第五百七話
小躍りでもしそうなほど、テンション高く歩いていた仁が理香たちを連れて目的地まで到着するのにそう時間は掛からず。
場所がわかっている以上、邪魔さえ入らなければ一直線に向かうだけ。
が、無事にたどり着いた彼等は冥土喫茶の目の前で停止。
大きな看板とわかりやすい入り口の扉。
隠されているわけでも、今日が休みなわけでもない、けれども踏み出すことを、そこに入ることを躊躇させる程度には危ない臭いが立ち込める外装。
店内より漂ってくるのは硝煙の香り。
親の育成方針故に外国の戦場に放り込まれた経験がある仁の本能は、目の前にある店に大きな警鐘を鳴らす。
「仁、ここが例の冥土喫茶で良いんだよね?」
「そのはずだ」
「私の目にはメイドとかじゃなくて、よく鍛え上げられている肉体を持った大きな男の人たちが見えるんだけど、これは幻覚かしら?」
「安心したまえ、理香ちゃんよ。我が双眸にもハッキリと映し出されている。ゴッツイ外人の傭兵さんたちが」
「ああ、やっぱり傭兵だったんだ。危険な香りがプンプンすると思った」
「もしかしたらコスプレイヤーたちの可能性が微粒子レベルで存在するかもしれないが、十中八九プロの傭兵だろうな。そんな連中がこんなところで何をしているのかはよくわからないというか、考えたくもないが」
「どうする? 今からでも他の店を探す?」
「だがな、ここまで来たら毒を食らわば皿まで、な精神で行くのも有りかもしれぬぞ。それに理香ちゃんのお腹が空き過ぎて、平たい――」
音速を超えて通り過ぎて行くのは理香の拳。
敢えて直撃させず、頬に触れるか触れないかのギリギリを攻めたのは警告のため。
ここで余計なことを言えば瀕死状態になるのは確実。
それでも敢えて危険に踏み込むのが流儀と、何かが懸命に訴えてくるのを完全無視した仁はわかりやすく話題を変える。
「まあなんだ、一周回って名物っぽい店になっている可能性も否めん。店内に客らしい人間が一人もいないが、たまたまの可能性もある」
「開店時間、二時間以上前だけど」
「お昼時はこれからだから、時間経過で満席になるかもしれぬではなイカ。そもそも店がどれだけ危なくても、美味しいものが食べられるのなら問題にはならぬ」
「あの人たちが料理を作るの? そりゃサバイバルには慣れていそうな顔をしているし、蛇とか蛙とかも食べられないわけじゃないけど、お金払ってまで食べたいとは思わないわよ」
「仁の奢りなのに、お金のことを気にする理香はやっぱり優しい子」
「東間、妙な茶化し方はやめて。何にしても、こんなところで食べるより何処か別のお店で食べた方が精神的には楽そうじゃない?」
「理香ちゃんの言うこともわかる。それにもしもあの強面さんたちがおいしくなーれとかオムライスにやり始めたら色々な意味でダメージを受けそうだし」
「変な物を想像させないでよ、本気で背筋に怖気みたいなのが走ったよ」
「東間きゅん、それは差別だよ。ヤクザや半グレが萌え萌えきゅんとか言い出してもそれを受け入れるのが多様性の社会というものなんだから」
「なんでもありと多様性は全然違うと思うけど。というか、多様性を訴えるなら僕が気持ち悪いと思うのも受け入れるべきなんじゃないの?」
「己にとって都合がいいことには多様性を訴え、都合が悪いことには多様性を訴えないのが真の多様性というものなのだよ」
「それは単なるワガママじゃないかな?」
「はーい、お帰りなさいませ、ご主人様方、お嬢様」
「はえ?」
間の抜けた声を発したのは仁と東間の会話を呆れ半分に見ていた理香。
その前の声を発したのは彼女の背後、量産型メイド喫茶の制服が如き、白と黒のスタンダードなメイド服に身を包んだ女性。
学生か社会人か、いまいち見分けが付き難い、大人と子供の狭間な顔立ちの女性は途轍もなくわかりやすい商売笑顔で獲物たちを見つめており、逃げ出す機会を失った彼等はそのまま店内へと連れ込まれる。
一つ間違えれば誘拐に見えそうな強制連行。
抗う気になれば抗えたけれども、何か威圧感のような、いまいち逆らう気が起きないオーラのようなものに気圧されてしまった仁たちは案内されるがまま、席に着く。
