第五百五話
引き裂かれた廃車と中に広がる赤い海。
頻発する怪事件に挑むのは眼鏡を掛けた小柄な子供。
独り言をつぶやきながら廃車を調べる彼を保護者らしき男性が拳骨とともに連れて行こうとするも、殴ったという事実によって野次馬たちが騒ぎ出す。
子供の躾に体罰が必要なのか否か、答えの出ない議論が波紋となって周りに広がっていくのを仁たちは近くで購入した缶ジュースを飲みつつ、遠巻きに見つめる。
「また不毛かつ無意味な話をしているなー」
「仁、言い方には気を付けた方が良いよ。事実だろうと何だろうと、直接的な表現をすると嫌われてしまうのが今の世の中だからね」
「お前もお前で凄いことを言っているって自覚はあるか?」
「別に、周りに合わせろとか、出る杭になるななんて意見は持っていないからね。僕も不毛なものは不毛だって声高にして言いたくなる時もあるし」
「虐待と躾の違いなんて当人たちにもわからないものだもの。それを第三者がグチグチ言うのは確かに、不毛としか言いようがないわね」
「おっと、道場にて師範や師範代に弄ばれている理香ちゃんがそのようなことを言うなんて割と意外かと」
「弄ばれてなんかいないわよ。まっ、生傷は絶えないし、時々、意識を失ったり、入院する羽目になることもあるけど、道場をやっているところなんて何処も似たようなものなんじゃないの?」
「魔境はともかく、外の道場はそこまでやらないと思うよ。まあ怪我は頻繁にありそうな気はするけど」
「そして怪我をしたら道場の責任と。だったら最初から通わせなければいいとか思ってしまうのは私だけなのでしょうか」
「そこは色々、複雑なんじゃないかな。ほら、親といっても聖人君子ってわけじゃないだろうから、子供に対して無償の愛を持っている人の方が少ないし」
「それは母親に対する不満の表れですかな? 東間きゅん」
「ノーコメント」
「仁、デリケートな問題なんだから、あまり突っ込まないの」
「へいへい。わかっておりますよ。俺だって逆鱗を鑢で削るような趣味はありませんからねー」
飲み終えた缶ジュースを仁は少し遠くにある空き缶用のゴミ箱へと投擲。
あまり褒められた行いではないので、理香は咎めるような眼差しを向けるも、仁は無視して見事にゴミ箱の中へと入った缶ジュースを見て己の美技に酔う――
はずだったのだが、ゴミ箱と缶ジュースの狭間に現れたのは空間の歪み。
否、正しくは空間が歪んだような感覚が一瞬だけ彼等を包み込んだだけであり、少なくとも仁たちの視界は歪みを捉えることは無かった。
ただ、何かが起きたのは確かであり、それは彼等の目の前に現れた引き裂かれた廃車と中に広がる赤い海が証明している。
つい先程まで確実に、そこには何もなかったと断言できる場所に現れた廃車。
眼前の出来事を流石に無視するわけにはいかず、理香と東間が廃車に近寄ろうとするのを制したのは仁の腕。
「仁?」
「どうかしたの?」
理香と東間の問い掛けに仁は答えず、大股に廃車へ接近。
彼の行動の意図が読めず、不思議そうにその背中を見ている彼等の目の前で仁は全力の蹴りを廃車へ叩き込む。
「ちょっ!?」
「な、何しているのよ!」
「止めるな、東間きゅん、理香ちゃん。この車は俺の華麗なる美技を妨害した。百人中一人も感動しなさそうな、俺の見事な技の邪魔をした。この車は百回、処刑しても飽き足らない大いなる罪を犯した。故に我が意思は断罪を決定した」
「またわけのわからないことを」
「空き缶を入れるのを妨害されたからって、そんなに怒ることは無いじゃない。そもそも空き缶は投げて入れる物じゃないでしょう。ほら、そこに転がっているから、今度はちゃんと入れてきなさい」
理香に促された仁は不満を全開にしつつもおとなしく彼女の命令に従い、空き缶をゴミ箱の中へと入れる。
ついでに理香と東間の持っていた空き缶もゴミ箱へと入れ、善行を積んだことへの爽快感により、晴れ晴れとした気持ちで太陽を仰ぐ。
「俺は、俺たちはこの日のために生きて来たんだ。今までのゴミのような人生も全てはこの日の、この時のためにあったんだ。そう考えると正月早々におねしょして、慌ててドライヤーでシーツとベッドを乾かしたような、晴れやかな気分になるZE!」
