第五百九話
白熱した戦いは日が落ちるまで続き、結果は引き分け。
熱いバトルによって芽生えたのは友情。
珍妙な踊りにて生まれた絆もまた珍妙な形をしているのかと、なんとなく気になった理香と東間であったが、訊くのは無粋――というより単純に聞く気がしなかったので口を閉ざしたまま、仁とともにダンサーたちを見送る。
「で、東間きゅん。我が生姜焼き弁当は何処にあるのだ?」
「君はカレーだよ。好きだろう?」
「大好きさ! ただしこの俺が家で作る俺カレーの話だ。専門店やコンビニとかで売られている安物のカレーなど眼中にない! 頂きます!」
奪い取るように東間の持っていたカレーを手に取ると、力尽くで封を破り、中身を口の中へと流し込む。
カレーは飲み物という言葉を体現するが如く、物凄い勢いでカレールーを呑み干した彼は大きなゲップを漏らす。
「汚いわよ、仁」
「気にするな、理香ちゃんよ。これはある種のマナーなのだよ。大量に物を食べたり飲んだりした後は大きなゲップをするべし。これはコーラを飲んだらゲップをするのと同じくらい当然の事柄なり。だが所詮は安物。この俺の腹を満たすことはできても心を満たすことはできず仕舞いだったな」
「そもそもコンビニはどちらかというと割高じゃない? それに専門店なら相応に高いカレーが売られていると思うけど?」
「そういう意味ではないのだよ、理香ちゃん。ここで言う安物とは心の問題。我が心を満たせるだけの高級品、すなわち心を込められたカレーはプライスレス」
「東間、翻訳をお願い」
「無理」
「フッ。流石は我が幼馴染みたち。話が早くて助かる。つまり全ての謎はピラミッドの中に存在していたのだ」
「ところで暗くなってしまったけど、これからどうする?」
「何処かに泊まって、明日から本格的に廃ビル調査で良いんじゃない?」
「何を言うか、理香ちゃん。これから調査に赴くに決まっているだろう。ホラー映画もホラーゲームも大体が真っ暗になってから調査開始している。つまり廃ビル探索も月が支配する時間帯に行うべし!」
「あれ、よくわからないのよね。時間制限があるなら仕方が無いんだろうけど、そうじゃないなら明るい内に調べるべきじゃないの?」
「廃墟とか、暗いと危ないからね。でも最近は霊とかそういうのの能力で強制的に夜になったり、赤くなったりしているよ」
「赤くなるって、どういう意味?」
「そのままの意味。詳しくはゲームをプレイしてね。まあそれは良いとして、何処かに泊まるって言っても何処に泊まるの? 予約は?」
「一号に頼んでおいた。場所も把握済み。俺ならばわざと予約しないなんてことも起こり得るが、一号はそういう真似を決してしないなり」
「うん。一号なら信頼できるね」
「そうね。一号ならこのバカと違って、ちゃんと予約してくれているでしょう」
幼馴染みたちの純粋なる評価に仁は大きく頷き、その後、大きなショックを受けたようによろめいてから蹲って地面にのの字を書く。
わかりやすく拗ねてしまった彼が復活するまで待つべきか否か。
目線を交わらせた理香と東間はお互いの意思を確認してから彼の頭を小突く。
絶妙な力加減で小突かれた仁の脳は再起動。
数秒ほど意味不明な言葉の羅列を口にした後、立ち上がり、彼方を指差す。
「さあ、目指すは我等が泊まるべきホテルなり! ちなみに部屋は一つしか取っておりませんのであしからず」
「お風呂は?」
「部屋に付いている」
「じゃあアンタたちは我慢しなさい。私だけが使うから」
「そんなバナナ!?」
「古い上につまらない。でも、確かに僕たちもお風呂には入りたいかも。ねえ、仁、この近くに銭湯とかは無いの?」
「ハッハッハッ。この都会にそんなカビ生えた古臭い施設があるとでも?」
「ちょっと調べてみたけど、あるみたいよ。古いのが逆に良いとかで結構、人気があるみたい」
「東間きゅんよ。都会だからこそ入浴施設は必要なのだ。日頃の喧騒から離れ、その身を清めるための儀礼的かつ神聖なる場所はどのような地域においても不可侵の領域であり、そこで己を見つめ直すことで新たなるステージへと旅立つことを許される」
「じゃあホテルに行って部屋に荷物を置いた後、銭湯に行こうか」
