第五百八話
仁は途中からノリノリで、東間もまた順応し、理香は半ばヤケクソ気味に冥土喫茶を愉しみ、ぼったくりと訴えたくなるような支払いも仁が済ませてから店を出る。
どう考えても割に合わない、この仕事を無事に終えたとしても採算が取れないくらいの出費であったが、仁は特に気にした様子も見せず。
理香や東間はそれでは納得できないと割り勘にしようとしたが、学生の身である彼等にそこまでの経済力は無し。
最悪、東間は母親から金を借りればどうにかなるかもしれないものの、それは本当に最終手段であり、かつ理香の方は手持ちはもちろん、義父や師範代や兄弟弟子たちから金を借りるという選択肢が無いため、どうしようもない状況。
そのため、東間だけお金を払うとなると理香の立場が無くなってしまい、加えて冥土喫茶に寄ることを提案したのは仁自身。
だからこそ彼は幼馴染みたちに金を払わせようとしないのだが、やはりというべきか理香や東間は何とも言えない表情となってしまい、気まずい空気が生まれる。
そのような現況を打破すべく、仁は例の廃車が来ることを望む。
切羽詰まった状況、あるいは予期せぬ敵と遭遇することになれば、どれほど気まずい空気であろうと簡単に払拭できる。
が、そういう時に限って彼等の周りで異変は起きず、気まずい空気の中、鳴り響くのは腹の虫。
結局、価格の問題もあって冥土喫茶内では満足な食事が取れず、空腹を訴える音が珍妙な音楽のように鳴り響く。
「仁、もしかして意図的に鳴らしていたりする?」
「流石の俺でも腹の虫をコントロールするのは不可能だ。そういう装置を開発することはできなくもないが、やる意味はあまりないし」
「じゃあなんでこんな奇怪な音になるのよ」
「恐らくはこの俺の体が、全身の細胞たちが我等の間に生まれたこの空気を払拭しようと努力しているのだろう。東間よ、理香よ、我等は結束するべきなのだ。たかだか金の問題で揉めている場合ではないのだよ。おとなしく、我に奢られたという事実を受け入れるとともに、これから先、一生、この俺に媚び諂って生きるが良い!」
「嫌だよ、そんな人生」
「私も御免よ。後で返すから、覚えておきなさい」
「いや、真面目に返さなくて良いんだぞ。むしろ返してもらうと俺が困る。そもそも理香ちゃんに大人な商売はできないだろう。需要無いし」
「……それってどういう意味かしら?」
「理香ちゃんに纏わりつこうとした奴等は全員、物理的、社会的に俺が抹殺するという意味ですが。まあ厳しい審査を乗り越えた奴ならもしかしたらということもあり得るかもしれませぬが」
「過激な発想だね。まあ仁らしいと言えなくもないけど」
「ったく、恥ずかしいことを平気で口にするんだから、このバカは」
「フッ。この俺がバカであることなど周知の事実。今更、その程度の罵倒では快楽を得ることはできませぬぞ」
「得なくていいわよ」
「ちなみに厳しい審査って?」
「まず生身で宇宙空間に出てもらいます」
「審査じゃなくて処刑じゃない」
「何を言う。理香ちゃんを幸せにするというのなら、それくらいの耐久力は不可欠なり。次にマグマに浸かってから太陽に突っ込んでもらい、その後は海底に沈んだ超巨大イカを刺身にして食べた後、ブラックホールの中に消えてもらう」
「途中がよくわからなかったけど、やっぱり処刑する気満々なんだね」
「ブラックホールから自力で脱出できないような奴に理香ちゃんを任せることなどできはしない。そしてそれ等をクリアして、初めて二次試験である面接に移行できる」
「アンタは私の保護者か何かなの?」
「ただの幼馴染みです。まあ二割くらいは冗談だとして、実際、俺が何かしなくても師範がそういう連中を皆殺しにするとは思うが」
「あー、師範ならやりそうだね。師範代には止められそうもないし」
「いや、いくら義父さんでもそんな暴走はしないでしょう。第一、私は血の繋がりのない義理の娘なんだし」
真顔で言い放った理香に仁と東間の表情が訝しみのものとなる。
本気で言っているのかを見定めるための短い沈黙の時間、理香だけは彼等が不意に黙り込んだ意図がわからず、首を傾げながら口を開く。
「何よ、その顔。私、何か変なことを言った?」