「おねしょしたの?」
「紗菜の奴がシーツやベッドを良く濡らしている。まあ紗菜以外のものもある時の方が遥かに多いんだが」
「生々しい会話はやめなさい。というか、それ本当なの? いや、紗菜ちゃんならそういうことをやっても何もおかしくはないけど」
「紗菜への評価が凄いことになっているという点に兄として色々と思うところがある今日この頃。ちなみにさっきの話は嘘です」
「そう。安心したような、意外だったような」
「というのが嘘です」
「どっちよ」
「というのも嘘です」
「はい、キリが無くなるから、そこまでね。それより、周りに人が集まり始めたし、調べる気が無いのなら早く行こう」
「ういうい。東間きゅん。我等が指揮官よ。東間きゅんさえ潰せば俺たちは無力化できるという良き証明。というわけで何処かに潜んでいるかもしれない謎の敵よ。狙うのなら我等の頭たる東間きゅんからにしてください」
「僕が頭脳なら仁は肉壁だね。期待しているよ」
「何を期待されているのか、わかってしまうが故に断りたい気分になりマッスル」
「ああ、肉壁じゃなくて肉盾の方が良かったかな。ゴメン、今度から言い方に気を付けるようにするよ」
「うむ。それで良いぞ、東間きゅん。流石は俺たちの頭脳。俺と脳みそを接続して意識を共有したことがあるだけのことはあるなり」
「はいはい。二人とも、さっさと行くんでしょう。ったく、面倒な男どもね」
「理香ちゃん、俺はともかく東間きゅんが面倒だと!? 俺も常々思っていた。東間きゅんは割と面倒臭い男だと。惚れられることは多くても、惚れることはあんまりないせいで一度、誰かを愛すると重度のヤンデレになってしまうと。東間きゅん、自首するんだ。今なら死刑で済むから」
両肩に手を乗せ、力説する仁に東間は無言かつ笑顔で拳を打ち込む。
腹部に強烈な一発を入れられた仁は悶えながら地に膝を突き、その様子を上から見下ろしていた東間が彼の腕を掴んで引きずって行く。
地味に怒っている彼に理香は何か声を掛けるべきか、迷った末にスルーすることに決めて彼等の後を追う。
無論、魔境内、ある程度の知識がある者たちならば普段通りの光景として処理できるのだが、彼等がいるのは魔境の外。
事件という空気間こそ出ていないが、往来で人を殴り、引きずって行くという現場に遭遇した人々は戦々恐々とし、近くにいた警官たちが東間たちを引き留める。
「ちょっと、君。話を聞かせてもらいたいんだけど」
「ああ、はい、何ですか。ちなみにこのバカを殴った件に関しては日常茶飯事なので気にしないで頂けると助かります」
「い、いや、バカって、君ねえ」
「そうだぞ、東間きゅん。俺は確かにバカだが、バカにも種類はある。俺はその中でも頂に君臨せしバカであり、近くに井戸を掘ろうとして不法侵入をすることを画策していた。だがそんな時、一人の老婆が俺のことを止めた。そして処刑されるはずだった悪人を許すように懇願したことで、後々に厄介かつ面倒な火種を残してしまい」
「あっ、うん。大丈夫なようだね。それでは本官たちはこれで」
「お疲れ様です」
ヤバい奴のヤバい発言に関わりたくないと、背中で訴えてくる警察官たちを見送った東間はよくわからない独り言を継続する仁の腹部にもう一発を入れて沈黙を強制。
息を吐くことしかできなくなった彼を改めて引きずって行き、寂れた公園を見つけるとベンチに座り、仁を手放す。
その頃になってようやく、回復したらしい仁は深呼吸を繰り返し、爽やかなる笑顔で立ち上がりながら腹部を撫で擦る。
「東間きゅん、さっきの真面目に、痛かった」
「川柳のつもりなのかな? だとしてもあまり上手くはないね」
「というか、アンタがウザかったのが主な原因なんだから、反省しなさい」
「うう、俺はただ、東間きゅんが将来、二桁を超える美少女たちとの間に子供ができた時、暴力を振るったりしないよう忍耐を養って欲しいと思ってやっただけなのに」
「本音」
「特に意味はないっす。ただ、毒電波を受信したので本能とともに従ってみたらあのようなことになってしまっただけっす。他意は無いけど他意しかない」
「どっちなのよ」