「ご主人様二名、お嬢様一名、お帰りになられましたー」
「お帰りなさいませ、ご主人様、お嬢様」
「お帰りなさいませ!」
店内で暇を持て余していた強面の男たちが次々に立ち上がり、姿勢を正して深々とお辞儀をしてはお持て成しの準備開始。
その様子を見ていたメイド服の女性は笑顔を崩さず、手で合図を送り、傭兵たちを一ヶ所に集める。
それから始まったのは放送禁止用語を用いた説教という名の罵倒の嵐。
男たちは一人残らず戦々恐々とし、あくまで笑顔の女性は子供に聞かせられないような言葉を並べ立てる。
理香は元より、東間やこういったことに非常に強い耐性を有しているはずの仁でさえ恐怖を感じてしまうほどの言葉責め。
もしも客がいなければ恐らくは物理的な責め苦もあったであろうことが容易に想像ができる、女性の圧倒的過ぎる迫力に当人以外の全員が震え上がる。
「ね、ねえ、仁。もう一度、確認するけど、あの男の人たちって傭兵よね」
「ああ、間違いなくな。近接戦闘なら俺たちでも勝ち目はあるだろうが、ここが戦場なら確実に俺たちは殺されている」
「戦場なら、ってことは何でもありなら僕たちより上ってこと?」
「戦場にルールも何もない。戦争犯罪だの法律云々は終わった後にしか適用されないし、現場の連中にそんなことを気にしている余裕はない。実際、俺も何度も殺され掛けたし、目の前で吹き飛んだ戦友もいる。俺がこうしていられるのは運が良かったからでしかない」
「相変わらず、普段のバカさ加減からは想像もできないような過去を持っているわね。その内、アンタに復讐しようとか考えている人とか出てくるんじゃないの?」
「戦場の常だ。そこは受け入れるしかない。まあ、戦場で仲間が死んだからっていちいち相手を恨んでいたらキリが無くなるって意見もあるがな」
「ドライな世界、いや、そうじゃないと自分の心を守れないからかな。そんなことよりそんな心身ともに屈強な傭兵たちを圧倒する彼女は何者かな?」
「わからん。ただ一つ、わかっているのはあの女性がこの冥土喫茶のボスだということだけだ。彼女を攻略できれば、この冥土喫茶を手中に収めるのもわけないことと言えるであろう。その時こそ、我等が宿願を叶える時」
「何を言っているのか、さっぱり何だけど、そこは置いておくとして、これからどうしよう、逃げる? それとも戦う?」
「戦ってどうするのよ。それに逃げるって言っても、そんな簡単に逃げられるの?」
「東間きゅんを囮にすれば俺たちだけでも逃げられる。理香ちゃん、東間きゅんは星になって俺たちを見守ってくれるよ。だから俺たちだけ幸せになろう」
「そこは仁を犠牲にして逃げるつもりだったんだけど。理香も僕も強く生きて行くから、君は夜空に流れる星になって、大気圏で燃え尽きてね」
「OKだ、東間きゅん。その喧嘩、買おうじゃなイカ」
「喧嘩を売った覚えは無いけど、たまにはそれも良いかな」
席に着いたまま、両者は互いの顔に手を伸ばす。
まるきり子供の喧嘩――というより幼稚園生の喧嘩のように、ひたすらに相手の顔を伸ばしたり、縮めたり、抓ったりする。
思わず他人のフリをしたくなるような低次元な争い。
ただ、その分だけ静かであり、派手な音を立てたりする心配も要らず、見ている者に恥ずかしさを覚えさせること以外は周りに迷惑を掛けることも無し。
それもこれも傭兵たちを、そして彼等を束ねる女傑を怒らせないようにするため。
尤も、彼等の怒りを買いたくないのなら最初から争わなければ良いだけの話。
戦いは空しく、生産性もない不毛な行い。
幼馴染みたちの物静かな死闘は延々と続き、それを眺める理香の胸中には虚無としか言いようのない感情が去来する。
今ならば音を立てずに、誰にも気付かれずに店外へ出られるのではと、彼女が本気で考え始めた頃に罵倒の嵐より解放された傭兵の一人が接近。
足音はおろか、気配すら完全に殺して近づいてきた男は作り笑顔で醜い争いを続けている仁たちに話し掛ける。
「ご主人様、お嬢様、ご注文はお決まりでしょうか?」
「コーラ」
「コーヒー」
「あっ、私はオレンジジュースで」
「畏まりました。少々、お待ちください」