「っていうか、今更だけど最初にやるべきだったわよね、それ」
「本当に今更だね。まっ、着いてから早々に色々あったし、仕方がないってことで流して良いんじゃないかな」
「そうね。細かいことを気にし過ぎると、将来、仁みたいにハゲかねないし」
「俺がハゲだと!? この俺のフサフサの髪の毛が抜け落ちるだと!? そ、そんなまさか、この俺があの存在価値のない、髪の毛の生えてくることがないハゲどもと同類に扱われるなど、あってはならない!」
「ハゲ差別」
「訴えられるわよ」
「失敬な。俺は常に男女平等、老若男女に差別などしないぞ。ムカついたら等しく殴るし、恩を受けたら仇で返す。それが俺の流儀」
「真面目に最低な流儀ね」
「というか、前に聞いた流儀とはまた違う流儀だけど?」
「俺の流儀は百八式まであります」
「百八個しかないの?」
「状況によっては増えますが、それが何か」
「……もういいわ。何か疲れたし、行きましょう」
呆れ返った様子の理香に、仁が行うのはガッツポーズ。
その行為にどのような意味があるのか、本気でわからなかった東間は何も見なかったことにしてそれ以上の寄り道はせず、ホテルに直行。
当たり前のように時間を無駄にしようとする仁を時に言葉で、時に力で制しながらたどり着いたのはそれなりの大きさのホテル。
安くはないが高くもない、一般家庭が旅行の際、ちょっと贅沢して泊まりそうなホテルにてチェックインを済ませる。
なお、当たり前だが年頃の男女が同じ部屋に泊まるのは問題行動。
なので彼等全員、家族という設定になっており、末っ子扱いされた仁は受付の前では無表情であったものの、部屋に入るなり不貞寝してしまう。
「良いじゃないの、仁。誰が上で誰が下でも」
「納得いかん。我は長男なり。次男なら我慢できないようなことでも我慢できるなり。その我が末っ子だと? 甘やかされることもなく、甘えることも許されなかった孤高なる幼少期を過ごした我が末っ子だと。これが怒らずにいられるか。今からでもやり直しを要求する」
「仕方が無いだろう。そもそも君を末っ子扱いしたのは僕たちじゃなくて予約を取った一号なんだし」
「まあどうしてわざわざ、アンタを末っ子として予約したのかは謎よね。そこは適当に誤魔化すこともできたでしょうに。何だったら私たちがその場で誰が長男かとか決めることもできたでしょうし」
「それはそれで不審がられる気もするけどね。というか、今更だけど理香は良かったの? 僕等と同室で」
「奢ってもらっている立場で、とやかく言う気はないわよ。それに私一人のためだけに一部屋取ってもらうとか、図々しいにも程があるわ。だからといって夜這いとかしてきたら潰すわよ」
「ハッハッハッ。理香ちゃんよ、そこは心配しなくても良いぞ。東間きゅんの下は俺が守ってみせる。というわけで東間きゅん、一緒のベッドで寝なイカ?」
「理香、今の内に潰しておくのはどうかな?」
「落ち着きなさい。冗談に決まっているでしょう。冗談じゃなかったら遠慮なく潰して良いと思うわよ」
「酷い!? 差別だわ! 訴えてやる! 幼馴染みの男のことを無理やり襲おうとしたら拒否されたって、これはポリコレ違反だって訴えてやる! 性的少数者への差別だって世間に言い触らしてやる!」
「これって一応、強姦に入るの?」
「さあ? まあ無理やり襲っている時点で性別云々に関係なくアウトでしょう。まあもしも襲った側を擁護するような声が出てきたら本格的に犯罪者予備軍の集まりかもしれないわね」
「理香ちゃんよ、その発言も十分過ぎるくらいにヤバいと思われマッスル」
己の言葉によって引き気味になった仁と東間を前に理香は大きく咳払い。
全てを無かったことにしたような、晴れやかな顔付きで二人を連れ出し、スマホのナビに従って銭湯へと向かう。
「この辺りは仁によく似ているって感じかな? まあ姉弟らしさを演じるのならむしろこっちの方が良いのかもしれないけど」
「だがそうなると東間きゅんだけ異質になってしまうぞ。俺と理香は血が繋がっているけど東間きゅんだけ養子みたいな」