「そこはどうでもいいよ。というか、どうして僕が二桁を超える美少女たちとの間に子供を作ることになるのさ。僕は十二人の妹とか、双子六組とかと付き合うような予定はないよ」
「なにそれ、どういう状態よ。そもそも双子はまだしも、妹が十二人いようと付き合うようなことにはならないでしょう」
「いやいや、理香ちゃん。世界の業は深いのだよ。恐らくは理香ちゃんが想像しているよりも遥かに」
「そこでどうしてアンタがドヤ顔をするのよ。というかそれってフィクションの話よね? そんなの本当に居たりしないわよね?」
「フィクションを疑うのは当たり前だけど、残念ながら違うみたいだよ。といっても僕も噂話程度に聞いただけだけど、本当にいるらしい。まあまず間違いなく体の方が保たない気がしてならないけど」
「そこは漢を見せれば問題無し」
「漢?」
「うむ。男ではなく漢だ。つまりは筋肉を付けろってことだ。筋肉さえあれば皆を救える。筋肉さえあれば誰もが幸せになる。筋肉、筋肉だ!」
「じゃあ二人一緒に私のところにもう一回、通う? 今なら幼馴染み価格で安くしてあげても良いわよ」
「否! 断じて否!」
「好きでわざわざ地獄に足を踏み入れたくない。仁も僕もそこは共通した思いを抱いているよ」
「そう? 気が変わったらいつでも来なさいよね。私も義父さんも師範代も、みんな待っているから。そして全力で可愛がってあげるから」
何故か勝ち誇るような笑みを浮かべる理香に、得も言われぬ敗北感を味わう羽目となった仁は口惜しさを顔に張り付け、親指の爪を噛む。
といっても特にそういった癖があるわけでもなく、噛んだところで何か得られるものがあるわけでもないのですぐにやめ、代わりに東間の後ろに隠れる。
「えっと?」
「東間きゅん、今こそ理香ちゃんに目にものみせるのだ。必殺の東間バスターで理香ちゃんの鼻を撃ち抜き、勝利のポーズを決める時!」
「僕、いつの間にそんな技を身に着けたの?」
「昨夜、寝ている東間きゅんの寝室に忍び込んで改造手術を行った」
「また冗談を言って。……冗談、だよね?」
不敵な微笑みを浮かべて何も言わなくなった仁に、東間は慌てて自分の体を確認。
手足はもちろん、胴体や頭にも異常は見られず、安堵の息を吐きながら妙なことを言った仁に腹を立て、報復のデコピンを放つ。
無防備に受け止めた仁は上半身を大きく仰け反らせ、そのまま手を使うことなくバク宙を行い、親指を立てながら歯を煌かせる。
誰かが見ていたらもしかしたら拍手くらいは送ったかもしれない、見事なアクロバット技ではあったが、残念なことに理香も東間も彼の方を見ておらず。
彼等の視線の先にあったのは引き裂かれた廃車と満たされた赤い海。
先程に続き、またもや己の邪魔をした謎の怪事件に仁の怒りが爆発。
助走をつけて大きく跳躍し、凄まじい速度の飛び蹴りを廃車の引き裂かれた部位に打ち込んで亀裂を広げる。
「ハッハー! どうだ、この俺の蹴りは! 貴様のようなぽっと出の怪現象などお呼びじゃないんだよ! せめて八尺様くらいの知名度を持ってから出直してくるんだな!」
中指を立てながら叫ぶ仁に廃車が答えることはない。
が、代わりに広がった亀裂より赤い液体が溢れ出し、公園を赤に染めていく。
元々、寂れており、子供が遊びに来るような雰囲気を持っていないとはいえ、公共の施設を奇妙な液体で汚してしまうのは間違いなく問題行動。
実行犯である仁も、やってしまったと頬を引き攣らせながら数秒ほど硬直。
冷たい視線の幼馴染みたちにも何か言い訳をするべきと考えるが、上手い言い訳が思い付かず、さりとて広がる赤い液体の上手な処理方法も思い付かず。
掃除機で吸い込むという手もあるにはあったが、得体の知れない液体を吸い込むのはどうしてもリスクが伴ってしまうもの。
研究者としてはサンプルを回収するべきなのだろうが、単独行動中ならいざ知らず、理香や東間を危険に晒すようなことだけは可能な限り、避けたい。
そこまで考えた仁はわざとらしく大きな咳払いを行い、明後日の方向を指差して理香と東間の注意を一瞬だけそらし、生まれた隙を見逃すことなく彼等を抱えて全速力で公園から逃走した。
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