙らせちまえ! 死んだらその時はその時だ!」
自暴自棄になっているからこそ、情け容赦を持たず、命を奪うことさえも躊躇わずに行える。
彼等への同情の念を持たないわけではないが、お金欲しさに犯罪行為を行う者への憐れみなど微々たるもの。
まして標的にされているのが己ならば尚更、黙って殴られる謂れなど無く、振り下ろされたバットを東間は片手で受け止める。
「へっ?」
「狙う相手が悪かったね。ランダムだったのか、僕のことを事前に調べた上で襲ったのかは知らないけど」
受け止めたバットをそのまま奪い取った彼は手本でも見せるように木製バットを振るい、若者の頬を殴り飛ばす。
鼻血を噴出し、歯が数本、折れた若者は壁に激突して動かなくなる。
呼吸はしているので死んではいないが、少しだけひやひやした彼はもうちょっと加減をしようと頷きながら背後より近づいてきていた若者を同じくバットで殴る。
こちらは頭に直撃し、脳震盪を起こして気絶。
目立った外傷は見られず、頭に大きなコブを作った程度で済んでいたため、これくらいの力加減がちょうど良いのかと、二、三度バットを振るって確認。
「うん。この手の得物は不慣れだけど、意外と簡単だったりするのかも」
「な、何なのよ、アンタは!?」
「もしかして格闘技経験者とか!? い、いや、だとしてもどうして振り返らずに反応できたんだ!?」
「まあ君たちから見たら僕も漫画とかアニメ世界の住人っぽいのかもね。あっ、念のために言っておくけど、僕は中二病とかじゃないから。それにこんなことで殺人犯になるつもりもないから殺したりはしない。その点だけは安心していいよ」
「な、何を言ってんだ!?」
「ちょっと、どうすればいいんですか!? こんなの聞いてませんよ!」
スマホに向けて叫ぶ若者だったが、既に通話は切れている状態。
見捨てられたことは明白であるものの、現実を認められず、先程まで指示を送っていた相手へと通話を掛ける。
だが相手が電話に出ることは無く、絶望の表情を浮かべた若者はスマホを投げ捨て、仲間を見捨てて逃走。
もう一人の若者はどうすればいいのかわからないといった様子で立ち尽くしていたが、東間が近づいた瞬間に腰を抜かして座り込む。
「うんまあ、僕としても面倒なことはやりたくないし、無抵抗な人間を一方的にいたぶるような趣味はないよ」
「じゃ、じゃあもしかして――」
「うん。一発で終わらせてあげる」
無抵抗だろうと殺そうとしてきた事実が変わるわけではない。
そんな相手をただ見逃すほど東間は甘いつもりは無く、若者が何か言う前にバットで殴り飛ばし、意識を奪う。
ただ一人、仲間を見捨てて逃げ出した若者は、しかし暗闇の中で思うように走ることができずに転倒。
立ち上がろうともがくが、パニック状態に陥っている体は脳の命令を受け付けず、そうしている間に東間は少しずつ近づいて行く。
「い、いや、わ、私、まだ、そんな……!」
気分はさながら、ホラー映画に出てくる被害者役か。
先程まで狩られる側に――彼等から見たら獲物でしかなかったはずの存在に返り討ちにされて地面を転がる羽目になっている。
そんな現実に打ちのめされた若者は、自身を見下ろす東間に対し、薄ら笑いを浮かべながら縋り付く。
「わ、私、お金に困っていたの。で、でも、ほら、パパ活? とかいうのはちょっと怖いじゃない? だって知らない男の人と会うとか、何をされるかわからないもの」
「うん」
「で、でもお金は欲しいから。ほんと、お金に困っているのは本当なの。だからバイトしようと思ったんだけど、楽に大金が手に入るって、誘われて、だから私、友達がそう言ったからなの! だって、犯罪とか思わなかったし! それに私も、私だって被害者、そう、騙されただけなのよ!」
「うん」
「友達のせい! ううん、あんな奴、友達でも何でもない! 私はただ、騙されただけで本当は嫌だったの! でも、仕方がないじゃない! あっちは私のことを調べたみたいで色々と知られちゃっているし! わ、私が教えたわけじゃないの! 調べられて脅されて、仕方なくこんなことを! ね、ねっ! わかるでしょう!」
「うん」
「だ、だったら見逃して、くれ、ても……」
「うん」
耳障りな声、紡がれる雑音に耳を貸すつもりはない。
冷淡に、冷徹に若者を見下ろしていた東間は木製バットを振り上げ、恐怖と絶望に染まっている涙目の若者の頭へと振り下ろした。
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