「どう思います、東間きゅん」
「うーん。微妙なところだね。本気半分、冗談半分ってところかな。師範の愛情を感じていないわけではないと思うけど」
「自分自身への卑下の念もあるといったところですかな。やれやれ、これだから理香ちゃんは鈍くて困りマッスル」
「鈍さだけなら仁も同等だと思うけど」
「それはどういった意図の発言ですかな? よもやこの鋭過ぎて何もかも見破ることができないことに定評のある影月仁様の感性が鈍いとでも?」
「あー、うん。よくわからないけど、取り敢えずゴメンで良いのかな?」
「質問を質問で返すとは邪道の極みなり。これは東間きゅんを一から作り直す必要がありそうですぞ、まずは東間きゅんを胎児の状態に戻し、その後は我が宇宙科学の粋を集めた超技術で東間きゅんを師範代の腹部に入れ」
「はいはい。わけのわからないことを言ってないで、改めてご飯にしましょう。その後で仕事をこなす。異論はある?」
「はいはーい、どうせなら滅茶苦茶高いステーキが食べたいです。もう一生に一度、食えるか否かくらいのステーキを食べて満足しながら逝きたいです!」
「却下。アンタは懐に大ダメージを受けたばかりじゃない。って、そうよ、後でちゃんとお金を返さないと」
「さあ、行きましょう、皆さん! このままではパーティは全滅ですぞ! 我々が絶滅する前に決着をつけなければ!」
絶対にお金を受け取る気はないと、明確かつ強い意志を示す仁に理香は不満と苛立ちを覚え、犬歯を剥く。
彼女の怒りを仁は受け止めつつ、それでも何も見ていない、聞こえていないと言わんばかりに軽やかなステップで近くのコンビニへと向かう。
彼等のやり取りを傍観していた東間は微笑を漏らしつつ、再び仁に奢られるわけにはいかないと洗練された無駄のない無駄な動きを披露する彼を置き去りにして先にコンビニの中に入る。
店内にいるのはやる気の無さそうな、気怠い雰囲気を纏いながら恐怖に震えている店員とスーツ姿で頭を抱えながら床に伏せている男性及び目出し帽を被り、ナイフを片手に店員を脅している二人組の男。
急な来客に男たちが驚きつつ、ナイフを東間の方へ突き付ける。
「なんだ、てめえは!」
「てめえもその辺で縮こまっていろ! ぶっ殺すぞ!」
「あっ、お気になさらないでください。用件が済んだらすぐにいなくなりますので」
軽く頭を下げつつ、東間は適当な弁当を三つ、レジへと運ぶ。
手慣れた手付きで会計を済ませるのは、以前にコンビニでバイトしたことがある経験があるため。
代金をキッチリ支払い、レシートを手にコンビニから出ようとする東間の肩を男の一人が掴む。
「てめえ、なに素知らぬ顔して出ようとしてんだ!?」
「いえ、僕もそれなりに忙しいので、いちいち貴方たちのようなコンビニ強盗に構っていられないんですよ。そもそもこれは警察の仕事ですし」
「すっとぼけたことぬかしてんじゃねえぞ、バカが!」
振り上げたナイフを東間の頭へと突き立て、彼を刺し殺そうとする。
あくまでも目的は金、もしくは怨恨であり、無関係な客である東間を殺す意図は無いと思われるため、この行為は感情を制御できなくなった結果に過ぎない。
怒りはあっても殺意はない、といっても衝動的に殺したとなれば殺意の否定は難しく、関係ない相手を殺害したとなれば罪も重くなる。
尤も、東間にとってはそれこそ無関係な事柄。
コンビニ強盗犯が終身刑になろうと、死刑になろうと知ったことではなく、彼等の今後がどのような結末となろうと興味関心はない。
が、それはこのままおとなしく殺される理由にはならず、振り下ろされたナイフを人差し指と中指で受け止めた彼はそのままナイフを奪い取り、もう一人の強盗犯の手へと投擲するとともに、目の前の強盗犯の顎に拳を打ち込む。
片方の強盗犯が昏倒するとほぼ同時、手にナイフが刺さったことを知った強盗犯が痛みの悲鳴を上げる前に素早く間合いを詰めた東間の手刀が彼の意識を刈り取る。
「仁相手に練習していて、助かった、とでも言えば良いのかな。別に特技というほどのことでもないし、誰かに自慢できるわけでもないんだけど」