用意されたメニュー表を見ることなく注文した彼等に、傭兵は恭しく頭を下げて店の奥へと歩いて行く。
その背中を見送った後、理香は逃げられなくなった現実を受け入れると同時に逃避するかの如くテーブルに置いてあったメニュー表を手に取る。
「ええっと、オレンジジュース、オレンジジュース……あ、あったわ。コーヒーとコーラもちゃんとあるみたい」
「むしろ無かったら驚きだよ」
「コーラはともかく、コーヒーが置いてない喫茶店って何だよって感じだしな。いや、もしかしたら俺が知らないだけでそういう店もあるのか?」
「僕も知らないけど、もしかしたらあるかもね。需要の有る無しは別として」
「ま、まあ飲み物は一通り、揃ってこその喫茶店でしょう。にしてもコンビニで買うよりもずっと割高ね。それになんというか、名前も妙な物が多いわ」
「妙な物?」
「ええ、例えばこの『天使の淡い蜜』とか『ほろ苦い思い出の味』とか。どうみても烏龍茶とコーヒーにしか見えないわよ」
「つまりさっきはコーヒーではなく『ほろ苦い思い出の味』と注文するべきだったのか。これはしくじったな」
「通じればなんでもいいんじゃないかな? 現にコーヒーで通じたわけだし――」
「てめえゴラ、コーラやコーヒーじゃなくて『青春の爽やかな風』と『ほろ苦い思い出の味』だろうが! 間違えてんじゃねえぞ愚図が!」
「す、すみません、すみません、ボス!」
「ボスじゃなくて店長だって何回も言ってんだろうがこのバカが!」
店の奥から聞こえてくる怒鳴り声と怯えた声。
次いで聞こえてくる轟音としばしの沈黙。
他の傭兵たちも震えて縮こまっており、再度、顔を見合わせた仁たちは何とも言えない表情で頷き合う。
「飲み物、飲み終わったらさっさと行きましょう」
「異議無し」
「むう。強面の傭兵さんたちがにこやかに、爽やかに接客してくれるのを楽しみにしていたんだが、どうやら暴君に支配された店だったらしい」
「アンタはどんな風な期待をしていたのよ」
「訊かなくても大体、わかりそうだけど」
「そこはわかっていても訊いてくれるのが優しさというものなり。だがまだだ、まだ俺は諦めていないぞ。これから飲み物を運んでくる店員に愛情を注入してもらうのだ。その光景を写真撮影してネットに流すのが俺の役目」
「やめなさい、そういう悪趣味な真似は」
「だがインパクトはあるぞ。こんな風に店内ガラガラだし、店長も店員も色々な意味で凄い人たちだから、世界中に拡散でもしない限り、近い内に潰れそうだ」
「そうなった方が世のため、人のためになるんじゃないの?」
「東間きゅん、この場面で正論は求められていないのだよ。ここで求められているのはどうすればより面白くなるのか、その一点のみ!」
「お待たせしました、ご主人様、お嬢様。『青春の爽やかな風』と『ほろ苦い思い出の味』に『妖精さんたちの甘いおねだり』になります」
「ど、どうも」
相も変わらず、音も気配も無く忍び寄ってきた店員が差し出すコーラとコーヒーとオレンジジュースに、仁は反射的に頭を軽く下げて応じる。
ちなみに店員の体には特に傷跡などは無かったが、その顔色は真っ青であり、何が起きていたのかはわからないが、尋常でない体験をしたのであろうことは明らか。
怖い物見たさで尋ねようとした仁だったが、今度こそ最大級の警報が彼の中で鳴り響いたため、紙一重で口を噤むことに成功。
ただ、それで終わらせてはつまらないという、彼自身にとっても迷惑極まりない別な本能が仁の体を動かし、メニュー表を指差すことで新たな注文を行う。
「店員と一緒に撮影、ですね。畏まりました。すぐに行えますよ」
にこやかに告げた店員は何処からともなく取り出した、天使の輪が着いた被り物を仁の頭に被せ、素早く彼と並ぶと他の店員が手に持つカメラに向けてブイサイン。
長い時をともに過ごした友人と一緒に写るが如く、仁の肩に腕を回しながら素晴らしい笑顔を浮かべる姿は店員の鑑と言えるか。
なお、仁も最初は呆気に取られていたがすぐに順応し、最終的に理香や東間も巻き込んで店員たち全員と一緒に記念撮影を行った。
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