「兄弟姉妹だからって似ているとは限らないよ。そもそも同じ環境で育っても違う性格になるわけだし。まっ、一緒に暮らしている内に互いに影響を受け合うことはあるんだろうけど」
「着いたわよ、弟たち。じゃあ私は女湯を堪能してくるから、アンタたちも男湯で親睦でも深め合ってきなさい」
「理香ちゃんよ。差別をなくすのならば男湯と女湯の区別も必要ないのでは!? むしろトイレも男女差別に繋がる! 全てを混合に! 全てを一つにグフッ!?」
「はいはい。ここは魔境じゃないんだから、落ち着こうか」
容赦のない一発を腹部に受け、色々な物を口から吐き出している仁を引きずって東間は男湯の暖簾を
出迎えたのは番頭を勤めている老婆。
他の客も主に老人だが、少数ながら子供連れもおり、しかし若者と呼べるのは仁と東間だけ。
尤も、仁たちがそうであるように、他の客たちが彼等に興味を向けることはなく、手早く服と下着を脱ぐと浴室の扉を開ける。
「ほう。これは中々、見事なり」
「うん。これなら人気が出てもおかしくはないかもね」
最初に目に飛び込んでくるのは巨大な山の絵。
誰が描いたのかは定かではないが、雄々しくて立派な巨山は見る者の心を魅了し、活力を与えてくれる。
湯気によって一部、見え難くなっている部分もあるが、それによって神秘性が増している面もあるため、デメリットにはなっておらず。
総じて高評価な山の絵を見つめていた彼等の背後、両脚に衝撃が走り、転びそうになるのを辛うじて堪える。
振り返れば足に攻撃を仕掛けたのは小学校低学年生であろう子供たち。
元気よく、それでいて完全に彼等を嘗め腐った態度で挑発を繰り返す。
ここで彼等の相手をするのは同レベルな存在だけ。
大人を名乗るのならその程度の挑発には乗らず、沈着冷静な対応を取るか、あるいは作り笑顔で受け流すか。
東間がどちらにするか迷っている間に動いたのは仁。
子供たちの親が割り込んでくる前に彼等を全力で追い駆け回す。
魔境の子供たちならばあるいは逃げることができたかもしれないが、魔境の外の子供たちに仁から逃れられるような身体能力は無い。
一人、また一人と捕縛され、狂気の笑みを前に失禁を余儀なくされていく中、異変に気付いた親たちが仁に向けて怒鳴り声を放つ。
監督責任という意味では親たちもアウトなのだが、そもそも子供たちが何をしたのかなど把握しておらず、仁の言い分を聞く気が欠片もない彼等の中に謝罪という選択肢は存在しない。
事情を説明すればもしかしたら納得、もしくは理解を示す可能性は存在したものの、頭に血が昇っている様子の親たちを説得するのはほぼ不可能。
話し合いで解決できる段階など疾うに過ぎており、見知らぬ高校生たちの不意を突いて転ばせようとしたことを完全に忘れたらしい子供たちは被害者として大泣き中。
子供のやることだからと容認するべきか、子供だからこそキッチリ叱るべきか。
新たに生まれた二択の問い。
己の中にて生まれた問い掛けに、東間は状況次第という答えを返す。
結局のところ、怒った方が良い場面と怒らない方が良い場面の判断は、未来でも見えない限りは誰にもわからない。
子供の心を傷付けるのは確かに問題だが、何をしても許されると子供の心を増長させるのもまた問題。
ただ、そうやって物事を複雑に考えて、動けなくなってしまえば何もしていないのと同じであり、そういう意味では即断即決を行う仁のやり方の方が正しいと言える。
尤も、正しいからといって良い結果に繋がるかはまた別の話。
暴力を振るうことなく、しかし子供たちの心にトラウマを刻み込む気満々の彼は割って入ってきた大人たちも同様に狂気の笑みで迎え撃つ。
「……やれやれ」
仁ならば大人が相手であろうと、それこそ魔境の外の大人たちが何十何百何千と群がろうと迎撃は容易い。
けれども無用な騒ぎを起こせば厄介事の芽となることも起こり得る。
ならば幼馴染みとして自身がやることは一つと、東間は争う姿勢を見せる彼等の間に割って入り、仁に対して有無を言わせず謝罪の言葉を述べるとともに仁に頭を下げさせ、大人たちの話には一切、耳を貸すことなく浴室内でかけ湯を始めた。
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