独り言を発しながら肩をすくめる彼は動かなくなった強盗犯の手からナイフを抜き取り、ついでにもう一本のナイフも奪うとレジの上に置く。
無論、コンビニでは武器の買い取りなど行っていないので、奪ったナイフで小遣い稼ぎは不可能。
ゲームと現実は違うと理解はしているが、そのことにほんのりと残念さを覚えた東間は己自身に苦笑を漏らしつつ、購入した弁当を手にコンビニを出て行く。
自動ドアの向こう、後方より聞こえてくる騒ぎ出す声を背に、いつの間にかストリートダンサーと勝負を行っている仁の近くにいる理香と合流する。
「理香、お弁当を買ってきたんだけど、アレは何をしているの?」
「お帰りなさい、東間。何って見ての通り、ダンス勝負をしているらしいわよ」
「それは見ればわかるよ。僕が訊いているのはこうなった経緯についてなんだけど」
「経緯って言われても、私だってよくわからないわよ。どうやら仁のさっきまでの動きが近くのダンスチームの目に留まったみたいで、何か勝負を挑まれたらしいわよ」
「それを快諾したの?」
「してないわよ。というかたぶん、仁は彼等の存在に気付いていないと思うの。自分の世界に埋没して、で、あの珍妙な動きを続けているだけ」
「それを彼等は宣戦布告と受け取って、それで勝負が始まったと」
「そういうことね。まあ実害は無さそうだから、放っておいても問題は無いんじゃないかしら。あっ、私はお肉のお弁当が良いわ」
「どうぞ。といっても、この時間帯だと売れ残りしかなかったから、生姜焼き弁当しか無かったよ」
「その割には全部違うお弁当じゃない」
「逆に、売れ残っているのが一個ずつだったって意味だよ。まあ、仁があの様子なら取り合いになる心配はなさそうだけど」
「生姜焼きを寄越せぇぇぇぇぇ!」
唐突な叫び声に理香と東間は無反応。
が、相手のチームは無言だった彼が急に大声を出したことで動揺し、繰り出した技が失敗してしまう。
そのことに抗議の声を上げる者たちもいたが、仁は完全無視。
技を失敗したダンサーも、失敗は己の未熟さ故と仁を責めようとする仲間たちを諫め、気を取り直して踊り出す。
「じゃあ理香が生姜焼き、僕はうどんを食べるとしよう」
「で、仁は――カレー?」
「カレー」
「しかもライス無し?」
「ライスはセルフって書いてあるからね。まあカレーだけでも食べられないことは無いだろうし」
「せめて温めてきてあげなさいよ」
「僕もそうしたかったんだけど、店内がちょっと騒がしかったから、早めに出る必要があったんだ」
「フーン?」
自業自得といえど、余り物の冷えたカレーを食べることになってしまった仁に理香は少しだけ同情の念を抱く。
だからといって生姜焼き弁当を譲るつもりもなく、付属されていた割り箸を使ってお弁当を食べ始める。
「冷えているわね」
「さっきも言ったけど、なるべく早めに出る必要があったから」
「今、戻るっていう選択肢は――無さそうね」
「うん。絶対にややこしいことにしかならないと思うよ。それに冷めた状態でも不味いわけじゃないだろう?」
「まっ、ちょっとお肉が硬い程度だから、問題にはならないわね。そもそもコンビニのお弁当にそこまで期待はしていないし」
「あら、コンビニのお弁当だって日進月歩。侮っていると、足を掬われるわよ」
「料理漫画じゃないんだから、オーバーリアクションを取る必要があるほど、革新的なお弁当が売られることは無いと思うよ。まっ、もしもそういう物が売られ始めたら色々なところで話題にはなるだろうね」
「そうね。今の時代、隠し事をしようとしても何処かから必ず情報が漏れだすわけだし、東間がコンビニで何をしてきたのかもすぐにわかっちゃうかもしれないわよ」
「想像にお任せします」
冷えたうどんを啜りながら、鳴り響くサイレンの音をBGM代わりに仁とダンサーの勝負を観賞。
音楽も無しに踊り続ける彼等の勝負はどのような決着を迎えるのか。
それ以前にどのようにして勝敗を決するつもりなのか、気にはなったが尋ねるのも気が引けたので、決着がつくまで理香と東間はのんびり休憩することにした。
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